決まった場所を作ってひとを集め、見せたり聞かせたりすることを考え出し、文化と名付けてそれを行うまでは、人間は成長を続けました。
声高らかに歌い、軽やかに舞い、物語を演じて見せる劇場を作り、人々に感動を与えるまではよかったのですが、ある人たちは、劇場で見聞きしたことを、共同生活の場に持ち込み、それが大掛かりになって、うかつにも政治の場で劇場のまねごとを始めてしまいました。
悪ぶりよぶりの芝居は、回を重ねれば上達していくように見えても、元来目的の違う行いの猿まねですから、底意はたちまち見透かされます。
芝居のまねごとは、下手を打ってしまえば、あとからどう言いつくろっても間に合いません。
そうなれば、人々に感動をあたえるどころか、恨みあいの嫌らしい見せつけかたを乱発して、何とか忘れずにいてもらう程度のことしか考えつきません。
人間の成長には、そこでまたブレーキがかかりました。