あつたかい ブログ 2

日々思った事、感じた事そして、親神様の御守護を書いて行きたいと思います。

東日本大震災からちょうど10年。。。地震大風水つきもこれは月日のざねん立腹。。。そして今。。

2021年03月11日 11時55分18秒 | 思った事

東日本大震災が起こったのが丁度10年前。

その10年前には、阪神淡路大震災。

どちらも、想定外という言葉が出されていたと思う。

私たちは、常々に「人のために」という言葉を聞かされて育った。

自分にどれだけの力があるか分からないのに、自分の力以上の事に対しても、何とかならないかと、四苦八苦した。

阪神淡路にも友人がいる。そして、東北にも友人がいる。

その友人のお陰で、心配だったところへ見舞いにも行けた。

あれから10年。先日福島沖で大地震が発生した。

それによって、福島第一原発の水位が下がったとの報道を見た。崩壊している原子炉の水が外へ漏れ出しているのである。

一般メディアでは報道されない。

今、世界中を巻き込む大戦争が起ころうとしている。

「うそとついしょうこれ嫌い」と教えられても、なにくわぬ顔で平気で「うそやついしょう」が行われている。

すべては科学で解決できると勘違いしている人がある。

人の心も科学して、物質で理解しようとしている。そして物質でコントロールしようとしている。

洗脳して支配しようとしている。

ところが、それがままならない。何か不思議な働きがあり、反対する勢力が出てくるのである。

世界中の至るところで、大地震が発生して、大災害が起こっている。その中で、日本ほど助け合って復旧の早い所は無いと聞く。

天理市には、至る所に遺跡が出る。新しく建物や道路を作る時には、必ず発掘調査を行わなければならない。

ずいぶん前だが、ひのきしんで、別席場の東側の発掘現場に行った事があった。

発掘しながら、「ここで生活をしていた人々は、災害で土砂で埋められたら、そのままにして他の土地へ移り住んだんだろうなあ」と思った。そして、「今ならば、掘り返して元の生活を取り戻そうとするのだが、元の生活に戻る事が本当に良いのだろうか。」とも思った。

世界を見渡すと、至る所に遺跡がある。文明が栄えた跡である。

その文明が忽然と消えて、遺跡だけが残っているのである。

文明が亡くなったという事は、そこに住んでいた人々が突然死に絶えたという事である。

その繰り返しが、この地球上では、行われている。

※今、文明が失われることについて、死に絶えたと表現したが、文明を作っているのは、知恵と知識である。

※全員が死に絶えなくても、知恵や知識を持った人々だけが死ねば、文明は無くなるのである。

その文明を動かす知恵や知識を持ち合わせていない人々には、それらの人々は、神、または神に通じる人に感じられていただろうと思う。

災害などで知識人が亡くなり、文明はほろんだとしても、あとに残った人々には、新たな歩みが与えられる事になり、その災害や文明は神話や伝説として語り継がれていてもおかしくはないと思う。

さて、

量子力学という言葉を最近聞いた。それによると心の動きが物質にも影響を及ぼすという考え方との事である。

これを突き詰めると、おさづけで病気が助かる。誠真実の心で病気が助かり、世界が変わるという事にもつながる可能性がある。と思う。

魂の生まれ変わりを証明する事柄に、「人間は虫鳥畜類と生まれ変わりをしてあるから、どんなものの真似ができる」という話がある。

そして、「誰それは、誰の生まれ変わり」という話しもある。けれども、それは一部の人に対してであり、多くの人々には「誰それは誰の生まれ変わり」とは説かれていない。

この点も注意をすべき点だと思っている。

逸話編の199「一つやで」を読むと、これをすごく感じる。そして、誰の生まれ変わりと特定するよりも、生まれ変わりをしている事を得心する事、そして前生前々生の事を、なってくることからお詫びをして、人助けへと心を切り替える事。これが何よりも重要だと思うのである。

世界中では、子供を誘拐し、拷問し、殺害しているところから軍が救出しているニュースが流れている。また、臓器移植のために罪もない人を捉えて殺害するニュースも流れている。

昔の日本の武士の世ならば、殺された人の子供たちは、「親の仇」として末代までも、その人を恨み、恨みを晴らすまで追い求めていたようである。これによって争いの連鎖は続いていたのである。だから、自分たちを守るために、城壁を巡らし、堀を作った。

この恨みつらみが重なれば、この連鎖を断ち切るために、神様としては、リセットするしかなくなる。

そのリセットが、地震大風水つきとも思える。

ただ、昔ならば文明は大陸・海によって分断されていた。だから、他に文明があったとしてもそこへもリセットをする事はなかっただろう。けれども、現代は情報が一つとなり、世界が一つとなってきている。

そうなると、リセットは地球全体となりかねない。

また、リセットがあったとしても、その後の事が問題である。

神の采配を知る人が残っていなければ、リセットの意味がない。それこそ、虫鳥畜類から始めなければならなくなるかもしれない。

神の采配を知る人と言えば、

教祖は、親神様が入り込まれて、教祖となった。また、本席様も親神様が、また教祖が入り込まれて、おさしづを出された。こかん様も神意を伝えられた。

故に天理教としては、人に神や魂が入り込むことは、あって当然と思わなければならない。

これを否定する事は、「おふでさき」「おさしづ」「みかぐらうた」を否定するのと同じである。

ここで問題に思うのは、神が入り込む人と入り込まない人との差である。

その一つに、「おさしづ」を読んで常に思う事がある。それは、おさしづを出された本席様に、あとから「こういうさしづがありました」と説明されている事である。

これを思うと、神が入り込む人は、話をしている事を覚えておらず「神の道具」に過ぎないと思えるのである。

そして、何のための道具かと言えば、「周囲の人に神の思いを伝えるための道具」と思えるのである。

そう考えると、神が一番大切に思い、言葉を伝えたいと思っているのは、「神が入り込まない人々」となる。

その最たる人は、秀司様であり、真柱様、そして取次ぎ人だと思われるのである。

 

「おふでさき」に「仕込む」という言葉が出てくる。

何のために、何を仕込むか。これが大切だと思っている。

 

震災から10年という事で、書き出したら止まらなくなってしまった。

これから、月次祭の準備である。もうじき、地震が起こった時間になる。

 

親神様・教祖、どうぞ大難は小難にとお守り下さい。

 

 

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支部例会。。。ご本部の神殿奉仕で。。。

2021年03月10日 09時59分49秒 | 思った事

前回2日に投稿をしてから、ずいぶんと時間が経った。

実際には、下書きを数度書いているのだが、投稿するまでに至らずに今日まで来た。

7日は、支部例会を無事に勤める事が出来て、ほっとした。集まられた方の話から、新年初めての顔合わせで、明けましておめでとうございます。だったのには、驚いた。

1月2月と緊急事態宣言のために、中止としたので、まずそのことから書いておく。

例年ならば、1月は例会後に年末調整事務を行うのだが、いつも使わせて頂くコミセンも使えず、予備の会場としている教会も、周囲への影響も考えると、大勢が集まる事は良くないと考えて、資料配布のみとした。

私が支部長になってから、支部長会で行われる教区長挨拶から諸連絡まで、すべてを連絡報にしているため、それをチャンと読んでもらえれば、教区からの連絡は伝わるようになっている。また、支部行事についても、12月に臨時の常任役員会をうちの教会で行っていたので、行事の草案も載せて、意見があれば連絡を貰うようにしておいた。

年末調整事務については、希望する方のみ、担当者の教会へ予約時間を取って、私と担当者で対応する事にした。結果、例会後に慌ててやるよりも余裕を持って行う事が出来、この方が良いという事から、来年度の行事予定は例会以外で行う事となった。

2月の例会は、緊急事態宣言延長でこれまた中止せざるを得なくなる。しかし、予算をしっかりと練りあっておかねばならないので、会場教会に無理を言って、役員会議のみ行った。例年ならば、例会後という事であわただしく、しっかりと練りあえないのだが、今回は午後1時から4時頃まで、常任役員会での草案を元にしっかりと練りあう事が出来、行事予定以外の申し合わせなどについても、様々な意見を頂く事が出来た。

新型コロナで自粛という訳だが、やみくもにすべての活動を中止するという事では、ならないと私は思っている。

何よりも、感染対策をして、もし感染者が出ても感染経路が分かる事、これが一番大切な事であると思っている。

新型コロナ以前と同様の事をする考えでは、親神様は何ゆえにこの事情を見せられているのか分からないと思う。

そうした時に、どのようにしたら良いかと相談をして行い、これまでと違った視点を得る事が出来て、ありがたかったと思った。

こうした事をした上での、3月の例会だったので、教区からの連絡も来年度の行事予定も、スムーズに説明させて頂き、1時間半ほどで終了する事が出来た。

そして、4月29日の全教一斉ひのきしんデー、これに向かって、来月の例会までに担当者と詳細を練りあう事となった。

例会を終えてから、おぢばへ車で向かう。これも、コロナ以前は近鉄電車で出かけていた。しかし、以前の緊急事態宣言から、感染リスクを少しでも減らすために、車で向かうようにした。

毎月の神殿奉仕。本部詰所の掲示板には、修養科生や講習生の人数から結婚式や年祭などの連絡が張られている。

その中に、「はえでづとめ」の連絡があった。(4月16日)今年は、先月から張り出されていたのだが、今月もあったので、変更はないと思われる。

はえでづとめと言えば、昨年は月次祭などは昇殿参拝が禁止となっておったのだが、はえでつとめは大丈夫だろうと、夕づとめから出かけていたのだが、夕づとめを終えたとたんに外へ出された事を思い出した。今回はどうなるのだろうか。

私は、食事を頂いた後、着座までの時間に余裕がある時は、教祖、祖霊様へ参拝に行かせて頂いて、お守所へ戻る事にしている。

今回も廻らせて頂いた。その時に知り合いの夫婦に出合った。その奥さんは看護師さんで、新型コロナとワクチンの話になった。「日本製のワクチンが出来るまで怖いよね」という話しになった。やはりと思った。

そこで、治療薬についての情報が出ると消される話やアメリカ大統領選挙からの話をしたところ、ご主人は知っていたようで、なるほどという事になり、情報操作の事からとても不安そうな顔になった。

「私たち先の短いものは、ワクチンで支障が出ても、先は知れているので良いけれども、若い子たちの遺伝子が変化しては困るよね。」「まぁ。かしもの・かりものだし、魂は生まれ変わり出変わりするから、今自分たちの出来る精一杯をする事だよね。」と笑ったら。笑顔になってくれた。

この夫婦は、身上事情の中も、神様に凭れてこつこつと歩まれた夫婦である。

「元の理」「かしもの・かりもの」「八つのほこり」これが何よりも大切で、親神様をつかみ、これを信じている人は勇めるのだと思った。

 

親神様・教祖、どうぞ大難は小難にとお守り下さい。

 

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全ては親神様の懐の中。。。「上と神との心わけるで」。。

2021年03月02日 18時18分36秒 | 思った事

愛知県では緊急事態宣言が解除された。

街中を見ると人手が増えたように感じる。

やはり、新型コロナの新規感染者数が減ったのは、やはり人々の努力によるものだと思う。

ワクチンについても、政治についても、金融についても、マスメディアについても様々な疑惑が出てきている。

これまで信用していたものが、どんどん崩れている。

また、マスメディアについての信用が、先進国の上には低いのに、日本では特別に高いという情報を聞いて、びっくりした事もある。

(情報をテレビや新聞からしか得ていない人には、分からない事であるが。。。)

でもよく考えると、元々、上の人の都合の良いように、情報操作されて作られた事は事実だと思える。

 

そうした中で、私自身を振り返ると、人間社会の情報だけではなく、親神様の情報も持ち合わせていると感じた。

私が、親神様に対して本当に凭れて、その日その日を過ごすようになったのは、父親が出直して、頼れる人が誰もいなくなった時からである。

その時ふと思い出した言葉が、「人に凭れたらその人は倒れるが、親神様は倒れない」というような言葉だった。人間はその時の都合で言葉が変わる。そして「人というものは疑い深いものなるぞ」というお言葉、正しくである。

だから、人は言葉が変わるものだから、絶対のものではないと思うようになった。

そして、その時その時の状況が一番大切だと思うようになった。

「罪を憎んで人を憎まず」という言葉があるが、その時のその人に出会った事が、神様の采配だと思うようになったのである。

私は、以前からコンピュータを使って、思う事を発信している。

それが昨年ある事情から、初めてスマホデビューして、運転しながらもYouTubeを聞く事が出来て、気になったことをフェイスブックに共有している。

このようになって来た事は、自らが望んでしたことではない。コンピュータを使わずにはおれなくなり、インターネットにつなげなければならなくなり、そしてスマホにせざるを得なくなりと、必要に駆られて変化している。

そして、与えられた物によって生活が変わってきている。

スマホを持つようになって、支部内の教会へ連絡が素早くできるようになった。

私の暮らしで常にあるのは、自分の出来る事を懸命に行う事。その時に与えられたことを懸命にする事。ただそれだけである。「すべては親神様のお与え」と思って。

これだけなのである。

しかし、周囲を見てみると、「自分の思い通りにしたい」と、それに固執して、色々と画策をして、様々な問題を起こしているように思う。

その最たるものが、原爆であったり、新型コロナなどの細菌兵器であったり、環境汚染であったりするように思う。

こうした、「神と上との差」をすごく感じる。

 

話を、今の社会の状況に戻す。

人間社会と言っても、人間の生活する範囲は限られている。

その生活する世界で、幸せを感じられればそれでよいという訳だが、親神様には世界人類を助け上げたいという思いがある。

中国でウイグル人が弾圧されている事が、世界中に明らかになった。そして、その事について日本の政治家には、すぐさま反対する意見を出さない人々も多くある事が分かった。

おふでさきに「上と神との心わけるで」(4号104)と言われている。

この言葉は、神の心を持っている人と、そうでない人との心を分けるというようにも思えるのだが、

『おふでさき』を列記しておく。

いかほどにむつかし事とゆふたとて
とかすにいてハわかるめハなし (4-99)

にち/\に神のをもわくだん/\と
といてをくぞやこれきいてくれ (4-100)

このみちハなにかむつかしめつらしい
みちであるぞやたしかみていよ (4-101)

このみちをとふりぬけたらそのさきハ
からハにほんのぢいにしてある (4-102)

からのぢをにほんぢいにしたならば
これまつだいのいきどふりなり (4-103)

このよふを納も上天もかみ
上と神との心わけるで (4-104)

だん/\とみゑん事をばゆてをいて
さきでみゑたらこれが神やで (4-105)

いかほどにみゑたる事をゆうたとて
さきでみゑねはわかりあるまい (4-106)

これからハせかいぢううのむねのうち
上下ともにわけてみせるで (4-107)

これをみよせかいもうちもへたてない
むねのうちよりそふぢするぞや (4-108)

このそふぢむつかし事であるけれど
やまいとゆうわないとゆてをく (4-109)

どのよふないたみなやみもでけものや
ねつもくだりもみなほこりやで (4-110)

このよふを初てからになにもかも
上ゑをしへた事ハあるまい (4-111)

このたびハなにかよろづを上たるゑ
しらしてをいた事であるなら (4-112)

それからハなかにハしやんするもあろ
みなよりよふてはなししたなら (4-113)

そのなかにしんぢつ心たのもしい
をもてしやんをすんるものもある (4-114)

 

ここで、人々に対して「神様」と「人間の上に立ち多くの人を導かねばならない上の人」との心を分からせると言われているとも思える。分けるとは、分からせる、はっきりさせるという意味ととらえると、このように思えるのである。

 

先日、友人から「Q」の言葉を信じて困っているという話しを聞いたが、この「Q」の言葉を知っていてこそ、説明する事が出来る。それを知らずに頭ごなしで否定をすれば、今のマスメディアがアメリカ大統領選挙で行ってきた「陰謀論」として、情報操作して来た事と同じであると思う。

「Q」また軍の発言、そしてその他の人々の発言そして世界の状況からの私の見解は、ここでは述べない。

 

「神を信じる者」にも差がある。この事を知って、それぞれが「神の言葉と上の言葉について」意見交換する事が大切なのではないかと思う。

そうする中に、

これからハせかいぢううのむねのうち
上下ともにわけてみせるで (4-107)

そして

それからハなかにハしやんするもあろ
みなよりよふてはなししたなら (4-113)

そのなかにしんぢつ心たのもしい
をもてしやんをすんるものもある (4-114)

となって来て、陽気ぐらしへの道が進むのではないかと思うのである。

 

今日も一日頑張ります。

親神様・教祖、どうぞ大難は小難にとお守り下さい。

 

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