・・・・・・あわぞうの覗き穴・・・・・・

気が向いたときに、覗いてご覧ください。
何が見えるかは、覗く方々のお眼め次第です。

使わない新語

2010年05月14日 | Weblog
普段使わない言葉を使おうとすると、読んだり聞いたりした人にうまく通じない。
読み取ったり、聞き取ったり、そこまではなんとかしてくれるだろう。
何のことかはわかっても、それで読み手も聞き手も気分はすっきりしない。

何年か前の「文学界」誌に誰かの芥川賞受賞第一作というのが載っていて、そこにこんな風景のことが書かれていた。
「窓から送電塔が見えた」
ものがそこにあってそれを指す場合は、普通に使われる呼び方が必ずある。
それを確かめずに、普通では使われない呼び方を発明してしまうと、自分ではうまいと思っても、通じただけという結果になる。
送電線の鉄塔は、送電鉄塔とは呼ばれても、送電塔とは言わない。
MS-IMEで変換したら、最初に「宗電灯」と出てきた。
送電塔というと、広い電気栽培の農場があって、そこに電気を送るための装置を入れた無闇に高い建物が立っている、そんな風景を想像してしまう。

相川音頭に、海に落ちた弓を、鉄塔を使って拾い上げるという文句がある。
「エ」と思ったが、調べたらこの鉄塔とは熊手のことだった。

送電塔という呼び方に文句をつけるつもりはないが、この作の読みはじめに持っていた興味が、送電塔のくだりを過ぎてから、すーっとさめてしまった。
作者がちょっとした努力を怠ると、折角の読者が去って行ってしまうのではないか、そんな気がしたのである。

転嫁文化

2010年05月10日 | Weblog
フェリーが岸壁に衝突した事故が報道された。
原因は、速度が落ちなかったからだという。
速度が落ちなかったのではなく、減速しそこなったのではないのか。
 
船を操る人は、機械が悪かった、操縦が下手だったのではないと、とにかくがんばる。
その場ですぐにごめんなさいといってはだめと子供のころからしつけられているのだろうか。

弁護士という職業が大いにもてはやされている国では、裁き以前には責任を自分以外のところ、テンポラリー・ルームに追いやっておく習慣があるようだ。
転嫁文化という名を献上しようか。
ジョージ・ワシントンと桜の木の伝説のある国に、転嫁文化がなぜ浸透したのか。
もとはエコだろう。すぐ後にいるのはノミーちゃん。そこでのロジー君はまたテンポラリー・ルーム行き。

ある職業につく人が大勢いるところでは、その人たちの仕事が増えるように、人々はいろいろなことを考える。
そのためのシステムがうまく出来上がっていけば、エコばんざい。

カツゼツとにごり

2010年05月08日 | Weblog
羽田空港ターミナルの BIG BIRD をビックバードと放送するアナウンサーがいた。
日本人どうしなら、ビックと呼んでも big と聞き取るが、そうでない人もいるだろう。

古くからのクルマに、紳士好みといわれる Buick というのがあった。
カタカナにするとビュイックだが、こう聞いた覚えはない。ビウイックと書く人もいるがこうも読まれない。耳に残っているのはビックだけ。

何の話か見当がつけば big も Buick もビックで聞き分けられる。
クでもなくグでもないように、ビでもビュでもないように聞こえるように発音するのが日本語だろう。

新しい辞書だけに載っている滑舌という業界用語がある。
MS-IMEにもなかったのでいま登録した。
滑舌をよくしなさいと仕込まれるのだろう、アナウンサーと呼ばれる人たちの発音は、一音一音が区切られたようになっていて、いかにも歯切れよさそう聞こえてくる。
だがこれはデジタル式発音だから、音の歯切れがよくても、言葉の歯切れは必ずしもよくない。切り口上の部類に属して耳障りなのである。
放送原稿がカナでビックバードと書かれることもあるだろう。
放送されるとき、クでもなくグでもない発音で読まれれば耳に障らないのだが、それでは滑舌が悪いとされるのか、刃物で突き刺すような声でビックバードと叫ぶ。
これを聞いては、天気がよいから羽田にでも行って見ようかという気持ちにならない。

字で書いたように言うのが現代発音法なのか。
どこかで順序が逆転してしまっている。

新熟語ダメ

2010年05月07日 | Weblog
[流格]
一流、二流、三流ということばがある。超一流というのもある。
この類をなんと呼ぶか。
流のクラス分けなら流級でよさそうだが、この場合は分類だけではなく質の上下関係もあるから、流の格、流格か。

スポーツの放送では、応援や野次に負けまいとアナウンサーもとかく大声を出す。
何日か続けば声がかれてくる。普段の声も出なくなる。
そうなったのどを、また自慢げに別の放送をする。
怒鳴って声をからすのは、声の流格でいえば一流あるいは超一流の格には入らないだろう。

からさずに声を出す発声法もあるはず。
適度に会場の雰囲気を伝えながら放送がはっきり聞き取れるような雑音調整の装置もできるはず。
放送の流格は、アナウンサー個人だけでなく、放送システムの流格がどうかということになりそうだ。

蛙の卵

2010年05月06日 | Weblog
河津桜がまだ咲きはじめのころ、どんな様子かと見に行った。
男の児が2人で水溜りをあさっている。
「何がいるの」
「蛙の卵」
それから30分もたたない帰り道で、もう収穫を見せてもらえた。

♪ かわずが卵の時分には、かわず桜もまだつぼみ

蛙の子は蛙というから、蛙の卵も蛙か。何か忘れちゃあいませんか。
おたまじゃくし、これを忘れるのは音符の読めない人か。

おたまじゃくしで思い出す。
捕ってきた10匹ほどのおたまじゃくしを、これが全部蛙になったらどう始末するかなどと考えながら水槽に入れておいたら、翌朝1匹残らず姿を消していた。
先に水槽にいた金魚が全部始末してくれたのだ。
金魚め、きれいな姿をしていても、食うことにかけてはなりふりかまわずか。
それなら食っているところを見たかった。頭からなのか尻尾からなのか。

興味というものは、確かめても仕方のないところに湧くものじゃの。

面白散歩

2010年05月04日 | Weblog
散歩するなら初めての道、知らない道が面白い。初めて目にすることがあるから。
訓練でなければランニングもそうだろう。

大根の花、海岸でハマダイコンをたくさん見たあとだったので、これもはじめはハマダイコンに見えたが、畠にあるのだからそうではない。ハマダイコンよりも色が白い。
ずっと一つのものを見続けていると、似ているものがみなその仲間に見える。どんなことにもこういう錯覚はありそうだ。

花は種を採るためのものだろうか。その脇に大根を寝かせておくのは何かのまじないか。
干すのなら畠の土の上にじかに置くことはしない。それに時期はずれ。
この間たくあん屋の爺さんに聞いた話では、暖かくなると大根が乾かなくなるから、たくあん作りは2月までということだった。
大根と花、その脇に立ったときはぼやっと見ていて気づかなかったが、根が寝ていても花は天に向かってまっすぐ立って咲くのだった。

錯覚が二つも重なると、おも面白い。どもったように面白い。

先立つもの

2010年05月03日 | Weblog
樹が歩道に立っているのではない。
樹のあったところに歩道ができてしまったのだ。

ボクは先住、先立ちと言ったほうがよいか。
だから、足元を踏んづけられても、水が涸れそうになっても、とにかくがんばる。