有田芳生の『酔醒漫録』

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幻の都知事候補ー吉永小百合

2007-02-18 09:12:20 | 思索

 2月17日(土)バッハの無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第1番などを聴きながら、終日原稿書きと読書。外出せず酒も飲まずの1日。ある知人から昨夜電話で意外な話を聞いていた。その確認をする。民主党が都知事候補に吉永小百合さんを擁立しようとしていたというのだ。何人かに聞けば、たしかにそのような動きはあったようだ。小沢一郎代表が2回会ったという情報もあれば、いや構想段階で終ったとの情報もある。いずれにしても政策で選考するよりも先に知名度で有権者を投票に導こうという発想そのものが間違っている。民主党に限らず、ほとんどの政党、政治家は言葉が貧困だ。ハンナ・アーレントは「理解と政治」(『アーレント政治思想集成』、みすず書房)という論文のなかで常套句(クリシエ)の問題点を指摘している。「世論の質を向上させる」ためには言葉に敏感でなければならない。認識と理解の相互関係だ。訳者の理解でいうならば「いま生じている出来事に対する驚きを旧い言葉で封じるのではなく、それにふさわしい言葉の探求へとつなげてゆくこと」である。何か悪政があればすぐに「ファシズム」という言葉を使うことは、知的怠慢であるだけでなく、画一主義(コンフォーミズ厶)へ陥ることだ。日本の政党は「マニフェスト」などを強調しながら、そこに政治哲学がない。いつまでも是正されない最大の欠陥だろう。アーレントはフランツ?カフカが述べたことを引用している。

 真理を語ることは難しい。真理はなるほど一つしかない。だがそれは生きており、それゆえ生き生きと変化する表情を持っているからだ。

 気晴らしに「酒とつまみ」を読む。昨日のブログで「先客万来」コーナーのことに触れたところ、作家の重松清さんからメールが届いた。重松さんは第6号に登場。ご本人の承諾を得たので、ここに紹介する。「重松清です。本日の貴日記の『酒とつまみ』にかんして、ご参考までに。シゲマツが『押しかけインタビュー』に登場した際、いつもの流儀として飲み代を出そうとしたのです。『酒とつまみ』がビンボーだというのは、よくわかっていたので。すると、大竹さんは「それだけは困る」と。「ここでゲストに払ってもらったら、この雑誌のすべてが終わってしまう」と……べろんべろんになりながら訴えたのでした。それを聞いて、ああ、このひとと、この雑誌は信じられるな、と。ですから、『中央線ホッピーマラソン』でゲストに出た際は、最初から気分良くタダ酒を飲ませてもらいました。これほど美味しいタダ酒はありませんでした。そういう雑誌なんですよね。で、そういう大竹さんなんですよね。では、また」。ここで触れられている『中央線ホッピーマラソン』とは大竹聡さんの著作のこと。その出版を記念しての催しがジュンク堂書店新宿店で行われたとき、重松さんがゲストで招かれた。そのときのことを指している。「酒とつまみ」が規則正しく発行できるよう、購読をお願いしたい。


田中康夫「夕張市長選出馬」情報の陰謀

2007-02-17 09:15:13 | 人物

 2月16日(金)東京都知事選挙に浅野史郎元宮城県知事も菅直人さんも出ないことが決まった。そうすると世間の多くは知らない田中都連幹事長か円より子参議院議員が出馬するしかないだろう。すでにして惨敗の結末が見えている。夕張市長選に飯島勲前首相補佐官が出るという報道がなされた。何でもそれは田中康夫さんを東京ではなく夕張の選挙に出させるための陽動作戦だったという。まさしく政界は魑魅魍魎の暗躍する世界なのだろう。テレビで真面目な顔をして外交問題を語りつつ、実生活では密かに高級売春倶楽部に出入りし、赤坂のホテルで女性に20万円を支払い、「口止め料」にさらに5万円を支払っている国会議員がいる。淫行が問題となっても知事になれる「自由」な日本だからなあ。政治を自己目的とするところからは本当の改革など生れてこない。日垣隆さんの有料メルマガを読む。そのなかの「一読即決」という項目で「酒とつまみ」9号が紹介されていた。日垣さんの目に留まったのは巻頭特集「記憶にございません!!~酔っ払いの記憶なき失態?16人の告白~」と松尾貴史さんへの集団的押しかけインタビュー、そして「馬券酒マラソン」だった。「今号で(ばからしすぎて)“泣けた”のは、何と言っても、43歳の大竹聡編集長と若い編集Wクンが、それぞれ《なけなしの3万円》と《コツコツタメた500円玉貯金を取り崩した上に丸井で1万円キャッシング》して握り締めた小金で、起死回生の馬券勝負に出た、その顛末です」。「嗚呼、これは泣けてくる(笑)。つか、ばか」と日垣さんが思うような面白話だ。

 日垣さんは集団的押しかけインタビューの様子を読みながら、果して編集部は飲み代を支払ったのだろうかと心配している。それぐらいヘベレケなのだ。「そういわれればそうだなあ」と思い、大竹編集長にメールで問い合わせた。「酔客万来の飲食代は、なんとか払っています。あまりの貧乏ぶりを誌面で正直に書いてしまったゆえの反応でございますね」と「うれしい紹介」を喜んでいた。すでに10号の準備ははじまっている。発売はこれまでの経験でいくと原稿を入れてから3か月後だ。「もっと早くしろよ」という声は多い。単行本『X』のため関東近郊の都市へ向う。陸軍士官学校を出て昭和18年にインド洋のカーニコバル島に向ったTさんから話を聞く。大正9年8月生まれだから今年で87歳になる。木村久夫さんたちが法廷に立ったシンガポールで、裁判対策をしていた人物だ。残念ながら直接は木村さんと面識はなかった。それでも貴重な史料をもらい、さらには愛知に住む木村さんと二度会ったことのある方に連絡を取ってくれた。歩けば歩くほどに取材対象は広がっていく。ホテルで史料をコピーしようとすると1枚30円だと言われ、駅前のコンビニまで行った。ここでは10円。先日は品川のホテルでコピーを頼むと40円。どうしてホテルのコピーは高いんだろうか。サービス業としておかしい。Tさんと駅まで歩きながら「戦争が終ったときこんな日本になると思っていましたか」と聞いてみた。前を向いたままTさんは言った。「ひどいですね。とくに若者がひどい。モラルなどありませんよ。わたしは電車のなかで席を譲ってもらったことは一度もありません。家族の問題、教育の問題ですね」。そうだと思う。夜は湯島の「奥様公認酒蔵 七福神岩手屋」で五十嵐茂さんと飲む。


すでに末期症状の安倍政権

2007-02-16 08:20:18 | 政談

 2月15日(木)あるテレビ局が調べたところ、安倍政権は支持率が10パーセントを割って退陣した森喜朗政権末期の情況に近くなっているという。街頭で任意に有権者の意見を聞いた結果である。政権発足わずか5か月にしてこれだ。ある華僑幹部と話をしたが同意見だった。人柄はよくとも肉声が国民の心にまで届いてこない。歳川隆夫さんの「インサイドライン」(NO317)の分析と表現によれば、参議院選挙は「党首力」の闘いである。ところが民主党が強いのかといえばそうでもない。東京都知事選挙で石原慎太郎都知事の3選がほぼ確定的になったことでもそれは明らかだ。民主党は独自候補を28日の都連大会で発表するというが、それがもし名前の挙がっている浅野史郎前宮城県知事だとしても、とうてい勝ち目はない。14日に共産党候補が東京オリンピックの白紙撤回などを公約とする政策を発表したからである。もはや共産党が候補者を降ろすことはない。かりに田中康夫さんが立候補し、そこに民主党、共産党、社民党が支援を表明し、無党派を集める体制が出来たならば、面白い選挙戦になったことだろう。しかし、もはやそうした可能性は完全に消えた。都知事選挙などは4年前から決まっていたこと。それなのに現段階まで候補者を擁立できない民主党は、その程度の組織なのだ。ここでも「党主力」が問われていたのである。本人が何度も可能性がないと語っているのに、いまだ菅直人さんの名前がマスコミで報じられるのは、実は意味がある。世論の期待が高まっているからではない。

 民主党内で菅さんの力を削ぎたいと思っている勢力が意図的に都知事候補として情報を流しているのだ。立候補すれば衆議院議員を辞めなくてはならない。都知事選で敗北すれば、さらに党内での発言力は低下する。そんなくだらない思惑で繰り返し名前をリークしている。菅さんにとっては迷惑至極な話だ。「ザ・ワイド」が終わり、地下鉄で赤坂見附。喫茶店で読書。午後6時から不安定研究会に出席。今回のテーマは「鍼灸の挑戦ー自然治癒力を生かす」で講師は同名の岩波新書を出した松田博公さん。2005年まで共同通信の編集委員だった。日本、韓国、中国で身体の「ツボ」は異なっていたそうだ。ところが06年11月にWHOによって361か所の統一基準ができたという。いまや鍼灸は欧米にも広まっている。アメリカでは代替医療の研究のために年間で約100億円ほどの予算が計上されているそうだ。そのほとんどが鍼灸だ。ところが日本では約1億円。鍼灸と漢方を合わせた「韓医療」を韓国が世界遺産に登録しようとした動きに対して、中国にも「中医療」を登録しようとする動きがある。1971年にニクソンに先立って中国を訪れたジェームズ?レストン記者が針麻酔を体験したことをニューヨーク?タイムズが報じたことをきっかけに、欧米でも鍼灸は広がっていった。東洋医学の歴史にも国際政治の影が深く差しているのだ。赤坂の街を歩きバー「木家下」で日本推理作家協会の今野敏さんがブレンドした「謎」をストレートで飲む。


山崎拓と統一教会(2)

2007-02-15 08:29:23 | 人物

 2月14日(水)失言になるかなと不安があったが、思うことを言ってしまった。バレンタインデーのことだ。どうしても「バテレンデー」と聞こえてしまう。外国文化の日本的受容というよりもチョコレート業界のキャンペーンに乗せられているとしか思えないのだ。そこまでストレートに言うことがはばかられたので、日本で広がっていった経緯を疑問形で触れたのだった。ホワイトデーなるおかしげなお返し日がこれまたいつしか作られてしまった。「アリタさんにはやっぱりこれですよね」と奄美の黒糖焼酎やグラッパを下さる方もいた。昨年のお返しはカランダッシュの特製ボールペン。今年もまた「意外なもの」を探すつもりだ。「ザ・ワイド」が終わり日本テレビのなかにある喫茶店で某出版社の編集長から相談を受ける。いま取り組んでいる単行本『X』の調査結果が参考になったかもしれない。史料として遺されているものもテキストクリティークをしっかりしなければ大変な過ちを犯すことになる。「遺書」だと信じられていたものが、実は親族などの手によって改竄されているケースが案外多いからだ。歴史を記録することは難しい。ところが史料を独自に入手することも、それを批判的に分析することもせず、「事実」として紹介する歴史研究者がいる。読者からすれば、それが「事実」と思うしかないのだが、そうでないこともある。本来は政府が為すべき仕事をしてこなかったゆえに起きている誤謬である。ジムで泳ぎ、知人と会い、そして代々木「馬鹿牛」へ。最近は麦焼酎の「兼八」がいちばん美味しく思うのだ。

 「週刊新潮」に朝日ニュースターが山崎拓自民党元副総裁に「謝罪」した一件が掲載される。当事者としての本音をいえば、「訂正」などまったく必要ないことに対して責任者が率先して屈したことの哀しさがある。怒りではなく哀しさ。こんな理不尽な抗議などいっしょに跳ね返しましょうという対応をしてもらいたかったからだ。筆者や発言者を守ろうとしないメディアはそれでも多いのが現実である。その山拓さんが愛人問題を「週刊文春」に書かれたのは2002年3月のこと。その女性は統一教会施設に出入りしていた。その事実を知らされたとき、わたしもビックリしたものだった。この記事が掲載されたとき、統一教会は「本部総務局」から指示
 を出している。「誤解や憶測や混乱の無いように」するための通達だ。記事を見た信者たちのなかには「国会議員に信者女性を派遣するほどの手腕があるなら大したものだ」などとの憶測が囁かれていた。この文章の冒頭にある「真の御父母様」とは文鮮明教祖夫妻のことを指している。この女性を本気で気に入った山崎拓幹事長(当時)は、プレゼントされたネクタイを大事にしているとも伝わってきた。統一教会の幹部クラスでも苦笑いする者までいたのだ。上杉隆さんに対して「アリタはウソつきだ」「告訴する」と語った山拓さんは、もしそれを実行していただけたならば、こうした情報の詳細や気持ち悪い変態写真などを法廷の場でたっぷりと公開させていただこう。もっとも「週刊文春」を訴えた山拓さんは裁判で敗訴している。


モンスターの誕生

2007-02-14 08:51:25 | 映画

 2月13日(火)高橋真梨子を聴きたくなってバラード集を流していた。国際電話をかけてきた長女と長電話。大きな壁を乗り越えたようでホッとする。気持ちの持ちよう如何で風穴は開く。いまにして思う。どうせなら楽天的に暮らすのがいい。読みたい本があるのだが、机の後の資料や本の山を動かさなければ二重式本棚の奥にあるもののなかから取り出すことができない。迷った末にネット古書店で購入することにした。「もったいないな」という思いがあるのに申し込んだ理由がある。海部俊樹元首相あてのサインが入っているからだ。献本を古書店に出すことはよくあることにしても、そこに名前が入っているとこんなことになる。二女が常盤台駅で殉職した宮本邦彦巡査部長の勤めていた交番に献花するといって出かけた。わたしは神保町へ。「伊峡」でタンメン。「金ペン堂」でボールペンや万年筆について雑談。東京堂書店で「はら田」に献本するために『酔醒漫録』を購入。地下鉄を乗り継いで恵比寿の防衛研究所へ。史料室で単行本『X』のための調査。部隊編制についていくつかのことが明らかとなった。大阪で編制された第四師団第八連隊は戦後も部隊史を作らなかったのだ。窓口で相談しているとある調査員が声をかけてきた。驚いたことにこのブログで書いている単行本『X』についての記述を読んでくれているという。その細かいメモも見せてもらった。そして「こういう人がいますよ」とある人物を紹介してくれたのだった。強い衝撃を覚えた。

070213_16350001  カーニコバル島で起きた住民虐殺事件で日本人が戦犯に問われた。若き木村久夫さんもその一人だ。裁判はシンガポールで行われる。そこで弁護をした人が存命だったのだ。簡単な手記も見せていただいた。調査に歩けば新しい発見がある。ここでも吉村昭さんの教えが証明された。できるだけ早く会いに行かなければならない。史料室を出たところで調査員が追ってきた。「教えてもらいたいことがあります」と言う。「Xって何ですか」というのだ。いま取り組んでいる単行本のタイトルを仮にそう呼んでいるもので、恐らく二文字になるだろうとお知らせする。早い段階でロンドンに行くかどうかを決めなければならない。地下鉄で銀座。教文館でモンテーニュの『エセー』(白水社)を買う。宮下志朗さんの手による新訳だ。難解だという原文をラブレーの専門家がわかりやすい日本語にした。壹眞珈琲店で読書。午後7時からマリオンで行われた「ハンニバル ライジング」の試写を見る。あのレクター博士がどのようにして生れたのかが描かれている。開幕前の生欠伸がすっかりなくなるほどの衝撃作。時代は第二次世界大戦下にあるリトアニア。戦争の悲劇はモンスターを生んだ。そうした事実もあっただろうなと思わせるほど、人間の残酷さがリアルに表現されている。日本人を演じるコン・リーが妖艶だ。そうか「羊たちの沈黙」はもう16年も前の作品だったんだと懐しく思うのだった。


山崎拓と統一教会(1)

2007-02-13 08:29:43 | 人物

 2月12日(月)世間は休み。何だかよくわからない祝日が増えてしまったなあ。「ザ・ワイド」が終わり、近所の書店で弘兼憲史さんのコミック『加治隆介の議』を買って、新橋駅に向う。道すがら女性が「アリタさんだ」と言うので、お辞儀をしてその場を去ろうとしたが、ふと気にかかった。立ちどまってよく見れば代々木「馬鹿牛」店主夫妻と笑之介だった。近くにある焼酎専門店で「わさび焼酎」を買ったのだという。しばし立ち話。銀座線で表参道。ジムのよさはジャグジーに入って外気に触れたときの爽快感が大きい。再び新橋へ。車内では藤田省三さんの『全体主義の時代精神』(みすず書房)を読む。ある意思を持っていくつかの本を読む必要を感じたゆえである。何度読んでも難解なところが多いのだが、じっくりと身体に浸透させていく。前にも赤線を引いているのだが、こんな文章がある。「私に必要なのは波のように絶えず揺れ動きながら、その動きが多様であるような精神、モンテーニュの言う『オンドワイヨン?エ?ディヴェール』なのである」藤田さんによれば、こうした精神こそが「現代全体主義に対しても最大の異物である」というのだ。「異物」でありたいと今日もまた思ったのは、「そのまんま東」知事のあれこれを見聞したからであった。東京でも知事が行くところには多くの群衆が集まっていた。それを政治家として評価されたからだと錯覚していないだろうか。上野動物園にはじめてパンダがやって来れば多くの人が集まったのと同じレベルだと自覚しなければならないのにそうでもないようだ。


 「知事の勘違い」というのは、気にくわない質問が出ると表情を一変させて何度もキレるからだ。失礼ながら人間として成熟していないようにわたしには映る。「副知事は民間から二人と公約しましたね」と問えば、「マニフェストには書いていない」と答えた。そうではないだろう。当選したときの記者会見ではっきりとそう語っているのだ。方針を変えたならその理由を語ればいいのにそれができない。「改革」を謳った知事が「利権」に取り込まれていく事例をあまりにも多く見てきたからこそ、ここでブレないで欲しいと思うのだった。銀座「にしむら」で知人と会う。店を出るときにテレビ東京の「李香蘭物語」をかいま見た。ひどい!激動の時代を描くなかで上戸彩の演じる李香蘭は軽すぎる。たとえば「夜来香」を歌うシーンなどは眼を覆いたくなるほどの無惨さだ。まず歌になっていない。ただ話題になればいいというものではない。歴史を描くとはそんな軽薄なものではないからだ。さてここで「今週の山崎拓」だ。まずは統一教会が総選挙で組織的に支援していた証拠を明らかにする。2003年の総選挙で
「重要事務連絡」という指示が出されている。ここで「全食口」というのは統一教会信者のことをいう。「KYK長」とは教区長のこと。ヤマタクさんが親しくしていた統一教会の女性についてもいずれ明らかにしたい。


石原都知事は「白旗」をあげるか?

2007-02-12 08:13:11 | 政談

 2月11日(日)朝からテレサ・テンの「淡々幽情」を聴きながら実務に読書。川上弘美さんから『ハズキさんのこと』(講談社)、『真鶴』(文藝春秋)が送られてきた。『酔醒漫録』を献本したことへのお礼だという。もちろんすでに読んでいる作品だが、サイン入りなのでうれしくなってくる。「サンデープロジェクト」で田原総一朗さんが石原慎太郎都知事に同情的だったが、ほかの出演者がズバズバと聞いているのはよかった。石原さんは風邪を引いているとはいえ、顔色が冴えない。共産党の出演者がコメントを挟んでいたが、四男は便宜を与えられていないかのように石原知事が発言したところで、間髪を入れずに具体的な指摘をするべきだった。明日発売される「週刊朝日」は「追及する赤旗に石原慎太郎が〈白旗〉?」という記事を載せている。そこでも四男が03年にヨーロッパに派遣されたときに55万円の公費が支出されたこと、04年にも約130万円の支出で再度ヨーロッパに行っていたことが書かれている。石原都知事は「ただ働きするような人間はそう簡単に見つからない」と何度も語ってきたが、「ただ働き」などしていない。03年のときには日当や支度料も払われていたのだ。そのあとの討論での民主党の発言には呆れた。前原誠司という政治家は内容に具体性がなく、まるで官僚答弁だ。結局のところ独自の都知事候補は暗礁に乗り上げたままであることはよくわかった。田原さんが共産党、社民党の野党3党で統一候補はできないのかと問うたとき、政党の数合わせではだめだと語ったこともこの政治家が現実のダイナミズムをまったくわかっていないことを露呈した。

070211_14540001  アンチ石原都政を掲げ、具体的には東京オリンピック反対、庶民の台所「築地市場」を守れ、新銀行東京は破綻しているなどなどの政策で闘う無党派候補者が出馬すれば充分面白い選挙になるはずだ。それを野党が支援するならば、そこで生れるエネルギーこそ政党の枠組みを大きく乗り越えたものとなる。そのひとりとして田中康夫さんがいるのだが、民主党都連執行部にその意向はない。マスコミ報道が間違っているのは、「民主党の候補者としての田中康夫」という枠組みで可否が論じられていることだ。精神の自由を保持する田中康夫さんが独自に立候補することもできるからだ。夕方から池袋で週刊誌の女性編集者と会う。用事が終わり雑談をしているとき、「アリタさんにも参議院選挙への出馬依頼は来るでしょ」と聞かれたので「まったくないよ」と答えた。すると彼女は「もし来ても絶対に出ないでくださいよ」とさらに強調する。「どうして」と問うと「あんな仕事つまらないですよ」というのだ。社会に批判的な眼を持つ編集者ゆえの発言なのだが、世間にもそういった意識は広まっているのだろう。民主党が横峯さくらさんのお父様に立候補要請を行っている。名前さえ知られていれば誰でもいいのか。こんなことが当たり前になっているから政党への不信感はどんどんと広がっていく。西武のリブロでアル?ゴアの『不都合な真実』(ランダムハウス講談社)、内田樹『下流志向』(講談社)を買う。これからの政治課題の機軸は地球環境問題、教育、高齢者と若者の生活問題だと思う。コミック売り場で弘兼憲史さんの『加治隆介の議』を探すが1冊も置いていなかった。家に戻ってネットで探すとすでに文庫になっており「0円」「1円」というものまであった。送料を出せばあげますよということなのだろう。


藤山直美の「殿のちょんまげを切る女」

2007-02-11 09:15:02 | 芸能

 2月10日(土)ロビーに入ると懐しい音楽が聞こえてきた。ザ・フォーク?クルセイダーズの「悲しくてやりきれない」である。家人と二女といっしょに新橋演舞場で「殿のちょんまげを切る女」を観てきた。藤山直美の出演する演劇はできるだけ観るようにしている。かつて「AERA」の「現代の肖像」に書こうと思ったら、すでにこの欄で取り上げられたことがあり、かなわなかったことがある。それでもいつか「書きたい」対象なのだ。ロビーでは続いてピーターポール&マリーの「花はどこへ行った」が流れ出した。反戦歌だ。そのとき頭に浮かんだのは、この演目の演出を担当しているのがラサール石井だということに気付いた。「この趣向は彼だろうな」と思うのだった。時代は幕末から維新の時期。ニセの坂本龍馬が登場したりするけれど、江戸から明治への転換の時代に生きる群像をうまく喜劇に表現している。殿様の役は中村勘三郎。藤山直美に勘三郎という個性だから、人物像が非常にくっきりと形作られている。かつて映画監督の阪本順治がこの演舞場の脚本を書いたとき、藤山のよさが封印されてしまい、まったくつまらない作品になったことを思い出した。勘三郎にしても藤山にしても、その才能を全開させるような環境を提供できるかどうかがポイントなのだろう。渡辺哲の豪快な演技は強く印象に残った。岡本綾は華麗ではあるが、まだまだ存在が伝わってこない。パンフレットの出演者紹介では大きく紹介されているのに、「やはり岡本綾だな」と思わせるところまで達していない。一方で脇役の女性たちのなかにきらりと光る演技がある。どこが違うのだろうか。

070210_20080001  書かれた脚本を覚えて読んでいる水準ではなく、身体のなかから自然に発せられるところまで達しなければ観客の心にまで届きはしないのだろう。セリフを暗記しているかどうかのレベルではないのだ。廃藩置県で宮崎県知事となる殿様の演説が泣かせる。まっとうに生きてきた人が悲しい思いをしてはならないのだと勘三郎はしみじみと語った。誰もが生れてきてよかったと思えるような政治でなくてはならないというのだ。幕間にも「あの時代」の曲が流れていた。「遠い世界に」「友よ」「ウィーシャルオーバーカム」……。そう、幕末、維新を描く作品の底流にあるのは、「現代」への熱いメッセージなのだ。大村崑が「とんま天狗」姿で登場すると会場は最高に盛り上がった。そこに「あの時代」の躍動をかいま見るのだった。若い世代にはなぜ会場がどよめいたのかは理解できないだろう。左手一列前に座っていた土派手な若作り化粧母と娘など、幕間の休憩時間が終わり、二幕がはじまったところで音を立てて弁当を食べはじめた。非常識を教えられない娘が可哀想だ。演舞場を出て銀座まで歩く。「あけぼの」でいちご大福を買おうと思ったらすでに売り切れ。新橋駅の近くで食事をして二女の求めでカラオケに行く。中島みゆきの「ファイト!」を歌っていたら、その歌詞がいまの気持ちにぴったりだなと心中思うのだった。気がつけば日付はとうに変わっていた。


「もったいない図書館」を歩く

2007-02-10 09:22:04 | 思索

 2月9日(金)福島県の栃木県寄りに矢祭町はある。東京から車で3時間。新幹線なら郡山で降りて、約2時間はかかる。人口7000人ほどの小さな山あいの町だ。朝8時すぎの空気は澄みきっていて空を見上げると青空が広がっていた。矢祭山の春は桜、秋には紅葉が映え、観光客も多く訪れる。かつて西行はこの土地を歩きこう詠んでいる。

 
心ある人に見せばや陸奥(みちのく)の矢祭山の秋の景色を

 「ザ・ワイド」スタッフとともに矢祭山駅に行った。無人駅だ。近くの踏み切りには「警報なし」の看板があった。都会では考えられないようなのどかさがここにはある。身体を伸ばして大きく空気を吸う。西行のように生きるか西鶴のように生きるか。山川暁夫さんがこう語っていたのは、1991年10月7日。のちに『短い20世紀の総括』(教育史料出版会)という単行本になる座談会(田口富久治、山川暁夫、加藤哲郎、稲子恒夫)を終えたあとの飲み会でのことだった。座談会の司会をしたわたしがいまでもそんな言葉を覚えているのは、当時の気持ちの奥深くに入り込んできたからだろう。長い行程の車のなかで聴くべき音楽を忘れてきたので、あれこれとこれからのことを考えるのだった。人間の類型を「西行」と「西鶴」に二分化することなどそもそも無理があるとは山川さんもわかっていたことだ。それでも煎じ詰めればそうも言えることは、世間の人々を見ていればよくわかるもの。「ならばお前は」と「内なる声」が聞こえてくる。ゲームセンターもカラオケボックスもない矢祭で暮らせば、きっと思索的な生活があるのかもしれない。

070209_09360001  この町の動向が最初に話題となったのは、全国ではじめて合併をしないと宣言したからであった。最近では「もったいない図書館」が開館したことで知られることになった。新しく図書館を建設すれば15億から20億円はかかる。既存の建物を改築し、図書は全国から寄贈してもらうことにしたのだ。報道されてからというもの、多くの本が続々と届いた。いまでは40万冊にもなろうとしている。いまでも1日に1000冊は送られてくるという。それを大人向け、子供向けなどに分類し、ラベルを貼ってコンピューターで管理していく。いま図書館に置いたあるのは約3万6000冊。木製のドアを開けて室内に入ると木の香りが気持ちを落ち着かせてくれる。そこで幼児から大人までが静かな時間を過ごしているのだ。日本は文化豊かな国だなとここでも思うのだった。書棚を見て歩けば、そこに自分の著作を見つけ、うれしくなった。統一教会を批判したものが2冊、そしてテレサ・テンを書いた『私の家は山の向こう』だ。書き手は本を出版すれば、それが誰の手に届くのかはほとんど見えない。しかし現実には「見えざる神の手」(アダム・スミス)によって意外な場所へと届けられるのだ。テレビでの発言もまたそうしたものなのだろう。「見えないもの」を信じられるかどうか。実際にはそこに存在する人たちに言葉は届いているのか。問題はまたここに戻ってくるのだった。


ビートたけしの東京都知事選

2007-02-09 08:10:06 | 政談

 2月8日(木)「ザ・ワイド」が終わりロケ車で福島県の矢祭町へ。延々3時間の行程だ。iムpodを忘れたことに気づく。仕方なくパソコンを開き、情報を記録することにした。まずは東京都知事選挙。民主党が候補者擁立で苦境に陥っている。党外の無党派を立候補させようとしているのだが、とん挫したままで前に進まない。都連からは「ひとりに絞られてきた」との声もあるが、実際には誰もいない情況だという。必ず立候補すると公約した以上、最終的には党内候補を擁立させる可能性が高い。では田中康夫さんを民主党が推すことはないのか。都連幹部にその意思はない。わたしなどは田中康夫擁立で、民主党、共産党、社民党が一致すれば石原知事に勝てるかもしれないと思っていたが、その現実的可能性はもはやない。おそらく田中さんにも民主党の擁立に乗る意思はないだろう。そのまんま東さんの本音は政治家になれさえすればよかった。自民党の推薦で参議院選挙に立候補するかもしれないと語っていたと証言する側近がいる。北野武さんはHBCの中村美彦さんから聞かれて「任期中に何をするかが問題だ」と語っている。そのとおりなのだ。政治家になることは自己目的ではなく、政治を国民の利益を守り、増進するための道具とすることなのだ。北野さんは都知事選挙への立候補を問われ、こういう趣旨の内容を答えたという。これから5年ほどヨーロッパで生活をして、必要ならば総理大臣でもやっていい。やはり北野さんの頭のなかには映画制作があるようだ。「たけし軍団」から何人もの知事を出し、そのうえで総理になってもいいというのは、たけしさんらしいアドリブ表現だ。

070209_07160001  アメリカにいる長女からメールが届いた。授業に出ていてもさっぱりわからないという苦しみを書いていた。日本語で暮らしてきた者がいきなり英語社会に入ってもわかるわけがない。ところが努力とガマンをすることで英語が自然に聞こえ、語れるようになってくると何人もの経験者から聞いている。しかし渦中にいる者にはそんな言葉も慰めにはならないだろう。加藤タキさんが「娘さんはどうしている」と聞くので情況を伝えたところご自身の経験を教えてくれた。14歳でいちどアメリカに暮らし、のちに再び学校で学ぶことになった。それでもさっぱり理解できなかったという。それが8か月ほどすると英語を読むスピードが速くなったことにある日気づいたという。オードリー・ヘップバーンの仕事をコーディネートすることになる加藤さんの出発点も、苦悩を乗り越える日々だったのだ。「ねえ、言っておいてよ。大丈夫だからって」と加藤さん。思えばどんな仕事でも同じことだろう。わたしにとっても人前で話をすること、あるいはコメンテーターとして統一教会やオウム真理教など以外のことを語ることは苦痛でもあった。それでも自分なりの方法を確立するプロセスで獲得したことが身に付くことで、苦悩はいつしか消えていった。そういうものなのだろう。諦めないこと。単純だが普遍的な真理がそこにはあると思う。常に脱皮しようという意思でもある。長女には長田弘さんの『深呼吸の必要』のなかにある「散歩」という詩をスキャンして送った。