美術館にアートを贈る会

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京都国立近代美術館のバックヤードツアー(2013.10.6)ご報告

2013-12-18 17:25:44 | Weblog
第6回美術館見学「京都国立近代美術館のバックヤードツアー」

日時:2013年10月6日(日)13:00―15:30
場所:京都国立近代美術館
参加者:19名+理事1名+事務局2名
(なお、ツアーの前に11:30―12:30 
 細見美術館のカフェキューブにて4名+事務局2名でランチ交流会)

1 担当学芸員の牧口千夏氏より
  京都国立近代美術館について概略説明を受けた。


 美術館ができたのは50年前の1963 年、東京の国立近代美術館の京都分館として誕生した。1967年に独立して京都国立近代美術館となり、それぞれ別のコレクションを築いて独自の展覧会をしている。
 京都という土地柄と、また京都市からの要請もあり、伝統産業の染織ややきものなど、工芸を中心にすることが初期の活動方針として定められていた。活動初期からスタッフは、積極的にいろんなジャンル(美術やデザイン、建築、写真)にも手を広げて収集を行い、今に至っている。他の美術館に比べても年間のラインアップは多岐にわたり、ジャンルがさまざまである点が当館の特徴ではないかと思う。

2 バックヤードツアー

注意事項の説明の後、身軽なスタイルでツアーへスタートした。

★ 搬入口
荷降ろし場の床がトラックの荷台の高さより低い位置になっている。それは京都岡崎の風致地区に建築された美術館であるために、制限された延床面積のなかで、スペースを有効かつ多義的に使うための工夫のひとつ。


★ エレベータに乗って3階の展示準備室へ。
油圧式エレベータ内は振動や音がまったく無くスムーズ。「行き先ボタンを押してないのでは?」と時々言われるそうだ。展示スペースや収蔵庫までの導線がよく考えられていた。

★ 屋上
晴天で360度見渡すことができ、平安神宮の鳥居のてっぺんを目の前に見ることができた。


★ 地下
大規模な空調設備や非常用電源が設置されていた。疎水の氾濫に備えた地下貯水槽や浸水対策の話も聞いた。



★ 講演室
いろいろな用途に使えるようになっている。展示スペース、作品の一時保管場所、ワークショップ、そして上映会にも使うことができる。限られたスペースを有効活用するため、可能な限り造り込まない部屋になっている。


3 展覧会「映画をめぐる美術」について、
  担当学芸員の牧口千夏氏より説明を受けた。


現代の美術家が、映画をどのように自分たちの創作活動に取り入れているのか、その疑問からこの企画は始まった。

○マルセル・ブロータースについて。
1924年ベルギー生まれ。詩人。シュールレアリズムに参加して、その中で知り合った画家ルネ・マグリットの影響を受けている。
ブロータースの重要な仕事のひとつに架空の美術館をつくるプロジェクトがあり、そのひとつ《近代美術館 鷲の部のシリーズ》では、歴史や文学、映画、広告といったジャンルを紹介する美術館をいろいろなギャラリーや知人のスペースで発表していった。映画もそのひとつのジャンルであった。

何か映像表現に関連する展覧会をしたいと思ったときに、美術家がつくる映像作品が映画のようになってきていることに着目した。美術館で映画を取り上げるということはどういうことなのか、その問題意識を形にできないかと思った。
ブロータースが架空の近代美術館に映画部門をつくろうとしたことになぞらえて展覧会ができないかと思ったのが、ブロータースを取り上げた理由。

■ 5つの章立てになっている。主な作品の見方の一例を紹介いただく。

1) アナ・トーフ《偽った嘘について》
フィルムは35ミリの1コマが連なって出来ているように、静止画の連続によって動画=映画ができる。写真と映画は密接な関係をもつものと考えられて来た。
アナ・トーフのインスタレーションでは、35ミリのスライドが送られていくことで動画のようになる。映画の初期の構造を意図的に採用してスライドで展開している。

2) アクラム・ザタリ《明日にはすべてうまくいく》
タイプライターで会話が進行する映像作品。
最近私たちがコミュニケーションをとるとき、電話よりもメールといった文字でやりとりすることが増えている。この作品はチャットやLINEといったSNSの構造を、タイプライターというアナログな機器で映画に仕立てたもの。あらゆる場面で音声が文字に変換され、発話から文字へと変換される中で、コミュニケーションの形と質が変わっているのではないか。

3) ダヤニータ・シン《ファイル・ルーム》
いろんな古文書館を撮りためた写真集。写真集に収められた70点の写真を1点ずつ表紙に貼って70冊の異なる本にすることで、中身をまるごと見せたいという本のインスタレーション。ページをめくるという経験とスライドショーの映像で見ることは決定的に違う。ページをめくるような感覚で作品を経験してほしい。

4) アイザック・ジュリアン《アフリカの亡霊》
3面のインスタレーションで撮られている場所は映画によって近代化されたアフリカの街。映画産業の発達により、映画作品はあらゆる言語に翻訳され世界中で見られるというメリットもあれば、逆にその文化的な植民地化という面もあり、アンビバレントな問題がある。
有名な映画や古典映画は、国を越えて共有されるようになっている。たとえばヨーロッパの人たちとコミュニケーションを図るときに、お互いに知らない部分、共有できない部分もあるが、いま流行っている映画についてなら同じ地平で語れる。共通の話題、共通言語として活用できる。《アフリカの亡霊》は映画のそのような役割や機能について言及しているのではないか。


■ また、図録や展示本体には明示されていない、この展覧会についてのもうひとつの見方も紹介された。

1) 観る人それぞれの解釈が違うこと
大階段の途中に展示している田中功起《オレンジをひとつ手に取りなにも考えずに放り投げてみる》。オレンジがただ階段を転がり落ちる映像なのだが、人によっては、エイゼンシュタインの『戦艦ポチョムキン』のオデッサの階段をイメージしたりする。何人かが同じように想像した。「映画をめぐる美術」という展覧会の中だから連想する。中にはキューブリックの『時計仕掛けのオレンジ』と関係があるのか、という質問もある。
映画の不思議で面白いところは、見ている人が持っている知識や興味によってそれぞれ解釈できる可能性を持っていること。

田中のような1970年以降に生まれた美術家に特徴的で面白いのは、単純な元ネタ探しではなく、過去の芸術作品や歴史的なものに対するアプローチの仕方、歴史への興味の持ち方だと思う。

2) 女優:女性がどのようなイメージで表現されているか
シンディ・シャーマン《アンタイトルド・フィルムスティル》の作品シリーズ。25点が出品されているが、彼女は自分が被写体となって撮るときに、あたかもヨーロッパ映画に出てくるような女優風の衣装やポーズで撮っている。具体的にどの映画のどのシーンかを特定することはできないが、どこかで見たことがあるようなイメージとなっている。

やなぎみわの《グロリア&レオン》。桜の園風の演劇部の女子たちが登場する作品。『グロリア』と『レオン』という2本の映画を同時進行で見せている。グロリアはおばあさんが幼い少年を守る話、レオンはジャン・レノがナタリー・ポートマンといっしょに戦う話で、2つは対照的な構造になっている。戦闘美少女的なマチルダとゴッドマザー的なグロリアは、やなぎみわ自身の作品の女性イメージとリンクする。

3) 歴史を知る、歴史を語るという実践
当事者の語りは真実と言えるのか、という疑問について考察した作品がこの展覧会には幾つか含まれている。
そのひとつが、ピエール・ユイグの《第三の記憶》という1972年にNYで実際に起きた銀行強盗事件に基づく作品。当時TV中継もされた事件。シドニー・ルメットが『狼たちの午後』として映画化。出所後の強盗犯に、事件について語ってもらう設定になっている。第1の記憶が当時の事件の記憶。第2の記憶は、映画やマスコミなどの報道を通じて形成された記憶。さらに第3の記憶として時間を経た当事者の回想がある。ある出来事について、さまざまな形で語られた後、時間を経て当事者が語る内容は、単純に「真実」と言いうるのか、という問題意識を表わしている。

■ 収蔵と展覧会の関係性
展覧会と作品の収蔵はリンクしている。展覧会を通して、ある作家や作品に一定の評価を与えることができ、美術館がどういう作家に関心を持っているかを示すことができる。コレクションと展覧会は切り離せないものだと考えている。あるいは作家や所蔵家との信頼関係を築くのが展覧会のひとつの役割でもある。


■ まとめ
牧口氏が「映像表現を線的な歴史として追うものにはしたくなかった」と言われたように複雑な視点が見え隠れする展覧会で、読み解きが難解でもあり、また面白いと感じました。
バックヤードツアーでは日頃見る事のできないところを見ることで、また美術館の楽しみ方が深まりました。
牧口さん、参加者の皆さん、ありがとうございました。