「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

「安保法案」反対集会は民意ではない

2015-08-31 12:11:06 | 2012・1・1
「届かぬ民意 危機感結集 8.30安保反対集会 全国200か所以上」-8月31日付け東京新聞の一面トップ記事の見出しである。さすがにいつも東京新聞と同じような論調の朝日新聞、毎日新聞は、これほど大きく扱かっていなかったが、反対集会は、東京新聞の言うように、国民全体の民意なのだろうかー。

テレビのヘリから取った集会の写真は確かに大群衆だ。主催者は12万人といい、警察側は3万人と開きがあるが、最近にはない参加者である。主体は党派色や過激性を否定する学生たちだそうだが、中には音楽家の坂本龍一さんのような70年安保闘争の際、高校をバリケードで築いた60歳代の初老世代が目立つ。これに例によって、すべて反対の民主党や共産党それに小沢一郎さんのなんだか解からない政党まで同調している。

掲げているプラカードには、相変わらず「徴兵制反対」「戦争法案反対」に始まって「国民をなめるな」「安倍やめろ」など本来の集会の趣旨と違ったものが目立つ。参加者の中には、子供を同伴し家族連れもいて、かってのゲバ棒、ヘルメットの時代とは違うが、必ずしも学生たちがいうようなクリーンな集会とは思えない。

70年安保闘争前後のいやな世相を思い出す。全共闘による大学封鎖、東大安田講堂事件、よど号ハイジャック事件、あさま山荘事件など暗いものばかりだ。まだ、あの時代に郷愁を感じている連中がいるのだろうか。それと僕には、法案反対の旗頭、民主党の3年3か月の失政がオーバーラップされてくる。戦争体験世代は、安保関連法案の必要性は十分理解できるのだがー。

お経が読めなくなった日本人と子供の宗教教育

2015-08-31 05:12:29 | 2012・1・1
母方の実家の当主の母親の7回忌法要に招かれて参席した。最近東京では仏事が簡素化され、葬儀のあとは1回忌、3回忌までがほとんどだが、母方の実家では、昔通り50回忌まできちんと実施している。法要は天台宗の古い儀式に従って、事前に「般若心教」が渡され、最後に全員で唱えるのだが、約50人の参席者で、声を出して唱えられたのは、僕を含めて一人もいない。儀式が形骸化しているのだ。時代の経過で仕方がないのだが、戦前の遠い僕の記憶では、大人たちは皆声を出して合唱していた。

そんな記憶の中で、僕は昔、親に連れられてお寺参りした子供の頃を想い出した。戦前は葬儀だけではなく、子供が回忌の法要にも参席する機会が多かった気がする。子供心にお寺の静寂な雰囲気を感じとり、本堂脇に飾られた閻魔(えんま)像や三途の川の番人といわれる正塚の婆像を畏敬の目で眺めた。そして、大人たちから”ウソをつくとエンマさんから舌を抜かれるぞ”とか、”悪い事をすると、あの婆さんに着物をはがれてしまう”といわれた。

昔の日本の庶民の家では、仏事を通じてこんな道徳教育が自然に行われていた。それよりも人間の死が、仏事法要を通じて今より身近な存在であった。子供たちは儀式に参加することによって生命の尊さを学びとった。最近、東京では「直葬」(じきそう)といって火葬場で宗教儀式なしの方法があると聞いた。今は葬儀の後、初七日から百か日まで同時に行う家が多いが、昔は1週間ごとに親族が集まり故人を偲んだものだ。

儀式の簡素化はある程度仕方がないが、出来れば主要な回忌だけは行いたいものだ。そして、子供たちにも儀式に参加させて、仏事、神事などを通じて道徳心を自然のうちに植え付けるのも、荒廃した世直しの一助になるのでは、ないだろうか。