・・・・・・あわぞうの覗き穴・・・・・・

気が向いたときに、覗いてご覧ください。
何が見えるかは、覗く方々のお眼め次第です。

常識は蠕動する~不思議であるような ないような:2

2015年01月19日 | つぶやきの壺焼

生きものは、ずるずると、形を変えてうごめくことがあります。
ぜんどうというその動き方です。
やわらかい虫を表した蠕には「じゅ」という漢音もあって、普段何気なく使っている需要の「需」が、求めることと、やわらかさとの、両方の意味を持っていることに思いをあらたにさせられます。

千五百年ほど前、アジア大陸には、蠕蠕「ぜんぜん」あるいは「じゅじゅ」と呼ばれた遊牧民族があったそうです。
少しずつ必要なものを求めて移動を続け、ときには乱暴があったにしても、どこかのその上をゆく乱暴ものに追い散らされたか皆殺しにあったか、いまはもういろいろな呼び名を残すだけになりました。


蠕動するのは生物だけではなく、人びとの日常の考えもじわじわと変わっていきます。
常識の蠕動です。

主要国の首脳が手を取り合った力の集合体が、元来力を持たない人々が行っていた街角の示威運動に似たデモを始めるなど、世界の常識は大蠕動をしています。

半世紀以上も前に裁きの済んでいることを、言いがかりの材料にして責め立てられたときにも、ひたすら謝り続ければ許してもらえるだろうというような、優しい大和ごころは、すでに世界の常識から置き去りにされています。

蠕動は、内にもった力によるもので、その力がなくなれば、固化して粉々になるか、大地に埋もれて化石になるかしかないでしょう。
そのことに気付かなければ、大きな組織のつもりのそのまた上には、1億人を超える人々の命運のかかった、さらに大きな組織があることを、迂闊にも忘れてしまうのではないかと、これは昨夕の空虚な叫び声を聞かされたときの感想であります。

にほんブログ村