あのトラさんこと渥美清の朋友だった関敬六が他界した。浅草をこよなく
愛した浅草の古き良き時代の最後の芸人の一人だった。芸能界にはうとく
知人もいない僕だが、一度だけ関敬六と会い話したことがある。昭和30年秋、
僕が”かけ出し記者”で上野・浅草方面のサツまわり(警察担当)をして
いたころだ。フランス座の楽屋で彼から話を聞いた。関敬六の履歴によると、
当時彼はまだ下積時代である。僕の記憶では彼はストリップの司会をして
いたが、派手な職業に似あわわず、律儀な人だなーとの印象を受けた。以来
半世紀以上、僕は彼に会っていなかった。
一期一会という言葉がある。茶の湯の心得で「茶会に臨む際は、その機会を
一生に一度のものとし、主客ともに誠意をつくせ」という意味だそうだ。
人の一生には数多くの人との出会いがある。1年365日、人生50年とし1日1人
に会ったとしても18万2,500人の人との出会いがある。この出会いの中でいま
何百人、何千人の人の記憶があるだろうかー。いわんや一期一会となるとなる
とー。
最近逝去された作家の吉村昭とも昭和53年、札幌でお会いした。子供の
大學の父兄会の会長をされていたころである。一言お話しただけで作風その
ままの誠実さがうかがわれた。やはり一期一会の精神であった。むかし取材で
力道山とも一度だけ話をしたことがあったが、その応対には誠実さがにじみ出て
いた。これも一期一会である。(敬称は省略)合掌
愛した浅草の古き良き時代の最後の芸人の一人だった。芸能界にはうとく
知人もいない僕だが、一度だけ関敬六と会い話したことがある。昭和30年秋、
僕が”かけ出し記者”で上野・浅草方面のサツまわり(警察担当)をして
いたころだ。フランス座の楽屋で彼から話を聞いた。関敬六の履歴によると、
当時彼はまだ下積時代である。僕の記憶では彼はストリップの司会をして
いたが、派手な職業に似あわわず、律儀な人だなーとの印象を受けた。以来
半世紀以上、僕は彼に会っていなかった。
一期一会という言葉がある。茶の湯の心得で「茶会に臨む際は、その機会を
一生に一度のものとし、主客ともに誠意をつくせ」という意味だそうだ。
人の一生には数多くの人との出会いがある。1年365日、人生50年とし1日1人
に会ったとしても18万2,500人の人との出会いがある。この出会いの中でいま
何百人、何千人の人の記憶があるだろうかー。いわんや一期一会となるとなる
とー。
最近逝去された作家の吉村昭とも昭和53年、札幌でお会いした。子供の
大學の父兄会の会長をされていたころである。一言お話しただけで作風その
ままの誠実さがうかがわれた。やはり一期一会の精神であった。むかし取材で
力道山とも一度だけ話をしたことがあったが、その応対には誠実さがにじみ出て
いた。これも一期一会である。(敬称は省略)合掌
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