都市徘徊blog

徒然まちあるき日記

Field調査 新旧比較写真4

1992-10-11 | ロシア  

1992.10.11(Sun) Vladivostok

 08:30 起床。疲れている。眠い。でも外へ行きたい気持ちもある。
 08:45 出発のために集合するが、少し遅れてしまう。
 09:05 出発。

 09:20〜10:00 ウラジオストクホテルにて朝食。極東大学に語学留学している東京外語大の女子学生に偶然会う。一人で横浜から客船「ルーシ」に乗ってナホトカまできて、そこから列車でウラジオに入ったという。元気な人だ。ここで会ったのも何かの縁だということで、午後に予定しているバスでの市内視察に、彼女も同行することになる。

 食後、解散。バスでグム百貨店のそばまで行き下車。昨日に続いてH君と二人で新旧建物比較写真の撮影作業を始める。日曜日なので人通りは少ない。とりわけグムのそばは平日とは全く様子が異なる。撮影中に声を掛けられることもほとんどない。スヴェトランスカヤ通り沿いのグム百貨店、旧ダッタンの家、旧ピアニコフの家などを撮る。

スヴェトランスカヤ通りとグム百貨店   Google Map
マウスオフ:1992
マウスオン:20世紀初頭(ウラジオ古写真アルバムから)

 奥の方は増築部分だそうだ。その部分は更に増改築がされているようだが、手前側の外観は、中央の玄関と2階バルコニーがなくなった程度で、ほとんど変化がない。

グム百貨店(旧クンスト&アリベルス商会)
マウスオフ:1992
マウスオン:20世紀初頭(ウラジオ古写真アルバムから)
建設年  :1893年。1936年にグム(国営百貨店)となる。後方は増築部分。
構造・階数:煉瓦・3F

 ウラジオの街は港近くのスヴェトランスカヤ通りや駅周辺を中心として発達してきたそうだ。従って、20世紀初頭の絵葉書もその界隈に建つ建物が写っていることが多い。目抜き通りなので、日本だったらどんどん建て替えられてしまうところだが、ウラジオの場合、幸か不幸か外国人の立入が規制され、極東の地方都市のままでいたため、繁華街であっても当時の建物がほぼそのまま残されていた。

旧ダッタンの家(西方から)   Google Map
マウスオフ:1992
マウスオン:20世紀初頭(ウラジオ古写真アルバムから)
建設年  :1891〜1902年の間。4・5階はソビエト時代の増築。
構造・階数:煉瓦・5F

 増築に伴い軒庇が無くなり、また、コーナー部分の窓上のペディメントなどの装飾も失われている。4・5階が増築されたため、以前と比べると壁面が大きく立ち上がった感じになっている。交通量は、変動があるのでなんともいえないが、写真によっては20世紀初頭の方が人通りが多かったりする。路面電車は走っておらず、馬車が多く行き交っているのが印象的だ。

スヴェトランスカヤ通りと旧ダッタンの家(東方から)
マウスオフ:1992
マウスオン:20世紀初頭(ウラジオ古写真アルバムから)

 建物の写真は、H君が要領よく案内してくれるのでどんどん撮ることができた。しかし海沿いの様子は昔とかなり変わってしまっており、当時の撮影点がわからなかった。また周辺のビルの2、3Fのベランダや窓から撮られたものも多く、完全に画角を一致させることはできないものも多かった。今回、掲載したものは比較的きれいに一致させることができたもの。

旧ピアニコフの家(東方から)   Google Map
マウスオフ:1992
マウスオン:20世紀初頭(ウラジオ古写真アルバムから)
建設年  :1903年
構造・階数:煉瓦・3F

 手前右側の建物は近代的なモダニズム建築に建て替えられているが、旧ピアニコフの家の外観はほとんど変化がない。バルコニーの手摺が金属製で軽快な感じのものに変わっている程度だ。

 撮影中、街中を馬で駆ける女性約5人を見かける。突然、蹄の音が聞こえてきて、かなりのスピードであっという間に目の前を通り過ぎて行ってしまったので、あっけにとられてカメラを構えるのを忘れてしまったが、大通りを駆け抜けてゆく姿はとても気持ちよさそうだった。また3頭だてのトロイカも走っていた。しかしこれはロシアでは日常の風景なのだろうか?。よくのみ込めない光景だ。

1992年10月 ロシア日記・記事一覧

#古い建物 海外  #街並み 海外  #道  #新旧比較写真・海外 
#商業系  #デパート・百貨店  #20世紀 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする