美術館訪問シリーズ
日時:2023年11月12日(日)10:30〜12:30
場所:姫路市立美術館 講義室、展示室
参加者:10名
*講演「姫路市立美術館はいま」
講師:館長 不動美里氏 学芸員 二宮洋輔氏
姫路市立美術館は2023年(令和5年)は開館40周年を迎え、また姫路城も世界文化遺産に登録されて10周年という二つの周年が重なる年である。
今日は、姫路市立美術館がいまどういう課題に向き合って何をしようとしているのかについてお話したい。
ーコレクションについてー
現在、約5000点の作品を所蔵している。
収集方針
1)郷土ゆかりの美術家の優れた作品および郷土の歴史・風物などに関する美術作品
2)日本の近現代美術
3)ベルギーなどの海外の近現代美術。
日本の美術館は、90年代からバブル崩壊以降受難の時代を迎えていて、コレクションの購入予算が多くの館で削られたり、あるいは凍結された状況があり、苦しい時代をなんとか生き抜いていこうという各館の取り組みが現在もさまざまな形で行われている。
当館も、10年前に着任した際にはコレクション購入予算の凍結があり、それをなんとか打開して購入を再開するのが、私の最大のミッションだった。美術館は市民の宝物で、いまだけのことではなくて、未来永劫にこの美術館の存在が市民の暮らしにお役に立つことをどうすれば実感していただけるのか、と考え地道に努力を重ねた結果、着任の翌年には購入を再開しても良しとなった。
—美術館の歴史—
さらに、より良い美術館に発展させ、さまざまな課題を乗り切るためにまず考えたのは、美術館の歴史だった。
この美術館は世界遺産の敷地の中にあり、この建物自体が国の登録有形文化財。さらにここは日本陸軍の武器庫だった。そういういわゆる負の歴史も美術にとっての非常に需要な歴史の糧であり、そのことを自覚した美術館でなくてはいけない、と考えた、つまり、美術館の歴史は、40年ではなくて1905年(明治38年)に武器庫が建ったときから100年以上の歴史がある。市役所の時代もあり、そして美術館として残そうという選択をしてきた中での美術館。これこそ美術館にとっての大きな宝物と考えた。国の歴史的景観に寄与する建物であり、姫路城と一体として評価された文化財であるのがこの美術館、という自覚を美術館が持つことにした。
—美術館の基本理念—
多くの市民のみなさんの願いに応じて1983年(昭和58年)にできた美術館の基本理念をいまの私たちの視点で確認するという作業をした。
4つのポイントが示されている。
1 多くの名品を所蔵して、常時展示する
2 国内外の優れた作品による美術展を企画し開催する
3 上記の実現のための地道な調査研究活動を行う
4 新しい美術動向を先取りし、今後の展開を図る
4番目のポイントが40年前にすでに謳われていたことは大きな勇気を与えてくれた。着任当時、姫路では現代美術は難しいとされ、実際にコレクションの中でも、コンテンポラリー、同時代の作品については数が少なかった。それをどうやって取り込んでいったらいいかと考えた結果、「オールひめじ・アーツ&ライフ・プロジェクト」に結実した。
—法制面の変化—
その前提となる、我々の置かれている状況を法制面から、簡単に説明する。
従来、文化行政は「保存と活用」という二つの取り組みがあった。保存とは、一定の温度湿度を保つ、光を当てない、衝撃を与えないなど、ものとしての美術作品をいかに後世に継承していくかというための取り組みである。一方で、活用は実際に展示をして見てもらう。それに付随して、いろいろなリスクが出てくる。空間に移動するだけで物理的な衝撃のリスクもあるし、見るための光を当てることによるダメージなどがある。
保存と活用は相反するような面もあって、これまでいかにバランスをとるか、またどちらかというと、保存の方に比重が置かれた取り組みがこれまで主流であった。ただ近年、それでは人々にその価値がアピールできない、共有されないまま行われる保存というのが、本当に社会に周知されない状態で持続可能なのか、というような問題意識が出てきた。それに応じて、ここ数年法律の制度改正などが重ねられてきている。
2001年(平成13年)にできた「文化芸術振興基本法」は、2017年(平成29年)に、「文化芸術基本法」に改正施行された。このポイントは、改めて文化芸術の価値「本質的価値、社会的価値、経済的価値」というものが定義された点である。
本質的価値は文化芸術そのものがもつ本来的な価値である。社会的価値というのは、例えば、多様な価値を文化芸術が示すということで、ある種社会的包摂的な役割を果たす。異なる価値観を受け入れ合える社会の形成に寄与することがアートの可能性というところに関わってくるところである。経済的価値は、文化芸術が利益を生むものとして、社会の要請に応じつつ、観光をはじめとしたさまざまな分野と連携して相互的に文化芸術政策は展開されなければならない。
この三つの価値を発揮していくべしと法律で定められた。
これに続いて、2018年(平成30年)には文化財保護法が改正された。
保存と活用が単純な二項対立ではない。保存と活用はともに次世代に継承という目的を達成するために必要である。適切な保存のもとで行われる活用によって、文化財の大切さを多くの人々に伝えて理解をしてもらう、そのことが保存につながる。保存と活用がセットになって、保護になると整理されている。
この一連の大きな流れを受けて、2020年(令和2年)に施行された法律が、文化観光推進法である。文化観光が、文化についての理解を深めることを目的とする観光と定義されていて、文化芸術を観光の分野で活用して、本質的価値を伝えるとともに、社会的、経済的価値を生んでいく。そのための法律である。
この文化観光推進法に基づいて、当館の方で計画認定を受けたものが、「姫路市立美術館を中核とした文化観光推進拠点計画」である。
この文化観光推進法にもとづく計画としては、博物館施設単独で策定することはできず、必ず観光関係の事業者と連携をして、ともに取り組む計画でなければならない。当館の計画においては、書写山圓教寺、姫路城、これを姫路の二大文化拠点と位置付けて、その二大文化拠点をアートでつなぐハブ施設として姫路市立美術館が役割を果たすことにした。この二大拠点以外にも、さまざまな建築や歴史的な史料も市内には多数あり、それらをつなぐバスや路線で移動の利便性も高めながら、人々を実際に動かして経済を動かす。そのために神姫バス、神姫観光、山陽電鉄、姫路観光コンベンションビューローと連携をとっている。
美術館単独で、美術作品、美術家といった美術の専門とされる領域にだけ向き合っているだけでは美術館が持続可能な状況ではなくなって来た。美術本来の力、アーティストがもっている生きる力そのものを創出していくような、あらゆる万人にとって大切なそういう要素を、いかに美術館が守り育て発信していけるか、ということがますます重要になってくる。観光が先か、経済が先か、文化が先か、ではなくて、全部が相乗効果をもつような関係をもつので、美術館が文化の力と美術の力そのもののパワーを、みなさんに伝えていくことがなおさらいままで以上に重要になってくる。
—5人の招聘作家—
姫路がもっている歴史と伝統と自然環境、そしてさまざまな独自の地域文化、それらの文化的な糧と接点のもてる、それに関心をもってくれるアーティストを選び抜いて、5人のアーティストにお声がけした。
2021年(令和3)年から4年間という期間という中で、毎年、一人のアーティストが姫路に向き合い、美術館と書写山園教寺を拠点に、そこで作家のスタイルに応じて、その歴史ある文化財を現代のアーティストの視点で掘り起こして、新たな価値を掘り起こしていく、そういう創造活動をしていただく。美術館という館内での個展、そして外では美術館の中ではできない活動、二つの中心をもって、姫路全体にその影響が浸透するような、そういう活動を積み重ねていこう、それが「オールひめじ・アーツ&ライフ・プロジェクト」である。
初年度が日比野克彦さん、二年目が杉本博司さん、今年がチームラボ、来年が隈研吾さん。中谷芙二子さんは、屋外の庭園というステージで3カ年をかけて三部作をつくっていただく。
—特色—
特色はフォーラムを年一回行うことである。1年目の日比野さんも、2年目の杉本さんも、展示が終わったアーティストではなくて、このプロジェクトの4年の間、姫路と縁のあるコアアーティストとして、姫路のことをいつも気にかけてくださいとお願いした。姫路で生み出された作家の作品や創作のムーブメントはずっと続いていくものだという考え方から、4年間毎年姫路に集まっていただいて(オンラインもあり)、いまその作家が大切に考えていること、いま一番姫路の市民に伝えたいことを発表していただくアーティストステイトメントを発信していただく、そういうことを年1回お願いする、というのがプロジェクトの特色である。
—日比野克彦さんとの出会いー
私がこの美術館に来た10年前は、現代美術は難しい、という先入観が根強い中で、その突破口を考えあぐねていたときに、新しく来た私に友の会さんが「誰か呼んで美術講座をしたい」と声をかけてくださった。それなら「日比野さんを呼びませんか」と推薦したら、日比野さんもふたつ返事でいいよと来てくださった。
2013年(平成25年)に「アートの種まき」と題して2時間の講演とワークショップをしてもらった。それが、日比野さんが2003年(平成15年)からライフワークでされている「明後日朝顔プロジェクト」だった。心をこめて収穫し育てた朝顔の種を、他の地域でも育て、種の交換や地域同士のつながりそのものをアートプロジェクトにしている。世の中の価値観を変えていく草の根運動のようなアートプロジェクトである。そこに参加していた小学校の先生が感動して、授業でそれに取り組み始め、それが姫路で根付いて浸透していたからこそ、このプロジェクトのトップバッターとして日比野克彦さんを迎えることができた。
—明後日朝顔プロジェクト-
明後日朝顔プロジェクトのメインの舞台となったのは書写山圓教寺の摩尼殿。二階からロープを100本たらして、下のプランターに朝顔の種を植えて育てるプロジェクトである。市内100団体ほどに配った種から自分たちで育てた苗を持ってきてみなで植え、さらに全国10カ所以上から集結した全国の明後日の種も一緒に植えた。
明後日朝顔プロジェクト以外にも、日比野さんは複数のプロジェクトを実施し、そのひとつが「TANeFUNe」。朝顔の種がまるで人の思いを運ぶ船のようだと日比野さんが着想して、種の形をした船をつくった。日比野さんのプロジェクトでは、アートが敷居が高いと思っているような人たちにも楽しんでもらえるようなプログラムを実施した。
日比野さんに限らず、アートプロジェクトは、そのときの一イベントに過ぎないと思われがちだが、実はそうではなくて、アートプロジェクトそのものがアートそのもの作品である。それをどのように、保存活用するかも美術館の大きな課題であり、チャレンジでもある。
今後どうなるのか担い手は市民なので、担い手次第である。そのようにこれを展開して、どのような形に終結していくのか、その記憶やそのコンセプトをどのように美術館として守り、またコレクション化していくのか、アーティストとともに、作品とともに、市民とともに育っていく、そういう性格をもっている。
美術館の中では日比野さんの個展を開催した。國富奎三コレクション室にあるマティスのジャズとコラボレーションして巨大な原初の洞窟をイメージしたインスタレーションを展示室内で作った。こうして日比野さんの新作が誕生。その主だった作品を昨年収蔵することができた。オールひめじ・アーツ&ライフ・プロジェクトの初年度の作家の成果として初めてコンテンポラリーの作家、しかも美術館で市民とともに生まれた誕生した作品がコレクションになった、という記念すべき作品である。
—杉本博司展 本歌取りー
2年目は杉本博司さんの年で、杉本さんは古美術にたいへん造形が深く、自身が大コレクター。杉本さんは、書写山円教寺の常行堂で作品を展開した。ここは普段は公開されていない、年に二回だけ公開される修行僧の修行の場である。このインスタレーションを行う際に、阿弥陀如来像はもともと壁にくっついていて、その背後にある壁画を誰も見ることができなかった。この杉本さんとのコラボレーション展覧会の機会に、この像を台座の中心に動かすという大事業も文化庁の許可を得て行うことができた。
展示室の中では、書写山圓教寺を開かれた性空上人像を山から下ろしてきて、美術館としては初めて展示した。この性空上人像の肖像写真を杉本さんが撮影して、それをその像の横に軸装された写真を展示。杉本さんの撮り下ろしの性空上人の肖像写真が誕生した。
渋谷の松濤美術館で開催中の「杉本博司、本歌取り東下り」では姫路で誕生した杉本さんのこれまでの杉本世界を結集する展覧会として、本歌取りという和歌の考え方を美術に取り入れ、姫路初のコンセプトが東京でさらにその続編が生まれている。
—チームラボ展—
当館では2019年度にチームラボ展を実施していて、それから4年経っての開催になる。展示の大きなポイントとしては、美術館がチームラボを扱うということは、チームラボをエンターテイメントやアトラクションでなく、一貫したコンセプトをもつアートとしてしっかりと見せることである。
チームラボのキーワードは二つある。
ひとつは超主観空間。超主観空間は身体性に対するチームラボの信念から生まれたもの。猪子さんの言葉にこうある。「人間とは、身体的に世界を認識している」。森を知るためには森について本を読むのでは不十分で、実際に中に入って森の音を聞いたり、匂いをかいだりというような五感を通じて初めて森が体の中に入ってくる。世の中はすべて身体を通すということが大事だ、という考え方である。
チームラボの作品は空間の中に周りを囲むように作品があって、その中を自由に歩いて作品を見てもらうようになっている。動いても、その作品の世界が一貫した秩序で感じ取られるようなものにならなければならない。そのためには、西洋的な遠近法は技法として採用できないことになる。
そこで彼らが注目したのが、東アジアの近代以前の空間。西洋的な空間とは違う空間の作り方である。たとえば絵巻物。こちらの視点は固定されているかもしれないが、巻いていくことで場面が展開する。時間も経過する。屏風は折れ曲がっていて綺麗な平面ではない。平面に対する視点が複数想定されている。
近代以前の東アジアの作品においては、奥行き感を作る上で、斜め上から俯瞰したような視点で見る。奥にあるものと手前にあるものが、遠近法では奥が小さくなるが、同じ大きさで描かれている。それにもかかわらず、そこに空間があるかのように感じている。
視点が移動しても作品が折れ曲がっていても手前と奥が同じ大きさでも、あたかもそこに空間があるかのように見える。まったく別の空間表現に着目して、そこに自分たちの独自の論理構造を組み入れたプロブラムによって、3次元でつくったデータを、プロジェクタやモニターで、平面に映す。これが超主観空間と呼んでいるものである。
もうひとつのキーワードはボーダレス。境界がないということで、世界のあらゆるものは連続して存在している。世界というのは自分とつながっている。これは展示室で体験してもらいたい。
*展示室「チームラボ 無限の連続の中の存在(後期)へ移動。
後期展示では持ち帰ることができる作品が二つある。
ひとつは《憑依する炎》。QR コードからアプリをダウンロードすると、展示している作品をスマホに持ち込むことができる。持ち帰ることもできて、その炎は他の人のスマホに移すことができる。
一番奥にある《Matter is Void》はNFTアートである。PCに誰でもダウンロードでき、言葉は書き換えることができ、所有されている作品がすべてその言葉に置き換わる。所有することの意味を問いかける作品である。
この他に《群蝶、儚い命》では、この空間に人がいないときには何も存在せず、人々が入ると群蝶が舞い、それに触れると消えていく。
《Dissipative Figures – 1000 Birds, Light in Dark》では、鳥の群れが世界に与えたエネルギーで、鳥の群れの存在を描いている。生命は生きていることでエネルギーを発散し、空気などの環境を動かしていく。生命という存在自体が、外の世界と明確に境界がない存在なのではないかという彼らの考えるボーダレスのひとつの到達点である。
*書写山円教寺
一部の参加者は円教寺へ移動。ロープウェイを降りてマイクロバスで大きく揺れながら摩尼殿へ到着。食堂には暗闇の中に二つの作品《質量のない太陽、歪んだ空間》《我々の中にある巨大火花》がある。瞑想に近い感覚があったと参加者の感想があった。
(文責・美術館にアートを贈る会事務局)
<事務局から>
公立美術館は市民とともにあることを、美術館の変遷や文化芸術を取り巻く変化のお話をお聞きしながら痛感しました。また美術館単体ではなく、特に姫路市立美術館の周辺には歴史ある文化施設が多数あることからそれらをつないで未来に伝えていく力強い「面の力」が必要な時代に入っていることも感じました。
芸術文化の保存と活用は、当会の活動主旨にもある美術館と市民をアート(アーティスト)でつなぎ引き寄せる活動とも相通じる部分があります。
2024年(令和6年)の隈研吾展も楽しみです。そして中谷芙二子さんの霧の彫刻の新作もまた体験したいです。貴重なお話と展示室での解説をありがとうございました。
以上