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「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

         杖をつきつき80老の海外独り旅(6) マゲラン

2012-11-20 06:50:47 | Weblog
テマングンの「英雄の日」式典に参加した翌日、バンバン.プルノモさんの案内で隣町のマゲランを訪れた。マゲランは戦時中第16軍の中部防衛司令部が置かれていた町で、敗戦直後の住民との間の兵器引き渡しをめぐる紛争で憲兵隊員10人が郊外の茶畑の中で殺され、戦後戦友たちによって慰霊碑が建てられている。僕は前から機会があったら、この慰霊碑に参拝したいと思っていた。

マゲランはオランダ時代から軍都だったらしく、古い兵舎や関連施設が残っている。バンバンさんの案内で、昔日本の憲兵隊本部があった所に行ったが、道を隔てた場所には兵器騒動の犠牲者を記念した銅像が建っていた。その近くには、独立戦争の英雄、スディルマン将軍の終焉の家が博物館となって残っていた。

僕はバンバンさんに憲兵隊員の慰霊碑参拝を申し出ていたのだが、バンバンさんが案内してくれたのは、郊外にある日本人が営む少女養護施設「ぺランギ」(虹)であった。この施設は元三菱自動車のインドネシア駐在員だった杉之内正行さん(73)が定年後、現地の女性と結婚、金融業を営みながら自費で建てた施設である。現在ここには両親を亡くした孤児など16人の少女たちが収容されている。「ぺランギ」の建物はどこかで見た建物だと思ったら戦後ラジオドラマで一世を風靡した鐘の鳴る丘のとんがり帽子の時計台を模したものだという。

鐘の鳴る丘は戦後の混乱の中で戦災孤児たちが元気に健気に生きていく姿を描いたものだが、このドラマ世代である杉之内さんは、インドネシアにお世話になった感謝をこめて、この施設を運営している。中学1年から高校3年までの少女たちは皆、明るく礼儀正しく、僕らにジャワ風に膝まづいで挨拶した。

憲兵隊員の慰霊碑に参拝する機会は逸したが、僕は杉之内さんに男のロマンを感じ、バンバンさんが憲兵隊の慰霊碑ではなくて意識的に「ぺランギ」を案内してくれたのではないかとさえ思った。亡くなられた憲兵隊員の方々も許してくれるのではないだろうか。