「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

             母校の攻玉社 開校150年

2012-12-09 07:19:17 | Weblog
母校の攻玉社が来年開校150年を迎える。その記念として昨日立派なカレンダーが届いた。母校は文久3年(1963年)蘭学者近藤真琴によって東京四谷に蘭学塾として開校された。校名のいわれは「他山之石 可以攻玉」(たざんのいし もってたまをみがくべし)からきている。攻玉社は明治の時代に入って芝の新銭座(今の芝浦)に移り海軍兵学校の予備校として知られるようになった。

僕は戦中の昭和18年4月旧制中学に入学、戦後の23年卒業しているが、当時の応援歌「大洋の水」の一節には”竹芝の浦に生ひしより、歴史は古き80年”とあったが、あれから70年経ち、今は”歴史は古き150年”と言い換えて歌っているのだろう。戦時中の事もあって、僕らは歴史の古いこともさることながら、先輩に軍神広瀬中佐や佐久間艇長をはじめ海軍の提督がキラ星のようにいることを誇りにしていた。

毎朝朝礼では校訓七か条の「尊王愛国」「恭譲敬愛」「清廉潔白」「至誠一貫」「質実剛健」「反省謝恩」「勤勉努力」をあまり意味も解らずに大声で唱えたりしたが、海軍予備校の伝統なのか、勤労動員中を除いて英語の時間はあった。学校によっては英語は敵語だとして禁止されていたようだが攻玉社では戦時向けの教科書だったがきちんとあった。

母校は今進学校として有名になっている。僕らの時代には陸軍幼年学校や士官学校、海軍兵学校に進学する者が多かったが、今は難関の国立大学や医大への進学率が高いようだ。文久3年といえば、幕末、近藤勇が新撰組の隊長になった年だ。150年の歴史の上にたって母校がますます発展することを祈る。