だいぶ前のことだが、訪問先の会議で弁当が出た。
松花堂風の紙製容器が巧くできている。
これは回収不要で便利なのだと、出したほうは自慢げに言う。
なるほど、これはいい、と感心してみせる。
永田町あたりに届けるのを狙ったような、筆勢豊かな大きな二文字が書かれた、折りたたみ型の上品な箸袋が載せてある。
そろって食べ始めようとすると、ある人が「箸がない」と言う。
その人の箸袋には、中味が入っていなかった。
箸屋も納品前に検品せず、弁当屋も袋の数を数えただけで束ねるときに見つけられず、会議室に運ぶ人も弁当箱に載せるときに気づかなかったのだろう。
うわのそらが三重になった結果である。
送りなさい、束ねなさい、運びなさい、と言われればそのことだけが仕事としか考えない。
容器回収に手間をかけない気配りは立派だが、注意の足りなさは手抜きと同じ結果を招く。
予備の箸が届けられて、さてとふたを開けたら、私のから揚げには。飾りもののように輪ゴムが一つ載っていた。
あの弁当屋は、気の毒だが、もう潰れたのではないかと思う。
仕事は99%気配り (朝日新書) | |
川田 修 | |
朝日新聞出版 |