美術館にアートを贈る会

アートが大好きな私たちは、
市民と美術館の新しい関係の構築をめざしています。

第3回トークディスカッション(10/28)講演要旨

2018-02-01 17:00:00 | Weblog

同時代作家との協働のカタチを探る

日時:2017.10.28(土)13:30~15:30

会場:ナレッジキャピタル ナレッジサロンにて

   

ゲスト: 加須屋明子氏(京都市立芸術大学 美術学部・大学院美術研究科教授

ナビゲーター:楠本 愛氏(国立国際美術館 研究補佐員)

 

〈国立国際美術館のお話~旧館時代の企画展~〉

 

楠本:まずはスライドを見せていただきながら、加須屋先生にお話を進めていただきたいと思います。よろしくお願いします。 

 

加須屋:今日は美術館にアートを贈る会なので、コレクションの話若手作家の支援の話に繋がったらいいのかなと思っています。


まずは国立国際美術館(以後、国立国際と略)に勤めていた頃の話から始めましょう。万博公園にあった旧館の頃に91年から勤め始めました


8年目の98年にやっと『芸術と環境:エコロジーの視点から』という展覧会を1人で最初から企画しました。芸術と環境の関係をエコロジーの視点から考えましょうという、ちょっと硬いタイトルがついていました。ポスターと図録に両方ともミロスワフ・バウカというポーランドの作家さん作品を使っています。この時に展示をした、穴のあいた椅子が天井からぶら下がっている作品は購入に結びついています。

画像:ミロスワフ・バウカ《Φ51×4.85×43×49》1998  国立国際美術館蔵

ポーランドは留学をしたこともあり、長く複雑な歴史を持ち、文化も豊かな素晴らしい国だということを経験した後に国立国際に勤めましたので、自分が企画できるときはできるだけ日本ではなかなか紹介される機会の少ないポーランドや中欧ヨーロッパの作家たちを選びたいという気持ちがありまして、実現した展覧会です。


石内都さんの写真作品も芸術と環境』展に出していただいて、その後購入しました。芸術と環境』展では、精神のエコロジーに焦点当て、記憶とか、歴史ということが、文化芸術においてどのような関わりを持つかいうこと考えました。戦争は最大の環境破壊だと思います、戦争をテーマにしたユゼフ・シャイナいうポーランド人の作品もこの時に展示してもらって、その後彼から美術館へ寄贈してもらった素描作品があります。アウシュビッツの生存者である作家なので、その記憶をなんとか後世に伝えていきたいという思いで制作を続けておられて、自分が見聞きした悲惨な体験を伝えようとされていました。


いわゆる環境問題を念頭においていたのですが、会場に来られると「どうしてこういう作品があるのかな」という風な感想を持たれたかもしれません。様々に営まれる私たちの生活の中から、記憶をどうやって伝えてゆくか、文化のエコロジーというのか、文化的なものが大量に生産され、その後廃棄されたり蓄積されたりするのをどういう風に再生できるのか、ということを考えるような理論もありましたので、そうした理論的背景を持ちつつ実際の作品から考えてみようと、日本と海外から6名選んで行った展覧会です。


『芸術と環境』展の6人の中でやっぱりバウカさんの存在はとても大きかったので、その後バウカさんの近作展をさせていただきました。国立国際では、予算を使って長期にわたりしっかり準備して実現する特別企画展とは別に、もう少しフットワークを軽く、予算規模も少なめですが、その時々に面白いと思った比較的若手作家の近作を見せる展覧会枠として、近作展というシリーズがありました。


バウカさんの近作展は、『食間にBetween Meals』というタイトルで、日常生活において、食事と食事の間に人々は様々な活動を行う、愛も交わすし戦争もするいう、日常と非日常はそんなにかけ離れたものじゃないいうことがテーマでした。生と死は隣りあわせであることが示されました。


同じ近作展枠でローリー・トビー・エディソンという写真家の個展も実現しました。ファット・ウーマン・フェミニズムいうんですが、女性が太っているというだけで差別的なまなざしを向けられることに対してプロテストしていく活動をされているアメリカの女性写真家でした。1つのフロアを使って展示し、ワークショップをやったり、トークをやったりした思い出深い作家です。この時も写真を何点か購入しています。

〈国立国際美術館のお話~移転後の美術館での企画展~〉

加須屋:『転換期の作法 ポーランド、チェコ、スロヴァキア、ハンガリーの現代美術』という展覧会を移転後の中之島新館で2005年に開催しました。98年に『芸術と環境』展を開催してからポーランドとか中欧の作家についてずっと継続して調査をしてきた結果をもう一度出すことができました。

 

画像:『転換期の作法 ポーランド、チェコ、スロヴァキア、ハンガリーの現代美術』展(2015年国立国際美術館)チラシ(左)、図録(右)

きっかけは国際交流基金から、89年にいわゆる東欧革命という、大きな体制の変換があった後にこうした地域でどのような変化が起こっているのか、日本でもあまり紹介されていない地域の展覧会をやりませんかという働きかけがあったことです。国立国際の自前の予算だけでは、大人数の作家をリサーチに行って呼んできてというのがその当時は難しかったところ、国際交流基金と一緒に、何度かヨーロッパ各地に調査に行かせていただけたおかげで実現できました。ただ途中で美術館の移転が入ってきたりして、展覧会開催計画が延期になったんですね。それで、99年の東欧革命10周年から大きく外れてしまうと、タイミング的に難しくなりそうでしたが、2004年に旧東欧諸国のEUへの加盟がありまして、そこがまた社会、経済、政治情勢の大きな転換期だということで、この機会を捉えて2005年にやっと実現します。この時は東京都現代美術館と広島市現代美術館も加わりまして、3館と国際交流基金との共同企画になりました。

 

ポーランドスロヴァキア、ハンガリー、チェコヴィシェグラード4国と呼ばれます。EUに加盟後は、この地域の方々は自分たちの国の位置をヨーロッパの心臓、中心と呼んでいます。東西冷戦が終わって旧東欧諸国が民主化し、またEUへ加盟することで政治・経済・文化等の重心が少し東にずれました。こうした激動の時代を、旧東欧の作家たちがどのように受け止め、作品にしていったかに注目しようと、ヴィシェグラード4国の、主に90年代に注目するような展覧会となりました。ここでもバウカさんに出していただけました。国内3館へ巡回しましたため、それぞれの館で別々の作家さんたちを招いて、トークをお願いしたり、大規模な企画展になりました。楠本さんはこの展覧会をご覧いただけたんですよね。


楠本:はい。当時、私は高校を卒業したばかりでした。この展覧会は非常に大掛かりな展示が印象に残っています。また、国立国際でそのすぐ後に開催していた特別展が近年国内外で再評価が進む「もの派」という動向を取り上げたものだったのですが、この国内外の美術動向を紹介する2つの展覧会を見たことが、現代美術に興味を持ったきっかけのひとつでした。


加須屋:まだ、どの作家も日本ではあまり知られていなくて、ほとんどが初紹介ですし、現代美術だし、4か国の国のイメージ湧きにくい、ということで、なかなか集客が難しそうなことが予想されました。これは企画として会議では通りづらいのですが、でも開催の意義を力説して何とか実現に至りました。作家を選ぶときも、転換期いうことを考え、そこに反応している比較的若手、中堅3040代くらいの作家さんを中心に選びました。また、この展覧会以後、この地域の作家たちをもっと知ってもらう企画を継続して実施するためにも、歴史的背景や文脈は大きく異なっている国々の作家さんでも、どこか共有できる感覚があったり、面白いと思ってもらえるような作家さんをまずは選びたいと話し合っていました。つまり、あまりにも文脈に依存して、この地域のことを知らないと理解がしづらい作家さんや作品はその次の段階にしようと。そういう色んなやり取りがあり、また何度もリサーチを重ねました結果として、とても面白い作家さんを集められたと思います。とてもユーモラスな作家さんが多かったように思うんですね。経済的には非常に厳しく、物が不足したり予算もないという状況の中で、こんなに明るいというか、その不足した状況をうまく利用して、思いがけない表現を生み出してみたり、状況を皮肉ったり、ちょっと斜めから客観的・批判的に見るような感じです。でも全体に感じられるのは大変暖かい眼差しで、マイノリティへの眼差しとも言えると思いますが、大国や、お金が潤沢にあるところからは出てこないような印象のある作家や作品が多かったと思います。


ですので、日本にとっても学ぶべきところがたくさんあって、とても勇気付けられました。このちょっと前から日本では美術館は冬の時代言われて、美術館いらないんじゃないかみたいな圧力を受けていました。現代美術はわかりにくいし、もっとやるべきことがあるんじゃないか、などと、批判にさらされながら、でも同時代の美術をなんとか取り上げてゆきたい思いながら苦心している時に、もっとお金がない国のもっと大変な人々が、こんなにリアルでユーモラスな作品を作っているっていうことも含めて私達自身も励まされたような気がしました。

 

その次に担当したのが『三つの個展:伊藤存、今村源、須田悦弘』2006年)。これは近作展が3つあるような形で、地下三階の企画展コーナーを3つに区切りまして、三人展じゃなくそれぞれの個展としました。三人それぞれにキュレーターがつき私は須田さんと一緒に仕事させていただきました国立国際の柱にチューリップが刺さっているのを皆さんご存知ですか。あれはこの時に展示していただいた後に購入したものなんです。そうやってコレクションの歴史と展覧会が結びついています。

 

楠本:1991年当時、国立国際に女性の学芸員はいらっしゃらなかったとお聞きしたことがあります

 

加須屋:いなかったんです。事務補佐には女性はいらしたんですが、それまで学芸に女性はいなくて、初めて採っていただいて。

 

楠本:今は学芸員に女性が増えていると言われていますよね。国立国際は現在、研究員が7名おり、女性は3名。来年1月からはじまる開館40周年記念展は、客員研究員を含めた3名の女性が担当しています。中之島移転後に国立国際の研究員になられた方たちが、国立国際の過去を振り返りながら、未来についても考える展覧会なので、面白いものになると思います。

 

加須屋:ポーランドでは美術館やギャラリーなどのトップはほぼ女性だったりするので、今後は日本もそういう風になってゆけばと思います。

 

〈国立国際のコレクションのお話〉

楠本:先ほど加須屋先生から展覧会に関連した作品収集についてお話がありました。私は国立国際に補佐員としてたった4年しかおりませんが、加須屋先生が2008年に京都芸大に移られて以降に収蔵した作品を簡単に補足させていただきたいと思います。

 

 国立国際のコレクションは、1970年の大阪万博で展示されていたミロの壁画一点から始まりました。以降、展覧会活動と並行しつつ、関連しつつ、コレクションが増えていったという経緯があります。


コレクションの総点数は2016年末で約7800点、年によってばらつきはありますが、最近は年間100点から300点程度の作品を受け入れています。国立国際は現代美術を扱う美術館ですので、2009年度に『絵画の庭』という2000年代以降の国内の絵画に焦点を当てたグループ展を開催した後には、その展覧会に出品された国内の若い世代の作家さんの作品を収蔵したという例もあります。1980年代生まれの同世代の作家さんの作品が美術館に収蔵されることは、私にとっても励みになります。

 

加須屋:現代美術が明確に中心になったのは多分移転後ではないかと思います。万博公園時代には、国立美術館の中で最後に出来た美術館ということもあり、国際的な関係に注目する、ということで、当初は時代をさかのぼっての国際関係に注目する展覧会も行われたようです。ただ、国際的な関係といえば中心になるのは現代だろうと、戦後の現代美術を中心に据えるようになり、最近では明確に同時代性というのが打ち出されてきていると思います。


楠本:また、開館40周年展の告知をさせていただきたいのですが、今回の展覧会のメイン・イメージに使われているアローラ&カルサディーラの《ライフスパン》は、昨年度、当館がはじめて購入したパフォーマンスの作品なんです。パフォーマンスは、ざっくり言うと、パフォーマーの身体的な行為をともなう芸術作品のことです。これまでパフォーマンスをしている状況を記録した写真や映像、関連資料類を収蔵するという例はあったかもしれませんが、そうではなく、この作品に関しては、パフォーマンスという形のないものを収蔵しました。具体的には、40億年前の石というパフォーマンスに必要な物と作品を展示する権利を収蔵しました。また、この作品では、3人のパフォーマーがその石に息を吹きかけるのですが、息と口笛に関する指示書というか、楽譜も含まれます。


加須屋:そのインスタレーションを買うというか。


楠本:収蔵した物は石と楽譜なのですが、作品はパフォーマンスという形のないものなんです。


加須屋:再現するには、生身の人が、、、


楠本:パフォーマーという生身の人がいなければ作品は成立しません。


加須屋:素晴らしいですね。インスタレーション形式の作品も最近では多く発表されていますが、以前はコレクションには向かないということで購入できなくて悔しかったものも結構あります。バウカさんの近作展の時に、使いかけの石鹸を全国から集めて石鹸のラインを作り展示した時も、当初は購入を検討したのですが、石鹸は保管に耐えられないだろう、再現も難しいだろうということでお返ししたら、テートモダンがその作品を購入したそうです。ロンドンに行かれると、大阪で集めた石鹸の作品が時々展示されています。


2008年の塩田千春さんの展覧会の時に作成した、靴を用いたインスタレーション作品でも、全国の多くの方々から思い出を書いたメモと共に靴をご寄贈いただきまして、たくさんの思い出が詰まったもので国際美の収蔵にふさわしいのではと思いましたが、これは保存時の臭いの問題とかカビの問題とか、再現性をどうするかということが難しく、別の作品が購入候補となって収蔵されたようです。この靴の作品は作家さんがご所蔵だと思います。ただ、段々美術館でも、インスタレーションを購入するやり方も考えて、新しい形に応じてコレクションをしていくし、今回のようにパフォーマンスもコレクションに加えてゆく、国立国際はそうした先頭を切って示してもらったら素晴らしいかなと思います。

 

楠本:新しい表現行為が出てくるなかで過去の表現手段だけにとらわれていると、同時代性っていうのは汲み取っていけなくなるので、やはりそれに対応していかないといけなくなるのは必然だと思います。 


加須屋:現代美術は素材も様々で長期保存を考えて作っていなかったり、壊れやすかったりするだけにアーカイヴへの注目も高いですね。


楠本:そうですね。当館の山梨館長が最近特に重視されているのは、作品だけではなく作品の周りにある資料類で、美術館での収蔵を積極的に考えておられます。これにはどういう経緯があるかと言いますと、アジア諸国、特に韓国や香港、シンガポールの美術館が、東アジアの戦後美術に関するアーカイヴというのを国家規模で進めようとしていると聞きます。そうしたなかで日本の作家の関連資料が国外に流出するおそれがあるので、それをどうにか国内に留めておきたいということもあって、可能であれば国立の美術館でそういったものも受け入れていこうと。国立国際での最近の例ですと、村上三郎先生の個展の資料類や、工藤哲巳先生の直筆のノート類を収蔵しました。また、そういったものがいくつかの美術館に分けて収蔵されるのではなく、ひとつの美術館でまとまっているいうことがとても重要だと思います。利用者がその資料にアクセスしやすくなりますから。


〈京都市立芸術大学でのお話〉

 

 加須屋:こうして様々な展覧会を開催させていただくことができ、様々な関連資料が蓄積されてきまして、それらを一度まとめたいなという気持ちになっていた時に、芸大の美学芸術学というお話がありまして、そちらに2008年から勤務場所を移しています。


勤務し始めてすぐ、新しく大学のギャラリーができるので手伝ってもらえないか、みたいな話がありまして、ギャラリーの立ち上げにも関わりました。ギャラリー@KCUAというのが20104月から開館して、堀川御池の北東角という、二条城も近くアクセスのいい場所にあります。


最初のオープン展は2010年の『きょう・せい』展。これは卒業して間もない作家を中心とするグループ展でした。京都市芸大のギャラリーとして、対象は京芸の卒業生に限ってはいませんが、中堅、若手作家、とりわけ卒業して510年くらいの、一番脂が乗っているけれども生活の困難さも身に染みるという、そのあたりを何とか応援してゆきたいというのが中心にあり、様々な分野の人々が集まって何か面白いことが始まるような場所にしたいと、様々に話し合いながら2015年度まで企画運営を続けてきました。

 

また、芸術学の研究室の中でも学生たちと展覧会企画について実践的に携わってきています。『カラーズ』という展覧会を継続開催していまして、これは学生による企画で、身近な学生たちの制作について常日頃よりリサーチしながら、その中から作家を選んで京都市芸大の現在の姿を示そうというものです。運営を含めてキュレーションを学びつつ、学外への発信もしよう、という趣旨です。


ポーランドを中心とした中欧地域の現代美術研究も継続しておりまして、ギャラリー@KCUAにてポーランドのドミニク・レイマンの個展『遠くて、近すぎる』を開催したり、『存在へのアプローチ』というポーランドの戦後の美術の流れを振り返るような展覧会をポーランド側と協力開催したりしました。予算規模は小さ目ながら、戦後ポーランドの歴史的な流れを示すのに重要な作家さんたちが参加してくれて嬉しかったです。

 

2015年は、ダデウシュ・カントルというポーランドの20世紀後半を代表する美術家・演劇家の一人として重要な作家の生誕100周年でした。ポーランド政府の援助も受けながら、『死の劇場―カントルへのオマージュ』という展覧会を行い、関連の舞台公演も行いました。ポーランドから4組と日本側から4組の作家を招いて、カントルの作品と一緒に、カントルが残したものをどのように受け継いでいるのかを考える展覧会で、また、隔月で定期的に研究会を開催したり、上映会やシンポジウムを行ったりと、年間を通じてかなりこの年はカントル漬けでした。

 

 

画像: ヨアンナ・ライコフスカ《父は決して私をこんな風に触らなかった》2014年 映像 
『死の劇場―カントルへのオマージュ』展示風景 2015年 京都市立芸術大学ギャラリー@KCUA

 

楠本:美術館で企画する展覧会と大学や@KCUAでの展覧会の違いを、どういったときに感じられますか。

 

加須屋:大学では美術館の時に比べて、展覧会予算規模はかなり小さいのですが、その代わり実験的なことはやりやすい環境にあると思います。また、若手支援ということもあり、色々自分たちで工夫して手作りで作ってゆけています。展示という形にとどまらず、様々な試みが可能です。また、美術館では長期的計画を立て、長い時間をかけて準備してゆくことも多かったように思いますが、ギャラリー@KCUAでは、面白いと思ってから実現までのスピードは早いですね。特に最初の頃は、走りながら考えているようなところもありました。大学の中にもギャラリーがありますが、そちらは学生たちの企画する展覧会が主に行われておりまして、まず大学内で試みて、その手ごたえを見ながら完成度を上げてゆく、という、途中経過のような感じもします。

 

〈龍野アートプロジェクトについて〉

 

画像:『龍野アートプロジェクト2011「刻の記憶」』チラシ(部分)

 

楠本:@KCUAとともに加須屋先生が2011年から企画されている兵庫県の龍野アートプロジェクトについてお聞かせいただけますか。

 

加須屋:私が生まれたのが兵庫県たつの市なんです。播磨の小京都と言われていて、とても静かで落ち着いた町です。旧市街には100年以上前からずっと変わらない武家屋敷があったり、醤油蔵があったり、城跡があったり、かつての街並みがかなり良く保存されています。私が子どもの頃と今とほとんど変わっていなくて、それは私にとっては当たり前のように思っていたのですが、よく考えると、当たり前ではなくて、あんまりそういうことは他の町では見られないかもしれないですね。古地図で見られる道割とほぼ同じものが今も残っています。その理由は、大きな災害に遭わなかった、戦争でも破壊されなかった、ということや、人々の残そうという努力もあるかもしれませんが、土地開発の波が来なくてずっとそのままになっていたこともあるかと思います。ただ、色んな地方都市で現在進行中の現象かと思いますが、高齢化が進んで、一人暮らしができなくなって都会で暮らす子どもたちのところに引き取られたり、家を継ぐ人がいなかったりすると、無人になってしまって、人が住まないと家が荒れ、そのうち取り壊されて、せっかく今残っているものがどんどん無くなっていきつつあります。それを何とかしたいという、街並み保存の運動が地元でも10年以上前から行われていて、そこに、2011年から始まる文化庁の「文化遺産を活かした観光振興・地域活性化事業」という、ミュージアム活性化支援事業の助成金の公募が出ているのをたつの市立龍野歴史文化資料館の学芸員さんが見つけてくださって、「加須屋さんはたつの出身ですよね」と誘ってもらって一緒に応募したのがきっかけです。これに受かりまして、そのおかげで醤油蔵や武家屋敷を使った展覧会として、初回が実現しました。


この時は尹煕倉(ユン・ヒチャン)、東影智裕、小谷真輔という、龍野ゆかりの作家さん3名と、龍野出身の作家の芝田知佳さんが参加。あとはガレリアアーツ&ティーという、龍野アートプロジェクトの事務局をしてくださっているところのお嬢さんの井上いくみさんがパリを拠点に活躍されておられたので、その同級生さんたちにも来ていただいたりして、全体では10名の作家による展覧会でした。


フランスから来日の作家さんたちは、一ヶ月ぐらい龍野に滞在され、街を見ながら、現場で制作していきました。30年間ほどずっと使われていなかった醤油蔵をメイン会場の一つにしましたが、埃は積もるし様々なものが置かれたままでしたので、まずは片付けて掃除をして、というところから始めました。

 

2年目も醤油蔵を中心にして企画しました。この時はパリを拠点に活躍しておられる、松谷武判さんもご参加いただけたんですね。また、芝田知佳さんが街中のあちこちに、看板の作品を置いてくださって、スタンプラリー形式にしまして、作品を探しながら、町並み散策も楽しんでいただけるように工夫しました。

 

画像:松谷武判 『龍野アートプロジェクト2012「刻の記憶」』展示風景 2012年 醤油蔵(兵庫県たつの市)

 

2013年は3年間のプロジェクトのまとめの年だったので、1年目と2年目に参加してくださった方々に再度お願いし、更に新規の作家さんも加えて規模も大きくなりました。たくさんの後援、協力もいただき、ポーランドからもご援助いただきました。地元の高校や企業にも協力していただきながら作り上げた展覧会です。街全体を使った催しになったと思います。

 

2014年には日波現代芸術祭「流れ」と、日本とポーランドの現代芸術、特に実演芸術に注目する催しとなりました。ポーランドと日本の交流ということと、音楽やパフォーマンスなど、瞬間に注目する実演芸術の国際的な発信を目指して開催し、様々なコンサートやワークショップを企画実施しました。

 

2015年は助成金申請に間に合わず、予算がない中で、パリの兵庫県事務所を使わせていただけるということで、在フランスのゆかりのメンバーを中心として「龍野アートプロジェクトinパリ」を実施、また龍野でも、現代音楽作曲家の薮田翔一さんによる龍野城コンサートと、龍野アートプロジェクト小品展、アーカイヴ紹介や、サポートスタッフによる小さな展覧会を同時開催することになりました。ちょうど同じ2015年に、薮田翔一さんが世界作曲コンクールでグランプリを受賞され、取材が殺到しました。龍野アートプロジェクトの龍野城コンサート開催時に記者会見をされて、話題となって良かったです。

 

2016年は「時空の共振」というテーマで国際芸術祭を行いました。この時も実演芸術の国際発信、音楽と美術の響演、ということがメインとなり、薮田翔一さんが「大奥」というオペラを作曲され、世界初演となりました。龍野小学校の体育館をお借りして、そこに舞台を設営しての実施となりました。そのほかにも、新しい会場を使わせていただくことができました。

 

今年2017年は、残念ながら助成金が取れませんでしたが、再びパリの兵庫県事務所で龍野アートプロジェクトinパリを9月初旬に開催しました。過去に龍野アートプロジェクトに参加してくださった作家さんで、パリを中心にフランスにいる方と、それから現在ポーランドに留学中の作家さんなどにご出品いただけました。

 

11月には「龍野アートスケッチ」を開催します。チラシをみなさんのお手元にも配っていただきました。ポーランド広報文化センターとAdam  Mickiewicz Instituteというところからご援助いただき、ポーランドよりカロリナ・プレグワさんという映像作家をお招きできそうです。彼女は地域の人々と協力しながら一緒に映像作品を作ることが多く、今回も、龍野の人々と一緒に話し合いながら、新しい作品を作りましょうかとご提案いただいておりまして、既存のブレグワさんの作品上映と合わせて彼女のワークショップ「物語スケッチ」も行います。あとは大阪在住の稲垣元則さんが龍野に何度かお越しくださって、映像、写真、ドローイングを組み合わせて龍野のための新作インスタレーションを展示予定、それから週末には.esさんが稲垣さんの映像とコラボレーションで即興演奏ライブをしたり、薮田翔一さんのコンサートも予定しています。コンサートは有料ですが、展示は無料で、龍野に残る古いお宅を使って現代美術を展示する、ということは実現しそうです。会期中、週末には「たつの市皮革祭り」という大きなお祭りや、「オータムフェスティバルin龍野」というのがありまして、そこに来られる方々にもぜひ展示やコンサートをお楽しみいただき、龍野アートプロジェクトの裾野を広げてゆきたいと考えています。地元に暮らす私の家族親戚や友人たちをはじめ、普段あまり現代美術に馴染みが少ない層でも、今年でもう開催7回目になりますので、何となく「あっ、龍野アートね」みたいな感じで段々イメージしてくださるようになりました。そんなにアレルギーもなく「不思議なことする人がいるのね」みたいな感じで、楽しんでいただけているようでありがたいです。今後もワークショップなどで一緒に作品を作ったり、コンサートを実施したりと、活動を継続してゆきたいと考えています。


龍野アートプロジェクトをきっかけにして、地元へ人々が帰ってきたり、外から来られて生活を始めておられる例もあり、また最近では、町おこしの動きとも連動して、古い建物をうまく残しながら活用し、新しいお店、カフェや店舗などが次々にできたりしていますので、そういう動きも含めてすごく嬉しい流れかなと思います。

 

〈ポーランドについて〉

画像:クラクフ中央広場、聖マリア聖堂(ポーランド) 

加須屋:ポーランドが何度も出てきますけれども、なぜそもそもそこに注目するかという話を最後にちょっとします。


高校までは龍野で過ごし、静かな落ち着いた環境で、図書館に通っては読書に没頭する毎日で、小説を読むのも大好きでした。父は地元の高校でデザイン教師をしていまして、家には画集が色々あり、本を読むのと並行して画集にも親しんでいて、美術館は小さい時に連れられて行った倉敷の大原美術館などが印象に残っています。それで大学も文学部に進みましたが、大学時代に、ロマン・インガルデンという美学者・哲学者の『文学的芸術作品』という著書に出会い、非常に感銘を受けました。文学作品の構造分析をしていて、芸術作品がどういう風な構造をしているかとか、価値とは何かとか、それまで私が高校までで学んでいた国語や読書感想文とか、それらとは異なるアプローチで文学作品を分析してありました。それがものすごく面白いなと思ったんです。そのインガルデンがポーランド人だったんですね。彼がポーランドの古都クラクフにあるヤギェウォ大学で教鞭をとっていたこともあって、研究を続けるんだったら留学したほうがいいと思って行ったのが、たまたま1989年から91年という激動の時代でした。本当に色んな意味で驚いて、物はないしシステムが違うってこういうことかと思いました。でも物はなくても生活はとても豊かなように思えて、衝撃を受けました。皆さん普通に昼過ぎには仕事を終えて自宅に戻って家族で食卓を囲み、夕方には映画やコンサート、お芝居を見に出かけたり、友人宅を訪問しあったり、週末には山小屋へ一家で出かけたりと、生活の質において非常にゆとりがある生活を送っておられるように感じられました。文化芸術の豊さにも魅了され、それが日本ではほとんど紹介されていないことも残念で、帰国して国立国際美術館に学芸員として勤務して以後は、自分で企画できるならそうした豊かさをぜひ日本でも紹介したいと心がけた、というのは冒頭でお話した通りです。

 

その当時から継続的に調査を重ねており、何冊かこれまでに本を出すことができました。『中欧のモダンアート』と『中欧の現代美術』という本は、埼玉大学の井口壽乃先生や他の方々と一緒に出しています。この地域の美術について日本語で読めるものがまだ少ないので、少しでも身近に感じていただけるかなと思います。ポーランド現代美術については『ポーランドの前衛美術-生き延びるための「応用ファンタジー」』というタイトルの本を出せました。アヴァンギャルド、前衛、というのは、20世紀初頭の元々のものというよりも、戦後のネオ前衛を主に指しています。それから、現代に前衛が継承されているのではないか、という考え方でまとめてみました。その特質としての応用ファンタジー的なあり方とは、ポーランドが被ってきた苦難の歴史と関連があります。かつて広大な領土を誇り、数多くの芸術家や学者たちを輩出してきた国でもありますが、同時に何度も戦いに敗れて国境が変化し、18世紀には3度の分割を経て国が地図上から消えていた時期もあります。1918年にやっと独立したと思ったらナチスに占領されたり、戦後も共産主義体制の中で、物もないし、移動や表現の自由も制限され、そこで何とか生活をし、自分たちの表現行為を続けていくという、必要に迫られた中から生み出される、不条理な世界において生き延びるために必要な知恵や工夫、ユーモア、検閲を逃れるために表面上はわからないように、こっそりと忍び込ませるメッセージ、というような特質について、応用ファンタジーという風な言葉で表してみました。この本の表紙は、ロベルト・クシミロフスキという方の作品です。クシミロフスキは国立国際の40周年展に出るかな? 


楠本:出ます。

 

加須屋:作品を大阪のために作られるそうで、大変楽しみにしています。この表紙にある家の作品ですが、ポーランド系アメリカ人で、テオドル・カチンスキというマッドサイエンティストがいて、湖畔の小屋に篭って爆弾を作り続け、大学や金融機関などへ爆弾を送って多数の死傷者を出した「ユナボマー」と呼ばれる人物なんですけれども、そのマッドな閉じこもった感じの小屋をクシミロフスキが再現したものです。クシミロフスキはそういう、様々な歴史的な背景のある構築物を本物そっくりに作ってしまう方で、国際美で展示される作品も大変期待しています。

 

それから『珠玉のポーランド絵画』という、ポーランドの絵画史についての解説書も翻訳しています。日本語で読める資料がほとんどないので、大学に移ってからの色んな活動の中で、こういう出版とかにも力を入れています。クラクフ、ポーランドのヤギェウォ大学で89年から91年まで勉強しながら、生活は大変だけれども、同時に先ほども申しましたように、文化芸術の素晴らしさ、日頃から人々が普通に身近にそれらを楽しんでいる様子に惹かれました。経済的には大変でも、食べ物が素朴で美味しいとか、生活の「豊かさ」を感じました。素晴らしいところとすごく大変だったり理不尽だったりする生活との両方を見て帰ってきましたので、その後も継続的にポーランド及び中欧ヨーロッパの芸術文化について調査しながら、そこで見たものを何とか伝えたいと考えています。

 

これが聖マリア教会というクラクフの中央広場に立つ教会です。クラフクという町は京都のように、戦争で破壊されなかったので、中世の街並みが残るとてもしっとりしたいい町です。次も、中央広場の様子です。89年に体制が変わって、民主化されて、2004年にはEUに加盟し、西側の資本がどんどん入ってきています。私が行った頃は、かなり町はモノトーンで暗い感じでした。あんまり何も色もないような中でも花屋さんだけはカラフルで、人々の暮らしにも手作りな良さがあったと思います。今はもう本当に色々と、情報もものも含めて入ってきていて、すごく便利になり、行きやすくなりました。ぜひ皆さんクラクフへぜひ行ってみてください。


楠本:日本の現代美術をポーランドで紹介するということも、積極的になさってこられましたよね。


加須屋:国立国際にいる間に、安齊重男さんの展覧会が開かれた時があって、安齊さんの展覧会をクラクフのブンケル・シュトゥーキという現代美術ギャラリーでも開催したりしました。安齊さんは、ちょうどポーランドで戒厳令が発令された直後、本当に大変で緊張の走る時期にポーランドのウッチへ行かれたことがあったということで、その時に撮影された写真も展示しました。あとは小川信治さんの近作展が国立国際で開催されましたが、それもポーランドへ紹介し、個展が開催できました。彼の作品はクラクフ現代美術館のコレクションになり、ワークショップをしたり、企画展があったりで小川さんの作品はクラクフで何回も紹介されています。あとは須田悦弘さんの展覧会をクラクフの日本美術技術博物館マンガで開催しました。彼の作品も、クラクフ現代美術館のロビーに展示されています。塩田千春さんも、ワルシャワのウャズドフスキ城現代美術センターとクラクフの日本美術技術博物館マンガで個展をされましたが、その後、ワルシャワのザヘンタ国立ギャラリーでのグループ展にもご紹介して参加されました。来年2018年はポーランド独立100周年、2019年は日本とポーランドの国交樹立100周年にあたりまして、それに向けて日本とポーランドの交流展を準備しているところです。

 

楠本:本日は長時間にわたり、ありがとうございました。

 

【まとめ】事務局より

美術館に務められていた時から一貫して、同時代作家と協働し、展覧会やアートプロジェクトを作り上げていった加須屋さんのお話は2時間では足りないほどの内容でした。ポーランドに対する情熱や、ご自身のご出身でもある兵庫県たつの市での龍野アートプロジェクトの芸術監督を務めてご尽力されているお話は、今後に繋がっていくものばかりで、次の展開がとても楽しみです。

(記録:鈴木)

 

加須屋明子/KASUYA Akiko プロフィール

1963年兵庫県生まれ。京都大学大学院文学研究科博士後期課程修了、美学美術史学専攻。ヤギェウォ大学(ポーランド)哲学研究所美学研究室留学。

1991年から2007年まで国立国際美術館学芸課勤務。専門は近・現代美術、美学。主な展覧会企画は「芸術と環境-エコロジーの視点から」1998年、「いま、話そう 日韓現代美術展」2002年、「転換期の作法ポーランド、チェコ、スロヴァキア、ハンガリーの現代美術」2005年、「塩田千春 精神の呼吸」「液晶絵画」2008年、「死の劇場カントルへのオマージュ」2015年など。

2011年より龍野アートプロジェクト芸術監督。

著書 に『ポーランドの前衛美術――生き延びるための「応用ファンタジー」』( 創元社、2014年)、『ポーランド学を学ぶ人のために』(共著、世界思想社、2007)、『中欧のモダンアート』(共著、彩流社、2013年)、『中欧の現代美術』(共著、彩流社、2014年)、翻訳に『アヴァンギャルド宣言――中東欧のモダニズム』(共訳、三元社、2005年)、『珠玉のポーランド絵画』(共訳、創元社、2014年)など。


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