日本政府の呼びかけによる「アフリカ開発会議」(TCAD)も今年で5回目を迎え定着した感じだ。6月1日日から横浜で開催されるが、これに関連した「アフリカン.フェアー」(5月30日ー6月2日)などの催しが横浜を中心に首都圏各地で目白押しに開かれている。折から大相撲でエジプト出身の大砂嵐が来場所十両昇進が決まるなど、随分とアフリカも近くなったものだ。
もう半世紀以上になるが1960年(昭和35年)は”アフリカの年”と呼ばれた。この年、一挙にナイジェリア、チャド、ザイール、ダオメ(現在のベナン)など17か国が一挙に独立した。当時新聞社の駆け出し記者だった僕は、新独立国の資料探しに奔走したが、日本語によるものはほとんどなかった。
当時アフリカといえば、日本では未踏のジャングル視されており、野口英世博士が黄熱病で倒れたアクラ(ガーナ)とかドイツのシュバイツア―博士が住民医療で活躍していたザボンが一部の人たちの間で知られているだけだった。子供たちには「少年ケニア」(山川惣治作)という絵入り物語が人気であった。当時英国の植民地であったケニアを舞台に、日本の少年「ワタル」がマタイ族の酋長とともに密林の中で繰り広げられる冒険物語であった。
今年の「アフリカン.フェアー」には、なんと49か国が参加しているという。まさに「少年ケニア」の時代から見れば隔世の感だ。わが家の隣人のカメルーン人も毎日横浜通いで多忙だ。僕もできれば「アフリカン.フェアー」に出かけて、カメルーンのコーヒでも買ってきたいと思っている。
もう半世紀以上になるが1960年(昭和35年)は”アフリカの年”と呼ばれた。この年、一挙にナイジェリア、チャド、ザイール、ダオメ(現在のベナン)など17か国が一挙に独立した。当時新聞社の駆け出し記者だった僕は、新独立国の資料探しに奔走したが、日本語によるものはほとんどなかった。
当時アフリカといえば、日本では未踏のジャングル視されており、野口英世博士が黄熱病で倒れたアクラ(ガーナ)とかドイツのシュバイツア―博士が住民医療で活躍していたザボンが一部の人たちの間で知られているだけだった。子供たちには「少年ケニア」(山川惣治作)という絵入り物語が人気であった。当時英国の植民地であったケニアを舞台に、日本の少年「ワタル」がマタイ族の酋長とともに密林の中で繰り広げられる冒険物語であった。
今年の「アフリカン.フェアー」には、なんと49か国が参加しているという。まさに「少年ケニア」の時代から見れば隔世の感だ。わが家の隣人のカメルーン人も毎日横浜通いで多忙だ。僕もできれば「アフリカン.フェアー」に出かけて、カメルーンのコーヒでも買ってきたいと思っている。
アフリカは、欧米などから見ると、あまり近くに感じない国なので、このような催しを通して交流を深めるのも得策ですね。
外交でも、これから重要な国になると思います。
JICAの仕事をしていたとき、アフリカのエジプト、スーダン、ナイジェリア。ザイール、レソト,コンゴ、リベリアの人たちの面倒を見ました。それぞれ、かっての宗主国や宗教の影響をうけて国民性が違います。残念ながらここでも開発援助の面で中国の後塵をはいしています。鈴木宗男の素人外交が悪かったという人もいます。
タンザニアのザンジバル島には、かっての唐行きさんの足跡が残っているそうです。悲しい昔の歴史です。
多様な歴史・社会の国々と日本の提供できるものとの連携を考えて行くことになると思いますが、「札びら」だけを見せびらかすODAに終始しないような工夫がいると感じます。
①上下下水道、電力・ガス網、鉄道・道路など社会インフラの整備拡充などの『産業インフラ』
などが日本の十八番
②地震、豪雨、伝染病などの医療や物資支援も、「日の丸」が見える形で、もっと直接的に支援(赤十字や国連に寄付金を投じて間接的に支援貢献するのではなくて)アフリjカ現地で働き、永住してもよい日本の若者を募集し、長期に公的資金援助も行ってはどうか?
③「学校給食制度の導入や支援」や「アフリカ諸国の言葉について、現地の国語辞書編纂(音声も保存したDVD)」、「現地語で書いた各国の歴史書の作成支援」「アフリカ現地の民話や伝統的音楽の保存・収集」や日本語との対訳辞典、日本のアニメ・漫画の現地言語へと訳したものなど・・文化面でのODAにも力を入れてはどうか?・・・アフリカ諸国の愛国心の原点となるのは、自分たちの言語・家族制度・村落共同体などにあると思います。これらの文化面への資金や人材投入には、アフリカはまだまだ余力がないと思いますので、日本が支援してはどうでしょうか?
JICAの一年間の集団研修「自動車工学」を3年間、コーディネートした経験で、言いますと日本とは距離も遠く、歴史的にも接点もないので彼らのことを理解するのは難しかったです。南アフリカにあるレソトという小国からもきたえいっましたが、どこに国があるのか判りません。アフリカにはもっと人口が多い大国があるのに、多分国連安保理の常任委対策だったのでしょう。日本のODAによる研修事業もすでに20年を超し、日本で研修した人材が国の中核になっているはずですが、残念ながら日本のフォーローがない感じがします。僕が面倒を見たス―ダン人は非常に優秀なのに、国では生かし切れず今は、ドバイで仕事をしています。
アフリカは確かに魅力ありますが、少し時間をかけてじっくり取り込んだほうがよいです。
百年ぐらいのスパンで見なければならないのかもしれません。
現地の人たちが、いわば、日本でいえば縄文・弥生時代の政治経済制度の社会を数千年も繰り返していて国民意識も形成されていないところに、数百年前に突如、欧州のキリスト教白人国家が、軍隊と工業力とで侵略してきて蹂躙されたわけですから。
いきなり21世紀型の産業経済を導入しても、無理があるように感じます。まずは、アフガニスタンで井戸や農業支援(灌漑や農業)をしていてアルカイーダに殺された日本のNGOの伊藤青年のような緑化、農林漁業活動を地道に持続するのが良いのかもしれません。現地に骨をうずめる覚悟の日本人が活躍する必要があると思います。保育所・幼稚園・小学校などで、貧乏でも学校に行けば「給食」がもらえて、更に、読み書き算数を覚えられる・・・現地に根ずいた日本人教師。
近年、アフリカに進出した中国人への暴行事件も頻発しています。日本もいたずらに、中国と競争して札びらをばらいても、政府高官や富裕層汚職、隣国との兵器調達費用に回るばかりのように感じます。産業インフラが整っていなければ、工業技能も活かせません。
国民国家の礎は、国民意識と国語(つづり方教室も含めて)だと思います。アフリカでは、まだまだ、自国語の辞書も少なく、教科書も進むほど英語教材になってしまうのでは、ないだろうか。各国は自国語の文字をもっているのだろうか?自国語で書かれた自分たちの歴史書や文学も未発達なのではないかと感じます。日本は、この分野への文化支援を分担してはどうだろうか?という提案です。まずは、教育勅語のような段階で、「勤勉と国民同士の助け合いが大切」という意識が国民の間に浸透し血肉化される必要があると思います。インドで日本の漫画「巨人の星」の星飛雄馬が人気があるそうです。台湾でも、少年野球熱が高かった時代がありました。
「国語教育の支援」や「スポーツ振興」などの文化ODAが日本に向いているのではないでしょうか?
アフリカが、今後、中国経済成長を模範にして、共産党特権階級だけが富裕・権力集中になる「拝金資本主義社会」になっても、アフリカの諸国民は幸福にはならないと思います。
話は変わりますけれども、
安倍外交の中国包囲網を形作るには、
モンゴルやチベットやウイグルなどの「言語文化のODA支援」も有意義だと感じます(これら諸国の自国語による辞書、教科書、歴史書、民間伝承づくり支援)
JICAの海外青年協力隊をもっと有効利用したらと思います。彼らの功績はあまり評価されていませんが, 総合的に彼らの業績を整理して、協力体制つくりをしたらよいと思います。インドネシアでの成功例は地域の保健所整備と「母子手帳」です。これによって幼児死亡率が下り、平均寿命が伸びています。欧米諸国から独裁政権とされているジンバウエの大統領が、日本からの援助をテレビで訴えていましたが、わが国独自の価値観に立っての外交政策を進めるべきですね。
インドネシアに残留してインドネシア独立運動を戦った日本兵で、インドネシアに骨をうずめている人物の行動・態度・意志を地元のインドネシアの人々は良く観ているのではないでしょうか?
台湾植民地時代においても、現地の台湾人に慕われ尊敬された日本人教師や技師、医者なども、その後の親日感情に大きく影響しているのではないでしょうか?
経済や技術協力は、勿論大切ですが、「札びら」だけで親日になることは、どこの国でもあり得ないと感じます。