葦津泰國の、私の「視角」

 私は葦津事務所というささやかな出版社の代表です。日常起こっている様々な出来事に、受け取り方や考え方を探ってみます。

春の彼岸の活況を見て

2009年03月21日 19時05分14秒 | 私の「時事評論」
春彼岸に思うこと
 三月彼岸の三連休、ここ鎌倉でも大変な人でした。不況に突入したといっても、まだまだ庶民の深刻さは、経済界のデータと比較すると、手ぬるいものがある。しかしさすがに従来のように、将来のことをまったく考えずに贅沢三昧の豪遊をするというのも気が引ける。そこで東京から一時間程度で行かれる観光地が格好の場所として注目されるのでしょう。因みに都内から鎌倉までの交通費は片道890円、往復していくつかの寺宮を拝観するだけなら一人3000円程度で済みます。もうちょっと経ち、桜をはじめ春の花がいっせいに咲き競う時候になれば、平日でも市内は行楽客で一杯になるでしょう。ただし、多くの人は集まるが、財布の紐は固いよというのが地元の商店街の人の共通の声でした。
 
 鎌倉など東京近郊の観光地の人出が他に比べて急に多くなってきたというのは近年の傾向です。中でも昨日今日は、車も渋滞で身動きできず、人は歩道からあふれ出すような盛況です。特にこの時期は春彼岸の時期で、鎌倉周辺は最近急速に増えた集団公園墓地や従来の寺院墓地などが大盛況なので大にぎわいです。お彼岸やお盆休日の翌日などは一面の墓地がお供えの花で花盛りの大賑わいです。

 一方の南側が海で、三方が山に囲まれた鎌倉は、その山地が昔から寺の部分でした。加えて最近、住宅が法によって建てられないので大規模な墓地開発が進められました。おかげでこの時期は、車で鎌倉に入ろうとすると、必ずその前に墓参渋滞に巻き込まれます。

 日本人の意識から、古いもの、伝統的なものを大切にする気風が衰えたといわれる中で、この風景に接すると、私はあまり混雑は好きではないのですが、少しホッとした気分になります。
 春のお彼岸は、昔から先祖の靈に感謝し、これから一年間の作物の豊かな稔りを祈願する大切な日でした。彼岸や盆は仏教伝来とともに伝わってきた仏教的風習のように一般では思われていますが、事実は、仏教伝来とともに、仏教の行事に日本にあったものを積極的に取り入れたもので、日本にはそのはるかに以前から、生活の中から自然に生み出されて、大切にされてきた独特の行事です。日本中には、どう見ても仏教以前からの生活密着の行事だといわなければならないような風習が、いまでもたくさん残っています。今のお彼岸の墓参りは、時代が変わったので、農耕信仰から独り立ちして、なにやらレジャーをかねた家族ピクニックのような雰囲気になってしまっていますが、それでもそこには明らかに自分たちの父や母、祖父祖母などの先祖に対する敬意が、まだ、私たちから消えていないことを証明しています。だから墓参りに行くのでしょう。この背後には確実に日本人のDNA的なパターンがあります。

 最近の日々のニュースを眺めていると、日本人はいったい、これからどうなっていくのかと心配になってくる世情です。親殺し、子殺し。暗い家族内のいがみ合いの結末の悲劇的な事件がニュースを埋め、あちらにもこちらにも家庭崩壊の事例が頻発して、人々の心の中には、自分を生んでくれた恩だとか、育ててくれた感謝の心などは何十年前に消えてしまったような雰囲気です。みんなが誰の世話にもなっていない、勝手に生きればいいんだという思いで生きることが当たり前とされ、野獣のような暮らしをしています。いやいや、そういう言い方は野獣に対して失礼でしょう。野獣たちは、自らの種族を守るために、群れを作って庇いあって生きている。だが今の日本の人たちには野獣本能もなくなってきつつあるようです。
 
 人間とほかの哺乳動物を比べてみると、力に於ても運動神経においても、自然に対する抵抗力においても、決して優秀であるとはいえません。それなのにどうして人間は他の動物よりも大きな勢力になり、現代生活の主役になることができたのか。道具を使うことを覚えたとか、言葉を話して連絡を取り合うことができたとかいろんなことが言われています。だが初歩的な道具はサルやゴリラだって使うし、言葉は大概の動物は鳴き声でそれなりに知らせあっています。確かにこれらも大切な要因だが、もっとも大きな力となったのは、人間以外の動物は、知識や経験を積み重ね、累積的に蓄積することができたからだと思います。家族という集団が祖先が習得したことを教えられ懸命に覚えて、蓄積してその上に次の世代が生きられるようにと伝えてきました。またそんな人たちが共同して作った社会でも、一人ではなくみんなが協力したり、さまざまなノウハウや知識を集積し、子孫は先祖の功績と苦労を乗り越えた上に、何世代もの積み重ねにより、新しい文明を積み重ねてきました。これが人間とその他の動物との大きな差を作ることになりました。
 その知識の集積、技術の積み上げ、何千年の継続的な積み重ねが人間の文明を他の動物より発展させたのだと思います。

 それだとしたら、そんな発展の母体になった最も基礎的な単位である家庭。先祖から子、孫、ひ孫へとつながる時間的なたての帯を大切にし、また共同生活を可能にしてきた社会との横のつながりを大切にする、それにもっと心がけなければならないのではないでしょうか。

 教育は愚かしいインテリと称する空論ばかりを言うものが支配する中にあって、完全に歪んでしまっている日本ですが、先祖を大切に思う気風がまだ人々の間に消し去られずに残っているうちに、みんなが勝手ばかりを求めずに、社会を大切にする心を養わなければ、とんでもないことになる。「サルにも劣る」といわれることは、人間にとって最大の侮辱だと思われているようですが、すでに多くの面で実際にサルにも劣ってしまっている日本人。頑張らなくてはいけませんね。
 いつも考えていることなのですが。