「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

           母の三十三回忌に思う

2008-07-07 05:13:29 | Weblog
母の三十三回忌法要を昨日、身内だけで済ませた。三十三回忌は弔上げといって
直接,故人を知る人による最後の感謝報恩の機会だという。三十三回忌の後は五
十回忌だが、高齢者社会になって、五十回忌を弔う人も増えてきたのではー。僕も
心の隅のどこかでそんな期待感を抱いた。

母は昭和51年7月7日、七夕の日、当時僕が勤めていた北の都、札幌で84歳で天に
召された。母は東京生れ、故郷以外、外で生活したことがなかった。それだけに異
郷で埋葬されるのは可哀そうに感じ、東京に持ち帰った。しかし、母の葬儀は、当時
僕が勤めていた仕事の関係で、わが家としては多分、空前絶後の盛大さで変なとこ
ろで親孝行が出来た。

人生五十歳の時代と異なり、仏教、陰陽道を中心に組み立てられていた日本の伝統
行事も”見直し”の時にきたのではー。例えば「厄年」である。男の最後の「厄年」は数
えで61歳、女性に至っては37歳である。その後は「厄年」がなく、高齢者にとっては、
こんなによいことはない。

都会では、残念ながら古来の仏事にうとくなってきた。仏教の説くご先祖さまに対する
感謝謝恩の気持ちが薄くなってきている。人生最後の葬儀でさえ、形式だけで済ます
傾向にある。これでは、わが国の道徳律の基準の崩壊である。”後期高齢者医療制度”
の底流にある年寄り蔑視も、この反映かもしれない。

父の五十回忌はあと10年で弔うことが出来る。五十回忌の後の法要はない。せいぜい
長生きにつとめ、五十回忌を弔上げの法要にしたいと思っている。