「白玉の歯にしみとほる秋の夜の酒はしずかに飲むべかりけれ」(牧水)
歌人の若山牧水がちょうど今ごろの季節に「酒」を歌ったものだ。昨日その牧
水ゆかりの社団法人沼津牧水会から新刊の「牧水 酒のうた」を頂戴した。
牧水が「酒」について詠んだ歌367首が収録されている。この中に亡父との
送別会の席上、牧水が即興に白地の扇子に書いた一首ー
「わが友を見送るけふのわかれの酒いざ酌めな別れゆかぬと」も載っていた。
亡父は大正10年8月から翌11年2月まで、東京の新聞の記者として沼津に勤
務していたが、その半年間、大学が同窓だったこともあり、牧水の知己をえた。
当時二人とも30代の半ばだったが、カネには恵まれず記者クラブの部屋など
で他の仲間と一緒に沼津駅の駅弁をサカナに呑んでいたようだ。
昨年10月、僕はわが家の書庫に眠っていた牧水の上記扇子を沼津で催された
「碑前祭」の席上、沼津牧水会(林茂樹理事長)に寄贈した。幸いこの歌は「若
山牧水全歌集」に未収録のものだった。亡父はこよなく沼津を愛していた。それ
だけに牧水の扇子の82年ぶりの”里帰り”はよかった。恐らく父も牧水と酌を交
わし、昔話に花を咲かせていることだろう。
「牧水 酒のうた」は「日本ほろよい学会」会長、佐々木幸綱・早稲田大学教授の
解説、牧水の酒にまつわる歌367首と随筆4編、略年譜が掲載されている。
定価500円、沼津牧水記念館売店で取り扱っています。
歌人の若山牧水がちょうど今ごろの季節に「酒」を歌ったものだ。昨日その牧
水ゆかりの社団法人沼津牧水会から新刊の「牧水 酒のうた」を頂戴した。
牧水が「酒」について詠んだ歌367首が収録されている。この中に亡父との
送別会の席上、牧水が即興に白地の扇子に書いた一首ー
「わが友を見送るけふのわかれの酒いざ酌めな別れゆかぬと」も載っていた。
亡父は大正10年8月から翌11年2月まで、東京の新聞の記者として沼津に勤
務していたが、その半年間、大学が同窓だったこともあり、牧水の知己をえた。
当時二人とも30代の半ばだったが、カネには恵まれず記者クラブの部屋など
で他の仲間と一緒に沼津駅の駅弁をサカナに呑んでいたようだ。
昨年10月、僕はわが家の書庫に眠っていた牧水の上記扇子を沼津で催された
「碑前祭」の席上、沼津牧水会(林茂樹理事長)に寄贈した。幸いこの歌は「若
山牧水全歌集」に未収録のものだった。亡父はこよなく沼津を愛していた。それ
だけに牧水の扇子の82年ぶりの”里帰り”はよかった。恐らく父も牧水と酌を交
わし、昔話に花を咲かせていることだろう。
「牧水 酒のうた」は「日本ほろよい学会」会長、佐々木幸綱・早稲田大学教授の
解説、牧水の酒にまつわる歌367首と随筆4編、略年譜が掲載されている。
定価500円、沼津牧水記念館売店で取り扱っています。
昔の人は、本当に風流でしたよねぇ。
昔といっても、そんな昔ではないのに、現代とはまったく様子が違ってしまいました。
今では、探さなければ風流なことに出会えなかったり、感じなかったりしますよね。
扇子を沼津に寄贈して、お父様も牧水氏も、大変お喜びになられていると思います。
今頃なにをお話しているでしょうね。
大正デモクラシーなどとよく言われますが、貧困だったが、穏やかな時代だったのかも知れませんね。
人口も少なく、社会も今のように複雑ではなかったのでしょう。亡父は若い時は大酒のみで失敗し、沼津へ都落ちしていました。牧水はご存知のとおりで、父と会った時は経済的にも最低だったそうです。牧水は43歳で肝硬変でなくなり、父は84歳まで生きました。