美術館にアートを贈る会

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高橋信也氏 講演「都市とアートの新しい関係 (2)」 (要旨・前半)

2022-02-05 10:39:33 | Weblog

オンライントーク プログラム
「都市とアートの新しい関係 (2)」

■講師:高橋信也氏(京都市京セラ美術館 事業企画推進室ゼネラルマネージャー)
■日時:2021年 12月5日(日) 14:00〜16:00
■参加者:34名

 

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まず、前回(5/29)のご講演の整理を簡単にしていただいた後で(詳細は前回のブログをご参照ください)、下記項目についてお話いただきました。

1 日比野克彦氏 東京藝術大学学長就任の意味と衝撃!

2 その変化はどこから来たのか?
  その大きな要因と起点

3 変化の兆候—南半球の北半球化?

4 地域のテーマや社会課題にどう向き合えるのか?

5 アート表現に関わる変化
 (1990年代後半から2000年代前半)

6 3.11とその後の表現—2010年代

(1~4 前半、5,6 後半に分けてアップしています)

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1 日比野克彦氏 東京藝術大学学長就任の意味と衝撃!

 

  • 六本木アートナイトで関わる

日比野克彦(1958〜)さんとボクとの関わりは、森美術館ゼネラルマネージャーの頃、実施していた「六本木アートナイト」。そのアーティスティックディレクターを3年間お願いした。
六本木の街を舞台に一昼夜のアートイベントをする内容で、70組以上のアーティストが集結した。全国から衣類を集めて、解体し、繋ぎ合わせて大きなカーテンを作り、会場に張り巡らせたり、テントをいくつも作ってアーティストが意味不明な人生相談を一昼夜行うなど、不思議なプロジェクトを数多くやった。
「アートナイト」は一昼夜だけなので、「瀬戸内芸術祭」などとは違って、都界の真ん中で都市生活者のお祭りはどんな形があるのかを考えたときに生まれたアートイベント。

 

  • プロジェクト型アーティスト

日比野さんは、80年代初頭ニューペインティングというムーブメントが出てきたとき「段ボール絵画」で鮮烈なデビューをされて、グラフィックデザインの分野でも活動されてきたイメージがあるかと思う。が、90年代初めからは作品を展示するというよりは、プロジェクト型アートイベントのリーダー的存在のアーティストである。

その現代美術のプロジェクト型アーティストが、絵画・彫刻の団体展、公募展など近代のプロセスを支えてきた拠点である東京藝大の学長になるのは衝撃的なニュースだった。これまでの団体展・公募展のあり方では現代に対応しきれないと認めたことになるのではないか。
地域や社会、さらに地球規模の課題に対して、多角的な視点でアートがどう対応できるのかが求められている。

日比野さんの考えに近いのは、パリのパレ・ド・トーキョーの館長をやっていたニコラ・ブリオー(Nicolas Bourriaud,1965~)が1998年に刊行した『L’esthétique relationnelle』(関係性の美学)という本。この本は「人と物事」「事物と物事」「行為と物事」が関わることでアートが生まれてくるプロジェクト型アートについて言及した一番最初の本と言われている。

 

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2 その変化はどこから来たのか? 
  その大きな要因と起点

 

  • 1989年ドイツ東西の壁の崩壊、1991年ソビエト連邦が崩壊

国境や人種、宗教、文化がヨーロッパでシャッフルされ、その再編をするプロセスを歩み始める。日本ではほぼ同時期にバブル崩壊が起きた。

1992年に、フランシス・フクヤマ(Francis Yoshihiro Fukuyam, 1952~)という哲学者が書いた『歴史の終わり』には、歴史が終わるということはイデオロギーによる社会支配が終わるとされている。イデオロギーによって組み立てられた構造が社会を牽引していくということが、20世紀のほぼ終わりと同時に終焉するのではないかという考え方である。

 

  • 1995,6年あたりのITの急速な変化

急速なインターネットの地球規模での普及と情報のグローバリゼーションがいきなり起きる。携帯等のドラスティックな進化やウェブ社会の到来によって、通信手段の不可逆的な革新とオンラインコミュニケーションの日常化が起きた。

 

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.変化の兆候—南半球の北半球化?

 

  • 「大地の魔術師」展

1989年にパリのポンピドゥセンターで開催された「Magiciens de la Terre(大地の魔術師)」展。西洋美術の牙城であったポンピドゥセンターが、西洋の美術、美学に寄らない表現を初めて認めた展覧会とされている。アボリジニ、アメリカの原住民、アフリカ各地のアート等が展示された。

 

  • 「アフリカ・リミックス」展

「大地の魔術師」展の、いわば第2弾の展覧会が2006年に森美術館で開催した「アフリカ・リミックス」展。「大地の魔術師」展から十数年経ったとき、アフリカの美術状況はどう変わったのかを見ることができた展覧会である。
ヴァナキュラーなアートはすっかり姿を消して、アフリカのアーティストがアートとしてそのコンテクストを学び、インターナショナルな言語としてのアートを使って、アフリカならではの強いメッセージ性を放つアーティストになっていた。

 

  • 南半球の北半球化?

浅田彰さんや柄谷行人さんが言っていたのは「南半球の北半球化がインタ〜ネット社会を通じて急速に行われたのではないか」と。
アートが欧米のルールによって成立していた視覚表現だとすると、そのルールをあっという間に学習した中南米、インド、ASEAN10カ国、アフリカのアーティストが、そのコンテクストに沿ってメッセージを発信しはじめた。90年代の社会変化と機を同じくして、その変化はアートの分野でも進行していた。

 

  • カルチュラルスタディーズ(文化学習)とマルチカルチュラリズム(多文化主義)

その変化を支えるふたつの考え方として、カルチュラルスタディーズ(文化学習)とマルチカルチュラリズム(多文化主義)がある。
欧米に対して中国の美意識、インドの美意識、アフリカの美意識等、どれも大事で、それぞれ相互学習を等価の形で学んでいかないといけないとする考え方である。

 

  • 「アート」という呼び方

コンテポラリーアートとモダンアートを分割して呼称していたものを、多分野を包含する呼称として、「アート」と呼びならわし始めた。
ファッション・建築・デザイン・写真といったさまざまな分野からも、その国独自のコンテクストを読み取ることができるのではないか。それらを全部認めてアートのエッセンスを引き出すことで、アートとして認めていこうという動きである。ダイバーシティ(多様性)への布石でもあった。

 

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4 地域のテーマや社会課題にどう向き合えるのか?

 

90年代の社会課題を日本で初めて取り組んだのが、2001年の「横浜トリエンナーレ」。 100名以上の国内外のアーティストが集結。キュレーターも4人(南條史生さん、中村信夫さん、建畠晢さん、河本信治さん)。日本全国に様々な地域で活動していた人たちが集まってキュレーションを行った大型国際展である。ワールドワイドなトレンドに対応して行われたことでインパクトは強かった。

この横浜トリエンナーレが契機となって、並行して行われていた越後妻有アートトリエンナーレ、その後、愛知トリエンナーレ、瀬戸内芸術祭、札幌芸術祭、また六本木アートナイトなど、屋外型、都市型アートイベントに発展していったと思う。
さまざまな地域のテーマや社会課題に対してアートがどう向き合えるのか、という問題設定が、90年代~2000年代を通じて必然的に出てきた。

 

 (後半に続きます)


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