「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

戦後 東久邇挙国一致内閣がまづやったこと

2015-08-16 05:20:49 | 2012・1・1
終戦の翌日、昭和20年8月16日の亡父の日記を見たら僅かなスペースの中に”この日鈴木(貫太郎}内閣総辞職、後継内閣総理の大命、東久邇稔彦殿下に下る。異例の事である”とあり、次いで17日には”東久邇内閣成立、未曽有の国難の中での挙国一致内閣”とある。さらに19日の日記には”賢上陛下(天皇陛下)、この日、東久邇首相宮を召され、灯火管制を解き、街を明るくさせる。そして娯楽を復活させ、文書の検閲を廃止せよ、とのお言葉を賜われ、政府は臨時閣議で直ちに実施することに決定”と書かれてあった。

8月19日は、終戦後最初の日曜日だったが、父はこの日の日記には”戦争終了後初の公休日である、外見的にはまだ世相は変化はないが、自分自身には相当変わったものがある。すでに防空頭巾や巻きゲートルは廃止し防空態勢から再起建設への第一歩のつもりである。よく気をつけてみると、街頭人の服装も国防色が次第に減ってきている。困るのは、無智都民のつまらぬデマ流布である”とも記されてある。

敗戦から僅か数日なのに、この変化である。中学3年生で軍需工場へ勤労動員されていた僕は、17日動員解除され、20日から学校が再開されると通知があった。亡父の日記を見ると、僕はこの間、船橋の従兄宅へ海水浴に出かけたり、小学校時代の友達の家へ泊まりがけで出かけたりしている。父も18日の日記には”渋谷のミューヘン(国民酒場)で生ビールを飲む”とある。燈火管制がなくなり、いち早く皆が解放感にしたり始めてきた事が解かる。