冬山をなめてかかって遭難する人のニュースは、毎冬欠かさずに伝えられます。
天気予報ははずれて当たり前と思っていても、自分の都合次第で急に正確度を増します。
なぜこんな日に、予報では晴れると言っていた、という予報予知依存症の後期症例です。
予報が違っていたことがわかった後にもまだ依存しているのを、後期症例と言ってはみましたが、これは後期より衰期、あるいは残期としたほうが当たっているかもしれません。
勝手な呼び名はどうあれ、情報がヒトモノカネの譬えの仲間入りをして、もうだいぶ経ちます。
それでもなお、というより、だからこそ、予報予知依存症が増えるのは、お知らせ漬けで人々の感覚が弱化しているからに違いなさそうです。
これは、個人の病というより、情報依存症という社会病、社会が罹るやまいのように思います。
今日は晴れてはいますが、寒いです。