・・・・・・あわぞうの覗き穴・・・・・・

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「こころ」を読む

2010年05月15日 | Weblog
あるきっかけから、高校教科書に最も多く採用されているという漱石の「こころ」を読み直してみた。
読み直しと言っても、記憶にあったのは書名だけで、初めて読んだのと変わらない。
いまさら買って読む元気もないので、図書館から3冊借りてきた。
なぜ3冊もか、ここにいわくあり。

図書館から本を借りる場合、ネットで検索し予約しておき、知らせが来たら借りに行くことにしている。
「こころ」「漱石」で検索し、ぞろぞろ出てきたなかから、文字の小さい文庫本を避け、全集なら読みやすかろうと平凡社の「世界名作全集」を選んで予約した。

貸し出しの用意ができたと連絡があってとりに行くとき、受け取るだけならと眼鏡を持たなかった。
「これでよろしいですか」と言われて背文字を見たが、はっきり見えない。
古ぼけた小型のものをこれが全集かと思いながらとにかく借り出し、帰ってからよく見ると、その全集が、字は7Pと8Pの間の6号ぐらい、版の大きさは文庫並みだった。昭和34年の版で紙もだいぶ焼けている。
全集が大判本とは限らなかった。

これはだめだと、また別の日に図書館まで出かけて行って探した。
あるある、漱石全集は4~5種類もあった。
ほるぷ出版の漱石全集は、文字が大きくいちばん読みやすいが「こころ」が入ってない。
仕方なく角川の「日本近代文学大系」から探し出した。
これは、字は10Pぐらいでまあまあだが、全部の漢字にふりがながついている。
「私が愈立とう」に「わたくし いよいよた」とおまけがつく。
長いふりがなは文字の間隔をわざわざ広げなければおさまらないので、行が間延びしたものになる。
おまけにこの印刷は行間に余裕がない。
詰めたほうがよいところは広がっていて、空間の欲しいところは詰まっている。
目がちらちらしてまことに読みにくい。

これもだめだと、もう一度ネットで書名と出版社を条件にして検索、ようやくほるぷの「日本の文学」に入っているのを借りることができた。
10Pより大きい5号活字で行送りも8ミリ以上あって、これは読みやすい。
本はやはり現物を確かめてから買ったり借りたりした方がよい、とあらためて思った。

さて、この本は、図書館の整理シールを見ると、なんと児童図書館の蔵書になっている。
三角関係の果てに自殺で終わる本が、なぜ児童図書なのか、また国語の教科書に載るのか、理解に苦しむところだ。
蔵書の場や掲載を決めるときに、書名と著者しか見ていないのではないか。

それはともかく、中身のことに触れなければ話にならないので、本題に入る。

暮らしの中で、余計なことは知りたがらない、余分なことは話さない、これが普通の人間のこころのように思っていた。
知って欲しくないことを打ち明けてしまうには、命と引き換えの覚悟がいることさえある。
一方、知ってどうするというようなことを、無闇に知りたがる人もあちこちにいる。そんなことが書かれている。

前世紀の終わりごろから、情報化という化け物のお陰もあって、知りたい、聞きたいという身勝手な興味のままに、相手のことを考えずにキリやノミで突っつき散らすような人が増えてきた。そして、自分の興味がある程度満たされた人は、それでコミュニケーションがはかれたなどと得意顔になる。

こころのうちをわかるまでに至らず、知ったつもりになるだけでも、発掘研究者のような執念がなければできない。
また、こころのうちの最もだいじなところを知らしめ理解させようとするには、ヌーディストに宗旨替えするような勇気がいる。
心の病をもっていて気の毒な状態にある、あるいは人に危害を加える心配がある、そんな人のことでないなら、お互いにもう少しさらっと付き合うように、そうすれば世の中もっと住みやすくなるだろうと、あらためて感じた。
            (7年前のメモから)