美術館にアートを贈る会

アートが大好きな私たちは、
市民と美術館の新しい関係の構築をめざしています。

宝塚市立文化芸術センター訪問(4/29)のご案内

2023-04-21 14:36:06 | Weblog

当会新年度最初の企画です。

宝塚市立文化芸術センター開館3周年記念展
「オマージュTAKARAZUKAー春 プリマヴェーラ」
https://takarazuka-arts-center.jp/post-exhibition/post-exhibition-3072/

開館3周年を迎え、宝塚をアートの新たな聖地に、気鋭のアーティスト12名が「花・生命・春」をテーマに作品を披露しています。
本展は「花・生命・春」をテーマに日本全国から招待した、若手からベテランまでのアーティスト12名による現代アートの祝祭です。宝塚へ捧げられた春の現代アートを心ゆくまでお楽しみください。

この展覧会を企画監修された加藤義夫館長が解説してくださいます。

日時:4月29日(土・祝)14:00 1階ホワイエに集合
       14:00〜15:00 企画監修された加藤義夫館長による解説
       その後、15:00〜16:30トークイベント(申込不要)がございます。
       「YASUYO FUJIBE INTERTIDAL WORLD 藤部恭代 インタタイダルワールド」@1階キューブホール(自由参加)

会場:宝塚市立文化芸術センター
   宝塚市武庫川町7番64号
   https://takarazuka-arts-center.jp 

観覧料:各自でチケットはお求めください。

参加申込:美術館にアートを贈る会事務局までメールでお申し込みください。
     info@art-okuru.org


第6弾寄贈プロジェクトのクラウドファンディング達成しました。

2023-04-21 14:32:37 | Weblog

第6弾寄贈プロジェクトのクラウドファンディングが皆様のおかげで下記のように目標金額をクリアしました。
ご支援とご協力をありがとうございました。

 応援額:1,336,555円
 コレクター:57人
 達成率:134%

なお、このプロジェクトの予算は220万円のため引き続き募金活動を続けてまいりますので、より一層のご支援をよろしくお願い申し上げます。


滋賀県立美術館訪問(2/18) 川内倫子展ガイドツアー レポート

2023-04-05 11:13:39 | Weblog

滋賀県立美術館訪問 レポート

ガイドツアー 学芸員 芦髙郁子氏
企画展「川内倫子 M/E 球体の上 無限の連なり」展示室3
関連展「川内倫子と滋賀」展示室1
                
日時:2023 年2 月18 日(土)13 時〜14 時30 分
参加者:15 名

 滋賀出身の写真家・川内倫子の展示を芦髙郁子学芸員にご案内いただきました。

 展覧会タイトルの「M/E」は、「母(Mother)」「地球(Earth)」の頭文字で「母 なる大地(Mother Earth)」、そして「私(Me)」という意味です。

 <4%>というシリーズからツアーは始まりました。物理学者の佐治晴夫さんの「宇宙の中で私たちが目に見えるものはたったの4%に過ぎない。96%は見えないが確かに存在する」という言葉からインスピレーションを得た世界が表現されていました。

 会場デザインを中山英之建築設計事務所が担当し展示空間にはさまざまな仕掛けがありました。くり抜かれた壁から向こうの作品が見えたり、気がつかない壁の下の方に小さい映像が映し出されたり、阿蘇の野焼きの写真が窓の外に展示されたり、床に川面の映像が映し出されたり、アイスランドの火山に入ったときの地球に包まれる感覚を表現した、襞状の薄い布でできた洞窟のような空間など、川内倫子さんの写真世界を多面的に見ることができました。

 〈One surface〉というタイトルのモノクロの写真の部屋では、川内の写真絵本 『はじまりのひ』の朗読が流れていました。場所によって聞こえ方が異なり、 中央に吊られた布とともに、ゆらぎが感じられます。

 関連展「川内倫子と滋賀」では、滋賀で撮りためてきた映像や、長年家族を撮影した写真が投影され、祖父の死と命の誕生など命のサイクルを感じました。 映像のために作曲された曲も印象深く心に残りました。

 また、滋賀県甲賀市にある障がい者多機能型事業所「やまなみ工房」を約3年間撮影した写真と映像も展示されていました。
 《サッポロ一番しょうゆ味》のパッケージが展示台にポツン。なんだろう。やまなみ工房の利用者の一人が、朝起きてから寝るまでサッポロ一番を見て過ごすようで、パッケージの上に貼られた日付は、川内倫子さんが撮影に来た日とのことでした。

 「生」と「死」、巨大なものと小さいもの、宇宙と日常、それらがゆらぎ、遠くにあるようでつながっていて、淡い色合いなのに力強さも感じられ、タイトル にある「無限の連なり」に包まれるような感覚になりました。
 詳しい説明をありがとうございました。
(事務局:奥村恵美子)


滋賀県立美術館訪問(2/18) 保坂健二朗ディレクター(館長)講演 要旨

2023-04-05 10:50:01 | Weblog

滋賀県立美術館訪問

講演「かわる、かかわる」 保坂健二朗 ディレクター(館長)
日時:2023年2月18日(土)12時~13時
参加者:15名

●ディレクターと呼んでほしい理由

 東京国立近代美術館の研究員を20年間したあと、ここに移ってきました。館長になりませんかという話をいただいた時が44 歳。かなり異例のことでした。
 そこで見ての通り「県立美術館の館長ですと言っても、何言っているんだ」 とあまり信じてもらえない。館長という名前には、名誉職か、専門職か、行政職か、よくわからない響きがあります。館長を英語にするとディレクターになり、館長は館の長ですが、ディレクターはディレクションをする人になります。 そこでディレクションをする人として就任したいと自分にも任じたいし、周りにもそう思ってほしいとこの名称にしました。
 また、広報予算が少ない中で、「ディレクターと名乗ります」と言うと「なぜですか」と話題づくりにもつながると思いました。

●略歴とコレクションについて

 開館は昭和59 年(1984 年)。1980 年代は日本各地に公立美術館ができた時代で、滋賀県にも美術館をつくろうという流れになりました。そのときの後押しになったのが、大津出身の日本画家、小倉遊亀さんです。小倉さんが「もし滋賀に美術館ができるのであれば、手元に残している作品を寄贈しても構わない」とおっしゃってくださったのです。

 昭和55 年(1980 年)には収蔵品収集審査会が設置され、審査会のメンバー には京都大学で美術史を教えていた乾由明さんも含まれていました。彼は料亭 「播半」の出身で文化に造詣の深い環境で育ち、初代館長候補でもありましたが、京都大学の教授と館長は兼職できないので、顧問という形で美術館の草創期にいろいろなアドバイスをいただきました。

 このときに三つの収集方針が決められました。
① 日本美術院を中心とした近代日本画
② 滋賀県ゆかりの美術・工芸等
③ 戦後アメリカと日本の現代美術

 公立美術館であれば②郷土ゆかりは当たり前ですが、①と③はとても珍しい。

①の収集方針針について
 収集方針に日本画と書いている公立の美術館は実はそれほどありません。富山県水墨画美術館など専門の美術館は別として、収集対象は日本の近代絵画とし て、日本画だけでなく、洋画も集めてバランスを取るのが通常です。しかし、 この美術館ができる前に、京都国立近代美術館をはじめ、京都市美術館、兵庫県立近代美術館もあり、そこがすでにかなりのコレクションを有していて、それに対して特徴を出していくためには院展の日本画だろうとなったと考えます。小倉遊亀さんの寄贈もあって、そういう方針に決まりました。

③の収集方針について
 アメリカと打ち出しているのも珍しいです。1980 年当時、日本で人気のある美術と言えばフランスの印象派です。今でもそうかもしれません。人気のある作品は購入予算があったとしても高すぎてなかなか買えません。しかしアメリカの近現代美術は同じ価格でトップクラスのものが買えました。
 ただ残念なことは、アメリカの作品は大きなものが多く、この美術館の展示面積がそれほど大きくないのでなかなか常設として出せていません。このように、もともとユニークだったコレクションに、さらに2016 年に④「ア ール・ブリュット」という収集方針を打ち出しました。アール・ブリュットを収集方針にしているのは、ここの美術館だけです。

 ④の収集方針について
 この言葉をつくったのは、ジャン・デュビュッフェです。これは本当に難しい概念で、ブリュットとはフランス語で、単純さ・自然さ・育ちの悪さ・滑稽さ・ 無骨さという意味があります。
 英語で言えば、RAW(生)が近い。ネガティブな意味合いも強い。
 また、シャンパンのラベルに「Brut」とあるものがあります。ドサージュ(糖 を加えて味を調整すること)をしていない、ぶどうの生々しい味を味わえるのがブリュットです。デュビュッフェの生家がワイン商だったこともあり、ワインにも精通していて、ポジティブな意味とネガティブな意味を併せ持つアンビバレントな言葉を理解して、自分が本当に美術だとしてあるべきアートに対して、ブリュットと名付けたのです。

 彼が評価している作品とは、芸術文化によって傷つけられていない人によって作られた作品です。高く評価されていたり、流行していたりするアートの規範からではなく、己の深みからすべてを吐き出している作品。そこには純粋な芸術的操作が行われていて、そこには芸術家自身の衝動が大事で、それをブリュットと、比類なき創造性を宣言するとあります。

 アール・ブリュットの定義は、作り手がどういう人なのかが重要で、作品の形式的な特徴というのは情報として一切ありません。
 デュビュッフェがそのような考え方にいたった背景は、第一次、第二次世界大戦によってめちゃくちゃになっていた世の中を見て、それを引き起こした意識、 たとえば他よりも優れていなければならない、他よりも進んでいなければならない、つねに最先端のものを求めていくという一種の前衛主義を否定した方が良いと考え、それよりも人間はもっと根源的なものを作れるはずだとしたのです。

 デュビュッフェの集めたアール・ブリュットの作品はスイスのローザンヌ市に寄贈されています。ここの展示の特徴は、壁も床も天井も真っ暗なところに展示して、心の闇を覗くかのようになっています。
 これと対照的な美術館が、フランスのリールにあるLaM(リール近代・現代ア ート・ブリュット美術館)で、ここにアラシンコレクションが寄贈され、外光が入る明るい展示空間になっています。創作がジョイフルに行われたことが感じられるようになっています。
 いま世界的な潮流として、アール・ブリュットのまとまったコレクションを加えることがあり、既存のコレクションを相対化することが進められています。

 2016 年に滋賀県立美術館がアール・ブリュットを収集方針に加えようとなった背景のひとつには、滋賀の福祉の世界でユニークな活動をしていた糸賀一雄さ んという方がおられたことです。糸賀さんが運営していた福祉施設の中でものづくりを支援していこうという動きがあり、招いた指導者の一人に前衛陶芸家集団「走泥社」を結成した八木一夫さんがいました。八木さんは彼らがつくっ た作品を見て「このままでええやん。面白いものをつくっているからこのままでいい」と、指導でなく自由に作らせる環境がここから育っていったことが滋賀にはあります。

 ドイツの精神科医プリンツホルンが言っているのは、障がいがあるから才能があるというわけでなく、健常者であろうと障がい者であろうと100 人いて面白い作品がつくれる人の数の割合は変わらない、ただ出てくる作品が、障がい者の場合、誰も想像がつかないようになる可能性が高いとしています。

 アール・ブリュットが、モダンアート、近代美術に対するアンチテーゼでもあるので、就任時に滋賀県立近代美術館の「近代」をとりませんかと申し上げて取ることになりました。 アール・ブリュットがコレクションに多様化をもたらしたのですが、ここの収蔵作品、特に「戦後アメリカと日本の現代美術」のコレクションには、女性の作品もほとんどないし、写真もありません。そこで、新しく「⑤芸術文化の多 様性を確認できるような作品」を収集方針に加えました。
 ぜひ、皆さんからも 寄贈をお願いしたいです。

【文責:事務局・奥村恵美子】