・・・・・・あわぞうの覗き穴・・・・・・

気が向いたときに、覗いてご覧ください。
何が見えるかは、覗く方々のお眼め次第です。

修復

2011年10月01日 | つぶやきの壺焼

しゅうふくという言葉が政治家の口から盛んに出てくる。
元のように直す修復もあるが、もうおしまい覆い隠せという終覆、いかにもみっともない覆い隠せという醜覆が目立つ。
どの種のしゅうふくであろうと、覆い隠して済むものは、落語の風呂敷よろしく、その場しのぎの一方法にはなる。

だが人間は、一方では何かを覆い隠しながら、もう一方では覆い隠せないものをせっせと作る。
覆い隠せないどころか、核の装置のように、修復できない残骸状態になっても、放置すれば自分で発熱する物騒なものも作ってしまった。

福島の1号機から3号機の原子炉の周辺温度は、ようやく100度を下回ったというが、それは昇温休止状態にあるだけで、「冷温停止」とはっきり言える状態にするまでにはまだまだ冷却を続けなければならない。
冷温という言葉自体、まだ温度が下がるか上がるかはっきりしない、安定しているのは抱え込んだ矛盾だけというような、安全安心には程遠い状態表現ではないか。

塗り替えてもきれいにならない、壊しても危険がなくならない。
危ない危ないと言い続けても、だから危ないと言ったでしょうなどと、きいたふうなことを言っても、みな解決策にはならない。
人類の知恵をもっと進んだところに働かせるよう、あたまの修復はできないのだろうか。