日曜の午後になって築地界隈へ出向く。休日の築地は眠っているかのように静かだった。
Photo 2006.7.23
築地本願寺の裏手にあたる、築地6・7丁目には戦災に遭わなかった一角があり、銅板貼りの看板建築や木造三階建てマンサード屋根の建物が結構残っている。一説によると、米軍が戦後の接収を見越して、聖路加病院周辺を空襲しなかったんだとか。
以前は気づかなかったのだが、小さな路地空間もあちこちに結構残っている。
湿った梅雨空の下、路地を歩く。植木鉢の草花の緑が瑞々しい。
中央区築地6-11
看板建築、木造建物の多くでは、窓に簾が掛けられ涼を誘っていた。さほど暑い日ではなかったが、湿度が高く、窓を開け放っている家は半数ほどで、ガラス窓を閉ざしてエアコンをかけている家が多い。ヒートアイランド化の影響か、最近は夜になっても蒸し暑い日が多いので、開放的な木造建物でも、昔ながらの涼のとり方では済まなくなっているのかもしれない。
中央区築地6-6
震災後80年、戦災後60年が経ち、住んでいる人も代替わりして、住人の職業の傾向も変わり、生活スタイルも大きく変化した。昔ながらのお店は続かなくなり、看板建築系の店舗も軒並み廃業寸前である。路地裏の木造長屋では、完全に戸を閉ざし、無人となっているところも散見される。今、残っている建物も、代替わりと共に、残念ながら早晩建て替えられてマンションなどになる運命なのかもしれない。
中央区築地7-13
P.S.
発売されたばかりの、「東京人」2006年9月号pp.22-25に、日野原重明さん(聖路加国際病院名誉院長)のお話として、「米軍は「聖路加は爆撃しない」というビラを撒いていました。」という記事(文:森まゆみ)がありました。築地あたりが燃えなかったのは、やはり聖路加国際病院を爆撃しなかったのと関係があるようです。
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