夢のあと

釣りには夢があります。夢を釣っていると言っても過言ではありません。よって、ここに掲載する総ては僕の夢のあとです。

忘れていた物

2014年09月03日 23時05分10秒 | 渓流釣り
渓流釣りはほぼ3年間餌釣りから離れててんからに傾倒していた僕ですが、ここのところ再び餌釣りもやるようになってきました。
 てんからはとても面白い釣りです。毛鉤を魚の居るレンジまで持っていくことはせず、魚の方をその気にさせ、水面近くまで魚を引き出して口を使わせて掛ける釣りです。ですから毛鉤操作によって釣果に雲泥の差が出る釣りです。よって毛鉤にはあまり頼らないので普通は一種類の毛鉤で総てをまかないます。とはいうものの、本当に総てがまかなえるか?と言えば・・・正直言って無理です。でも、それでいいのだと思います。その場にいる魚の総てを釣ることを目的にしてはいないのですから。もっとも魚がいるレンジまで毛鉤を届けて釣るテンカラという釣りもありますが、こちらの方がどちらかといえばまかなう範囲は多いと思われます。こちらはナチュラルドリフトが基本ですので釣りのテクニックというよりは毛鉤巻きのテクニックや道糸やハリスの選択が重要になります。如何に虫に似せらた毛鉤を如何に自然せるかの勝負です。
 ではなぜ僕がまかなえる範囲が広いテンカラを選ばず、範囲の狭いてんからを好むかと言えば、釣れた時の“してやったり感”が大きいからです。てんからで使う毛鉤はゴミにしか見えません。一方テンカラで使う毛鉤は虫(餌)なのです。ではなぜそのゴミにしか見えない毛鉤に魚が食いついて来るか?といえば、その動きに魅せられて食いついて来るのです。ですからてんからで使われる毛鉤をナチュラルドリフトすればほぼ9割以上の魚は口を使わずにUターンしてしまいます。つまり、もし釣れたら自分の毛鉤操作が魚の食欲の活性をあおり、その食欲が警戒心を上回らせた証拠なのです。ですからポイントを前にして“ここは早めに誘いを掛けよう”とか“ここは駄々引きで”とか攻め方をいろいろと考えて毛鉤を撃っていきます。そしてその計画通りに魚が出てくれたら至福の時が訪れるのです。

テンカラではなく、てんからの魅力について少々触れましたが、テンカラのように餌に似せた毛鉤を使って釣るのなら餌釣りをしてしまえばいいと思ってしまう僕ですので、今の僕の渓流釣りにはテンカラは無く、てんからと餌釣りしかありません。以前はフライ・フィッシングやルアーもやったのですが、リールが付いていると魚とのやり取りが安易過ぎて面白さが半減してしまうことに気が付き、今ではやっていません。餌釣りは○十年の経験がありますので本当の僕は餌釣り師だと思います。で、最近再び餌釣りを始めたのです。そうしたらすこぶる上手く行かず、なんかぎごちないのが自分でも分かります。でも釣果はそこそこあって、ヤマメの尺オーバーが4釣行連続。しかも35㎝オーバーの「スーパーヤマメ」と呼ばれる物も2匹。「やはり(てんからに比べて)餌釣りは釣れるなぁ・・・」と思って図に乗っていたら、その後急に釣れなくなってしまいました。これはどうした事か?3年のブランクはこれほどまでに大きいのか?などと考えあぐねている最中、釣り友の某大物釣り師と連絡を取る機会があり急遽一緒に行くことになりました。彼にはいまで沢山のことを教えてもらい、僕の釣への影響はとても大きいものがあります。ですから僕は勝手にお師匠さん呼ばわりさせていただいています。おりしもこんな沢山の疑問に埋もれているタイミングですので願ったり叶ったりです。
 餌釣りでも以前のように釣れなくなった理由に時を感じていた僕ですが、彼の釣りは、その原因が“時”ではないことを教えてくれました。彼はその場その場で釣り方を変えていました。僕の釣りは相手がヤマメだろうと岩魚だろうと、ポイントが淵でも瀬でも、とにかく自分の釣り方を押し付ける釣りですのでそれがその日の魚の気分に合えば釣れるのですが、合わなければ撃沈です。そんな簡単なことに今まで気が付かずにいました。日々進化し続ける渓流釣り。それを追従するために変幻自在の釣りができることが必要であることを痛感した一日でした。