マナーにも功罪があると言ったら、なんだそれ、と思われるだろう。
たとえば食事のマナーにしても、こだわり過ぎれば味が落ちる。
高級なコース料理に特上の味が望まれるのは、マナーで落ちる分を差し引けば、ちょうど頃合の味になるから、という変な計算が頭に浮かんだ。
ビジネスのマナーが、ジャーナルの敵になる例を先日知った。
同じテーマの記事の国外版を、国内版とは違えて出す新聞社があるという。
言葉の違いではなく、意味を変えてしまっている、そんなことが、という話である。
そういう事実を、他社が気づかないはずはないのに、どの他社も、気づかないことにしてその事実を報じない。
これも、仲間内をおとしめないというビジネスのマナーなのだろう。
なにかあれば「知らせることがメディアの使命だ」などとうそぶくのもマナー、ことさらに足を引っ張らないのもマナー。
人間のすることは、マナーに縛られるたびに、どこかにずれが出てくるように思うのだが、どうだろうか。