ゴリラが何かを投げつけてくる。これは動物園来園者の重要留意事項の一つでしょう。
ものを投げる生物は、人類に近い形をしているように思います。
投げるのでなく、飛びつく、喰らいつく、突付く、すり寄る、何もせずに見せる、人類とのかかわりの動作はいろいろで、動物性からだんだん遠のくに従い、それ自身の悦びは人類から遠さかりますが、つつましさを見せるだけの「花」などは、人々に安らぎを与えてくれます。
人間にも、投げて悦ぶ習性があるようです。
投げるもの、悦びの度合い、投げて悦ぶか見て悦ぶか、投げるときに集団になっているかいないか、投げる距離、見る距離などさまざまであっても、投げる瞬間は一人ずつです。いや、違いました。胴上げがありました。ここには書けないもっと酷いこともあります。
ブロッコリートスという愚行が、結婚式の後に祝いのしるしとして行われる地方があると聞きました。
人間の食べものになるつつましい生物を投げて悦ぶ、無様な姿としか言いようがありません。
食べものを探して歩くような人は、食べものを投げて悦ぶことはしません。
大量収穫で富を手にする方法の効果が余って、ある季節に作りすぎて売れなくなったとき、ブロッコリートスというその場の遊びを考えついたのでしょう。そこで投げ手の集団になった人は、作物を作らされていた人たちだったかもしれません。
一度味わった楽しさは、次の同じような場面にも引き摺られます。バカげたことでも「祭り」の名がついてしまうと、もうやめられません。
遊び道具にされた生物たちは、人間たちの勝手気ままさをどう感じているでしょうか。
植物には感覚がないと嘯く人は、からだのなかで植物が着々と進めているあだ討ちの作用に多分気付いていないのでしょう。