ドラマには、「行われる」ドラマと「演じられる」ドラマがある。
演じられるドラマには、演じる場が必要で、その演じる場は、あくまで仮の世界のものである。
ドラマを演じるには、演出する人がいなければならない。
自作自演であっても、そこには演出家になった自分がいる。
「行われる」ドラマは、実世界にときどきあらわれるドラマの真似事、と言って悪ければ、演出家のいないドラマに似たこと、つまり「のような」ことでしかない。
演じられるドラマでは、その場の人々がいっせいに感動の渦に巻き込まれることもあるが、行われるドラマからは、ほとんどしらけた空気しか生まれない。
演じられるのがドラマであり、ドラマの演出はプロにかなわないからだ。
「行われる」ドラマを、ドラマドラマと騒ぎ立てても、それはカラ騒ぎに終わる。
感動に似た思いを味わうのは、騒いでいる人だけということになる。
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演技と演出 (講談社現代新書) |
平田 オリザ | |
講談社 |