「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

「サイタ サイタ サクラガ サイタ」 「コマイヌサン ア コマイヌサン ウン」

2013-03-20 07:22:09 | Weblog
家のまわりの暗渠の上の桜並木の桜がほころび始めた。一分から二分咲きといったところか。この季節になると、76年前小学校1年の時、初めて習った「国定小学校国語読本」巻一にあった「サイタ サイタ サクラガ サイタ」を想い出す。この読本は昭和8年から15年まで使用されていたから、いま後期高齢者と呼ばれる世代の人にとっては懐かしい。色刷りの教科書で「サイタ サイタ」の後は「コイ コイ シロ コイ」「ススメ ススメ ヘイタイ ススメ」と続いていた。

戦時体制になり小学校が国民学校と変わった昭和16年から国語読本の巻一も「サイタ サイタ」から「アカイ アカイ アサヒ」になった。敗戦時までこの教科書は使用されていたから昭和9年から13年までに生まれた世代はこれを学んだ。この教科書は一般には「アサヒ読本」と呼ばれているそうだが、僕はこのブログを書くまで「コマイヌサン」読本だと思っていた。ところが、調べると「コマイヌサン ア コマイヌサン
ウン」は「アカイ アカイ アサヒ」「ハト コイ コイ」に次いで三番目の文章だった。何故、僕は「コマイヌサン」と記憶していたのか、解らないが、多分子供心に狛犬に違和感があったのかもしれない。

僕が小学校に入学した昭和12年4月1日は、亡父の日記によると東京は桜が満開であった。僕は近所の高等小学校の兄ちゃんに手を引かれて登校したが、校門の横の桜が満開であったことを今でも覚えている。それから僅か3か月、この年の7月7日、盧溝橋で事変が勃発、20年8月15日まで8年にわたる長い長い戦争の日々が続くことになった。

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4 コメント

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サイタ サイタ (大正生まれ)
2013-03-20 12:35:24
数日前より風邪気味で引き籠り中であります。 
小生儀、小学一年生の時の”読み方”の出だしは「ハナ ハト マメ マス ミノカサ」でありました。
翌年から変わったようであります。
戦争のセの字も無かった平和な時代でした。
それから十年後に戦争をさせられるとは、夢にも思ったことは御座いません。
今の子供さん達も、そう思っているでしょう。
平和が続いてほしいと、思ってます。
手前住居前の桜が咲きました。 ↓
http://bup7.blog37.fc2.com/
♪ 咲いた桜が男なら~、慕う胡蝶は妻じゃもの~・・・
なんて言う歌は、もう歌いたく御座いませんね。
風邪気味に付き、これから寝床へ。
失礼しました。
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ハナ、ハト、マメ マス (kakek)
2013-03-20 14:13:40
大正生れ さん
貴重な世代ですね。二一テンサクの五も習われた世代ですか。海に近いので桜の咲くのも早いですね。
風邪お大事にしてください。7611
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覚えていない (chobimame)
2013-03-20 16:05:01
小学一年生の教科書のことは、まったく覚えていません。いったい何が書いてあったのか。
平和だと信じ、それが当たり前だと思っていた日常が、戦争により一変するのは辛いことですね。
生活の全てが戦争とリンクされるのは悲しいことです。
近隣国の嫌がらせに、日本もいつまで平和でいられるのかと不安です。
戦争はしたくありません。

大正生まれさん、お大事になさって下さい。
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国定教科書だから (kakek)
2013-03-20 17:42:03
chobimame さん
戦中、戦前は日本全国の小学校の教科書は文部省が定めた「国定」だったので、同時代意識が強かったのだと思います。しかし、有料でした。このため兄弟姉妹が多く、経済的に苦しい家庭では兄姉が使った”お古”を使ったものです。chobimameさんが記憶がないのは、このためだと思います。最近の子供の教科書はどうなんでしょうか?
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