同じ音の言葉から、関係のなさそうなことがありそうに、あるいは関係の浅そうなことが深そうに見えてくる。
そういうことがときどきある。
だじゃれの胞子のようなものがあって、そうさせるのかもしれない。
「じ」という言葉の一部からは、「自」と「耳」はかかわりがありそうに思えてくる。
自尊、自負、自我から、耳をだいじに、耳をふさぐ、勝手聞きなどが連想される。
耳をだいじにというのは、耳の病気に罹らないよう、耳に不用意に傷をつけないような心がけのほかに、聴く耳をだいじに、ひとの話をだいじに聴くという意味である。
不都合な話には聴く耳を持たず、耳を半分ふさぐような半聞かざる、自分の都合に合わせた勝手聞きでは、話している人の意は聴き取れない。
初めて耳にすることでは往々にしてそうなる場合が多い。
思ってもいなかったことが耳に入ると、回転の良い脳の働きでたちまち翻訳が始まって、こういうことなんだねと、自分の以後の行動に都合よく、あるいは自分が考えていた筋書きに合っていくような返事をする。
勝手つんぼの逆バージョンである。
耳と自の直結、土門拳がしきりに説いていた「モチーフとカメラの直結」を思い出す。