今朝早く(午前4時)からのNHKラジオの深夜便「明日への言葉」で、戦時中の学童疎開の子供たちと特攻隊員との”しばしの”交流の記録を放送していた。昭和19年から20年にかけて東京の代沢国民学校(世田谷区)の学童が長野県松本郊外の浅間温泉に疎開した。そこにたまたま満州の新京で編成された特攻隊員部隊が、出撃前の1か月、同じ温泉に滞在していた。番組はその間の交遊録の紹介だが、疎開学童と特攻隊員という意外性もあり、当時を伝える隠れた貴重な記録である。
この番組を最後まで聞いたため、普段より寝坊してPCを開いたら驚いた。毎日更新している小ブログの訪問者数が9052PV,閲覧者数6177ID,ランキング22位と、普段に比べて一桁違うのである。ブログを始めて7年目に入り、トータル訪問者数100万PVを数えるが、これは過去2番目に高い記録である。この高い訪問者数を反映して、過去の小ブログにも目を通していただいたのであろう。沢山の方からコメントを頂いた。ブロガ―としてこれほどの名利はない。
僕は70年前の写真アルバムに、写真と共に「教育勅語」と「青少年に賜りたる勅語」をそのまま載せた。恩師と共に保護者会の幹部の写真も載せた。皇居前の卒業記念集合写真も載せた。当時の教育の一端がうかがえると思ったからである。代沢小学校の当時の疎開児童たちは、先生の教えで自らを「鉛筆部隊」と称し、疎開時の記録を日記にして残していた。そのおかげで、当時の事が後世にも伝えられた。
小ブログにコメントが多かったのは”「修身」(道徳)の教科化に反対”についてでであった。賛否両論頂いたが、9年間修身教育で育った僕ら世代にはごく単純に「修身」という言葉に抵抗があると言いたかったにすぎない。コメントの中には”子供より曾野(綾子さん?)みたいな老人を教育すべきである”といのもあった。でも、曽野さんにしても僕にしても、電車(近距離)の中で飲食したり、大騒ぎしたり、老人がきても席を譲らなかったことは子供時代にはなかった。
戦前と戦後の日本はあまりにも変わってきた。そのために今の若い世代については誤解される向きがある。当時の体験がある僕ら高齢者は事実を後世に伝える義務がある。従って小ブログも、かりに「私説」であっても責任を感じなければならない。
(写真は昭和18年3月、現在の羽田国際空港沖の浅瀬に潮干狩りに行ったときの記念。70年でこうも変わる)
この番組を最後まで聞いたため、普段より寝坊してPCを開いたら驚いた。毎日更新している小ブログの訪問者数が9052PV,閲覧者数6177ID,ランキング22位と、普段に比べて一桁違うのである。ブログを始めて7年目に入り、トータル訪問者数100万PVを数えるが、これは過去2番目に高い記録である。この高い訪問者数を反映して、過去の小ブログにも目を通していただいたのであろう。沢山の方からコメントを頂いた。ブロガ―としてこれほどの名利はない。
僕は70年前の写真アルバムに、写真と共に「教育勅語」と「青少年に賜りたる勅語」をそのまま載せた。恩師と共に保護者会の幹部の写真も載せた。皇居前の卒業記念集合写真も載せた。当時の教育の一端がうかがえると思ったからである。代沢小学校の当時の疎開児童たちは、先生の教えで自らを「鉛筆部隊」と称し、疎開時の記録を日記にして残していた。そのおかげで、当時の事が後世にも伝えられた。
小ブログにコメントが多かったのは”「修身」(道徳)の教科化に反対”についてでであった。賛否両論頂いたが、9年間修身教育で育った僕ら世代にはごく単純に「修身」という言葉に抵抗があると言いたかったにすぎない。コメントの中には”子供より曾野(綾子さん?)みたいな老人を教育すべきである”といのもあった。でも、曽野さんにしても僕にしても、電車(近距離)の中で飲食したり、大騒ぎしたり、老人がきても席を譲らなかったことは子供時代にはなかった。
戦前と戦後の日本はあまりにも変わってきた。そのために今の若い世代については誤解される向きがある。当時の体験がある僕ら高齢者は事実を後世に伝える義務がある。従って小ブログも、かりに「私説」であっても責任を感じなければならない。
(写真は昭和18年3月、現在の羽田国際空港沖の浅瀬に潮干狩りに行ったときの記念。70年でこうも変わる)
それに付けても、拙BLOG ↓
http://bup7.blog37.fc2.com/
見るのは自分だけ・・・。
(拙BLOGのPRを兼ねて・・・)
さて、羽田の潮干狩りの写真、懐かしかったです。
子供の頃、羽田、森ヶ崎には、潮干狩りに家族で再々、行ったことを想い出しました。
沢山獲れましね、ドンゴロスの袋一杯くらい獲れて、ご近所に配ってました。
此のお写真の半年くらい前に、小生は此の羽田飛行場より空路セレベス島のマカッサルに向かいましたが、満17歳になる前でした。
四つ違いですが、随分違いますね。写真の場所は特定できませんが、大鳥居より大森よりだと思います。あの時代商業航空はなかったから軍事用にだけ使用されていたのですね。森ヶ崎海岸には潮干狩り客の小屋があったのを思い出します。
戦争は、そんな昔の出来事でもないのにすっかり風化し、日本中が変わってしまいました。とくに人の劣化は激しくて、国の将来が不安でもあります。みなこれではいけないと気がついているはずですが、しかし履き違えた自由を修正する事が出来ません。これから先、もっと賢い国と人になれば良いですが。
有難うございます。正直言ってどんなテーマが皆さんの興味関心があるのか依然わかりません。基本的には最新のニュースを老人の目から経験に基づいて書いています。自分では今日は決まったと思っても訪問数は少なく、逆に話題に困り、苦し紛れに書いたものが人気があったりします。いずれにせよ、若い世代に過去の歴史を正しく伝えるのは義務だと思っています。
修身教育について、たくさんの方からコメントを頂戴しました。国民の関心の高さが覗われます。異見もありますがママにしておきました。
ブロガー殿も、今後とも、続けていただきたく、願います。
ブローガ様これからもよろしくお願いします。
まさに積み重ねです。更新2600回を超えましたが、最初の頃は訪問者も一ケタでした。今後ともご指導のほどお願いします。ちなまいに昨日書いたブログも72位でした。狂い咲きかもしれませんが、うれしい事です。
有難うございます。この欄を借りて失礼ですが、4月2日((火)11:30amからせデルハナで昭和12年にレコード化された「Terang Bulann」をテープで聞きます。女性歌手のRoekiahaが歌い当時映画にもなってヒットしたものです。
たまたまブログで知り合った秋田在住のクロんチョン愛好家4月2日上京、僕と会いたいといってきました。この愛好家にによると、Roekiah さんは97歳でソロに健在だそうで、4月9日彼女と会うそうです。
なお、この愛好家によると、この歌は19世紀フィリッピン..ミンダナオの歌で、ミンダナオからセレベスに渡り、その後各地に伝わったとのことです。
よろしければ、ご参加を。
了解しました