母の三十三回忌法要を昨日、身内だけで済ませた。三十三回忌は弔上げといって
直接,故人を知る人による最後の感謝報恩の機会だという。三十三回忌の後は五
十回忌だが、高齢者社会になって、五十回忌を弔う人も増えてきたのではー。僕も
心の隅のどこかでそんな期待感を抱いた。
母は昭和51年7月7日、七夕の日、当時僕が勤めていた北の都、札幌で84歳で天に
召された。母は東京生れ、故郷以外、外で生活したことがなかった。それだけに異
郷で埋葬されるのは可哀そうに感じ、東京に持ち帰った。しかし、母の葬儀は、当時
僕が勤めていた仕事の関係で、わが家としては多分、空前絶後の盛大さで変なとこ
ろで親孝行が出来た。
人生五十歳の時代と異なり、仏教、陰陽道を中心に組み立てられていた日本の伝統
行事も”見直し”の時にきたのではー。例えば「厄年」である。男の最後の「厄年」は数
えで61歳、女性に至っては37歳である。その後は「厄年」がなく、高齢者にとっては、
こんなによいことはない。
都会では、残念ながら古来の仏事にうとくなってきた。仏教の説くご先祖さまに対する
感謝謝恩の気持ちが薄くなってきている。人生最後の葬儀でさえ、形式だけで済ます
傾向にある。これでは、わが国の道徳律の基準の崩壊である。”後期高齢者医療制度”
の底流にある年寄り蔑視も、この反映かもしれない。
父の五十回忌はあと10年で弔うことが出来る。五十回忌の後の法要はない。せいぜい
長生きにつとめ、五十回忌を弔上げの法要にしたいと思っている。
直接,故人を知る人による最後の感謝報恩の機会だという。三十三回忌の後は五
十回忌だが、高齢者社会になって、五十回忌を弔う人も増えてきたのではー。僕も
心の隅のどこかでそんな期待感を抱いた。
母は昭和51年7月7日、七夕の日、当時僕が勤めていた北の都、札幌で84歳で天に
召された。母は東京生れ、故郷以外、外で生活したことがなかった。それだけに異
郷で埋葬されるのは可哀そうに感じ、東京に持ち帰った。しかし、母の葬儀は、当時
僕が勤めていた仕事の関係で、わが家としては多分、空前絶後の盛大さで変なとこ
ろで親孝行が出来た。
人生五十歳の時代と異なり、仏教、陰陽道を中心に組み立てられていた日本の伝統
行事も”見直し”の時にきたのではー。例えば「厄年」である。男の最後の「厄年」は数
えで61歳、女性に至っては37歳である。その後は「厄年」がなく、高齢者にとっては、
こんなによいことはない。
都会では、残念ながら古来の仏事にうとくなってきた。仏教の説くご先祖さまに対する
感謝謝恩の気持ちが薄くなってきている。人生最後の葬儀でさえ、形式だけで済ます
傾向にある。これでは、わが国の道徳律の基準の崩壊である。”後期高齢者医療制度”
の底流にある年寄り蔑視も、この反映かもしれない。
父の五十回忌はあと10年で弔うことが出来る。五十回忌の後の法要はない。せいぜい
長生きにつとめ、五十回忌を弔上げの法要にしたいと思っている。