「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

             「仰げば尊し」「蛍の光」から70年

2013-03-26 08:09:47 | Weblog

昭和18年3月25日、「仰げば尊し」「蛍の光」を共に歌って母校の校門を後にしてから70年になる。写真はその時のアルバムである。表紙には「昭和18年3月 初等科終了記念 東京市第二日野国民学校」とある。ついで「教育に関する勅語」「青少年学徒に賜りたる勅語」のページがあり写真が3枚ある。1枚は校舎をバックにした同期6年1組(男組)55人と恩師ならびに保護者会役員の写真。3枚目は宮城(皇居)二重橋前の2組(女組)を交えた全体のものである。
あれから70年、残念ながら、わが学び舎は20年5月25日のB-29の爆撃で焼失、校名まで戦後の都心の人口過疎による学校統合でなくなってしまった。55人いた同期の学友も現在、年に一回の同期会に集まれるのは僅か3人になってしまった。3年前までは名古屋と安曇野から2人集まっていたが正式な会は解散した。まだ何人かは連絡が取れるのだが「認知症」で、昔、共に竹馬に乗った仲の僕らの名前さえ忘れている。
戦中戦後の過酷な時代を体験した世代である。同期の55人のうち、卒業してから一回も顔を合わせたことがない友が28人もいる。20年ほど前から熱心な幹事がいて、新聞に何回も同期会開催のお知らせを載せたが反応はない。
卒業のアルバムを改めてみて時代を感じさせる。男の子の僕らは皆、頭が丸刈りで胸には名前の布が縫いつけられている、校長先生や保護者会の幹部の中には国民服を着ている。でも、まだこの時期は戦況はよかった。やがてガダルカナルが落ちアッツ島の玉砕が伝えられ、日本は敗北への道をかけ下って行った。

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2 コメント

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激動 (chobimame)
2013-03-26 15:38:09
小学校卒業時にクラスが何人いたなど覚えていません。私の記憶力の問題もあると思いますが、何か強く印象付ける出来事もなく、時代でもないからかもしれません。
学生時代の思い出が、常に戦争とリンクされているのは悲しいですね。
節目節目で思い出が語れることは、それだけ激動な時代だったのでしょうね。
昭和40年くらいからは、若者はシラケていて、のっぺりとした時代なのだそうです。
平和は幸せなはずなのに、なんだかおかしな話です。
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今は平和 (kakek)
2013-03-26 17:26:30
chobimame さん
今日、3人で昼飯を食べながら昔の話をしましたが、やはり空襲でどこへ逃げたかといったことばかりです。30人も消息が不明というのは異常です。でも、こうして昼間からビールを飲めるのは平和な証拠で今は幸せですね。
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