今朝(9月9日)の新聞各紙に宮内庁から発表された「昭和天皇実録」が一面トップで数ページを使って掲載さていた。昭和天皇時代の58年間(昭和6年~64年)、この世に生を受けた僕は、一入関心を持って読ませて貰った。戦前、天皇陛下は”生き神様”であり、新聞に載った陛下の写真を神棚に祀った時代をしっている世代にとっては、戦前の陛下の私生活や戦中空襲下でのご生活は初めて接するものばかりであり、興味深く読ませて頂いた。
ただ戦後の陛下の言動の中には、この「実録」では判らないものもあった。その一つは、いわゆる「富田メモ」である。「富田メモ」とは昭和63年、当時の宮内庁長官、富田朝彦氏が昭和天皇に謁見したさい、天皇陛下がいわゆるA級戦犯の靖国神社への合祀に反対され、それを理由に靖国神社を参拝していない、と述べたとされるメモで、平成18年になってこのメモが日本経済新聞に特ダネの形で掲載された。
「昭和天皇実録」はこの問題について「昭和63年4月28日、天皇陛下が富田長官に対して靖国神社のA級戦犯合祀、御参拝について述べられる」と触れているだけで、天皇陛下の言辞はない。一方、平成18年、富田メモが発見され、この中で昭和天皇がA級戦犯合祀に不快感を示し、それ以降陛下が靖国神社に参拝されなくなった、というメモを紹介している。宮内庁は「富田メモは断片的でいくつもの解釈ができるため、陛下の正確の気持ちが判らなかった」と説明している。
毎日新聞は「昭和天皇実録」は天皇陛下の靖国不参拝を追従したものだと解釈している。しかし「実録」には直接「富田メモ」に書いてあるような記述はない。実録といっても「謎」はまだ残されいる感じだ。それにしても昭和天皇のご一生(1901~1989)は、波瀾万丈大変な時代であった。
ただ戦後の陛下の言動の中には、この「実録」では判らないものもあった。その一つは、いわゆる「富田メモ」である。「富田メモ」とは昭和63年、当時の宮内庁長官、富田朝彦氏が昭和天皇に謁見したさい、天皇陛下がいわゆるA級戦犯の靖国神社への合祀に反対され、それを理由に靖国神社を参拝していない、と述べたとされるメモで、平成18年になってこのメモが日本経済新聞に特ダネの形で掲載された。
「昭和天皇実録」はこの問題について「昭和63年4月28日、天皇陛下が富田長官に対して靖国神社のA級戦犯合祀、御参拝について述べられる」と触れているだけで、天皇陛下の言辞はない。一方、平成18年、富田メモが発見され、この中で昭和天皇がA級戦犯合祀に不快感を示し、それ以降陛下が靖国神社に参拝されなくなった、というメモを紹介している。宮内庁は「富田メモは断片的でいくつもの解釈ができるため、陛下の正確の気持ちが判らなかった」と説明している。
毎日新聞は「昭和天皇実録」は天皇陛下の靖国不参拝を追従したものだと解釈している。しかし「実録」には直接「富田メモ」に書いてあるような記述はない。実録といっても「謎」はまだ残されいる感じだ。それにしても昭和天皇のご一生(1901~1989)は、波瀾万丈大変な時代であった。
実録といえども心情的なものは、陛下のお心の中におしまいのままなのかもしれません。
陛下から見た時代の空気を一読してみたいものです。
平民にはわからない苦労がおありの事でしょうから。
戦後、人間天皇を宣言すまで、国民から”生き神様”視扱いされていただけに興味深い点が数々ありますね。戦後全国を巡幸された時の写真が新聞にありましたが、国民へのお詫びの気持ちがあったのでしょうね。あの空襲下皇居の地下におられ、皇太子(今の天皇陛下)は奥日光へ学童疎開されており、国民同様苦労されたのですね。大変な時代、まだ40歳代であり、一つのことを決断するのも大変だったのでしょう。
「富田メモ」は多分、天皇の気持ちだったと思います。
しかし、天皇陛下としては、あまりにも政治的なものです。誰が決めたのか、新聞報道という形で公表しなければよかったと思いますが。