日本軍政期インドネシア史料展を総括するワークショップが昨日、立教大学図書館で,午前の部だけ参加、僅かな時間だが史料展を見せておらった。ワークショップの会場は平日、しかも英語使用なのに50人の席はいっぱい、関心の深さをうかがわせた。主催者の一人がスマトラでの労務者虐殺の虚報を流布したり、慰安婦問題を曲げて解釈しているだけに、僕は従軍世代の先人たちの"俺たちが死んだら奴らは何をしでかすか”という言葉もあり、杖をついての参加であった。
昨日の小ブログで、僕は問題は展示物の歴史解釈だと指摘、戦時中軍政下のことでも戦争中の銃後の生活が理解できないと誤解すると書いたが、やはり展示品の一つ、テデン(ジャワ〉の民間人収容所の人たちが宮城遥拝している絵にそれを感じた。敵性民間人(一般市民ではない)収容者は”俘虜”と言わないし、キャプションには、"義務づけられた天皇陛下への敬礼”とあるが、当時、宮城遥拝という儀式はあったが、陛下への敬礼という儀式はなかった。戦時下は毎月8日の大詔奉日には学校でも職場でも国旗掲揚、宮城遥拝はがセットで行われていて、”捕虜”にもあったのだろうが、一般市民ではない。
しかし、展示物は一級品であり会場では、当時日本で制作されたニュース映画が流れており、蘭印軍がカリジャテイ全面降伏した調印式などもな見られるが、会場が図書館の関係でサイレントなどは惜しい。そりょり、日本人の中で、カリジャティの名前を知っている者はどれだけいるだろうか。
写真は天皇陛下への敬礼式、一般市民ではなく収容所の女性。インドネシアでの展示会「bedil & sakura」(銃砲と桜)パンフから。
後世に正しい歴史や、当時の風習などを伝えるにはどうしたらいいのでしょう。
大学なども反日学者が闊歩していますから、正しい歴史を伝えることがどんどん困難になってきている気がします。このままでは外国や反日学者が作った歴史が正しい歴史になってしまいます。
戦前、亡父は新聞に掲載された天皇の写真でも神棚に挙げ拝んでいました。今では考えられない時代です。敗戦を機に日本人の考えは180度転換しています。これが誤解を呼ぶ一因な気がします。思いつきのようですが、禁止されている、戦争中の映画を上映、正しい注釈つきで公開したらどうだろうか。
敵性民間収容所には連合国の婦女子が収容sれていましたが、戦後待遇が悪かったとして日本人(朝鮮人)十数人が戦犯として逮捕され処刑さています。戦争とは不幸を呼ぶだけです。
反日学者の一方的な発言を信じ込んではいけません、