有田芳生の『酔醒漫録』

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亀田興毅謝罪会見の気持ち悪さ(3)

2007-10-27 09:39:55 | 立腹

 10月26日(金)朝からの雨あがる。午後4時半から池袋「おそめ」で取材があった。50歳以上の「枯れ線」(というらしい)男性の生活と思いを一冊の単行本にするという企画だ。20歳代から30歳代の女性読者がターゲットだという。「成熟」か「枯れ」なのか。その微妙な淡いでいまを生きているという自覚がある。撮影とインタビューが終わり、江戸細工のような料理を日本酒で楽しむ。女性インタビュアーのSさんも女性デザイナーのSさんも日本酒や焼酎に詳しいので、いささか驚いた。焼酎の「兼八」や「まんこい」が好きだと私が言えば、その味を知っていたからだ。店主夫妻とも歓談して店を出ると5時間が過ぎていた。亀田興毅会見の話題が広がっている。コメント欄でさまざまな意見が述べられているように、ことほど左様に「ひとつの事実」さえ見解はわかれる。そもそもの出発点は亀田ファミリーとそれを利用したTBSを中心とするマスコミの問題だ。そして内藤大助選手との酷い試合への社会的批判の段階があった。週刊誌も亀田バッシングを強める。やむなく謝罪会見に出た亀田史郎氏の態度への批判が高まり、協会も厳しい態度を迫られた。そして処分発表とともに亀田興毅選手の記者会見。この流れで見れば、亀田史郎氏を頂点とするファミリーの狼藉ぶりが批判を招くのは当然のこと。しかし、20歳の興毅、18歳の大毅といった息子たちは、ボクシング選手である社会的責任は負わざるを得ないにしても、いわば父親に「マインドコントロール」された存在である。原理主義的にいえば、当然最大の責任ある亀田史郎氏が記者会見に出てきて、できるかぎりの事実を明らかにして謝罪をすべきだ。推測するに「打たれ弱い」彼は、会見に出る勇気さえ持ち合わせていないのだろう。そこで興毅が矢面に立つことになった。

071021_15070001  語るべき言葉も少ない彼は、その持てる社会性のなかで精一杯マスコミに答えたはずだ。そこに欺瞞などを感じるならば、それは人間理解の違いとしかいいようがない。あの眼を赤くし、いまにも涙を落とすかといった情況を鼻をぴくつかせることでこらえていた姿に、ウソはないと私は見た。あのぐらいの言葉しか、亀田興毅の辞書にはないのだ。私が関心を持っているのは、そんなことよりも会場で追及するマスコミの態度であった。「もし自分がそこにいるならば」と思いながらしばし画面を見つめていた。インタビューとは変幻自在なものでなければならない。相手との関係において臨機応変に対応すべきものなのだ。私なら最初は準備した厳しい質問を投げかける。ところが演技ではなく、相手が泣き出しそうになったなら、そこで質問に変化球を持ち出す。インタビューとはとことん相手を追い込むのが目的ではなく、相手の胸のなかの湖面に水路を引くことで真相に迫る言葉を引き出すことだからだ。どうしてこういう事態に置かれることになったのか。それを本人が「外側」からではなく「内側」から理解できるようにすることこそ必要なのだ。亀田興毅という将来あるボクサーを育てるのかつぶすのか。潜在的にもそうした立場で聞くかどうかで質問はわかれる。私はあの記者会見の「魔女狩り」的雰囲気にはどうしてもなじめない。この日本はいつから「寛容の精神」や「優しさ」が消失したのだろうか。これまた日本民族の「自己責任」だな。


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14 コメント

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はじめまして。いつも読ませてもらっています。 (ラジオ好きまさ)
2007-10-27 10:09:14
はじめまして。いつも読ませてもらっています。
私も会見TVで少し拝見しましたが、語彙の乏しさは私も感じました。
本当にネチネチと亀田氏を追い込ませる態度で人間の嫌な部分が露呈された感じがしました。
私は問題は父親、持ち上げたマスコミに殆ど責任がある様に感じます。
こんな、弱い立場の人や出る杭を打つ事を続ければ日本は優秀な人材が日本を見切って海外に行く気がしてなりません。
長文になりましが読んで頂ければ幸いです。
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 こんにちは。 (flora)
2007-10-27 10:20:54
 こんにちは。
亀田さんが気の毒に思えましたが、それも演出なのですか。
 近頃インタビュアーという人達が亡くなられた方の家までマイクロホォンをつきつけて、なにかの言葉をとろうとする場面が
多いとおもいました。
 気の毒な状態を察する気持ちを社命だからと自分を殺してやっているのでしょうか。 あの意地悪さはそうではないとおもわれます。
 大人にだって子供だけでなく、誰か活を
いれる人がいてもいいとおもいます。
ワイドショーというのは草野さんの気持ちとまったくちがう方向へながれているようです。若くしてなくなったお相撲さんの死体のイラスト。あれも子供はニュースで見ますよね。殺伐とした世相とメディアの貧困、せめて普通にただしく事件事故を視聴者にマナーのある映像として
届けて欲しいとおもいました。

 ー近頃の放送を観て感じたことー
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五十歳以上の男は「枯れ」なのかと考えさせられた。... (kyotan ご隠居)
2007-10-27 10:42:54
五十歳以上の男は「枯れ」なのかと考えさせられた。狂言師が空を飛んでは大騒ぎ、悪役ボクサーが謝罪すれば袋叩きと電波は大忙し。役人と政治家の不祥事の大安売りだ。威張れる程税金は払ってはいないが叩くべき相手を間違えていませんか?などと二日酔いの頭で考えてもどうにもならない。いつから自分の気に入らない相手は抹殺、という風潮になったのだろう。最近自分が無知だということを知り恥ずかしく思った。何しろ知らない事を知ったのだ。まるで全裸で街中を歩いているようなものだ。ああ、恥ずかしい。有田さん、どうしましょう?
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下品で無礼な人達がTVで目立つようになって、こ... (勉強不足のマスコミ大嫌いな専門職)
2007-10-27 12:28:22
下品で無礼な人達がTVで目立つようになって、この人達はいずれ転落してバッシングを受けるようになるだろうと思いました。 それにしても、マスコミの「手のひら返し」は早かったですね。
彼らを持ち上げたのもスポーツ新聞とTVなら、引きずり下ろしたのも同じマスコミ。褒められるのも、非難されるのも、下品なワイドショーの単なるネタにすぎません。
ワイドショー的視点から有田さんが危惧するほど、日本の社会は健全性を失ってはいないんじゃないかな。
「寛容の精神」や「優しさ」が消失したのは下品なワイドショーからであって、日本民族からじゃないと思いますがね。
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亀田興毅選手は、もともと悪童ぶりをパフォーマン... (tora)
2007-10-27 13:27:08
亀田興毅選手は、もともと悪童ぶりをパフォーマンスと割り切っている感じでしたよね。
プロの格闘技ですから、相手選手を威嚇するような発言をするのも当然です。
それでいて、粋がったかと思えば女性関係のネタをふられて照れ笑いしたりw
そういう部分にまだ二十歳の可愛らしさが見えて、僕なんかは好感を持っていました。
ただ、弟さんの場合はパフォーマンスと割り切っていたのかは疑問です。兄貴に比べて、
弟さんのほうはまだ子どもだったのではないでしょうか。本気で調子に乗ってましたねw

でも、「タマ打ってええから」という興毅君の発言も忘れてはいけないと思います。
目を赤くして謝る姿が本当だとすれば、彼はこの反則幇助に対してだけ責任を負えばいい。
この発言を払拭するためにも、プロボクサーとして頑張ればいいと思います。
亀田家の長男としてでなく、亀田興毅として今後どう生きていくのか。問題はそこでしょう。
お父さんの史郎さんに関しては・・・根はただのボクシングバカなんでしょうね。
本来は悪い人ではないと思います。自分が出ていくことで邪魔になるならと考え、
臆病者と思われるのを覚悟で、再出発する興毅君にすべてを託したのではないでしょうか。

「なんで遅刻したんですか!?」

・・・ハァ^^;?

面白おかしくする取材する仕事なのはわかるけど、何でもいいなら素人でもできますよ。
リポーターもちょっとは自分が何を質問しているか考えたほうがいいですよね。
少しは周りよりマシな質問をすることで目立ったほうがいいのでは??
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亀田親子は傷害罪で検挙されるべきなのです。 (牛飼い)
2007-10-27 15:01:19
亀田親子は傷害罪で検挙されるべきなのです。
それだけのことをした人の記者会見は厳しくあって当然だと思います。
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有田さん、こんにちは。 (みきお)
2007-10-27 18:20:51
有田さん、こんにちは。
私は亀田親子のボクシングなど、全然興味ないし、正直どうでも良いと思っているのですが、目に余るものが感じられてつい書き込みをしたくなりました。

昨日の亀田興毅の謝罪会見は20歳の長男が正直に自分の言葉で出来る限りの説明をしていた、と私も思います。ですが、一点だけ。

「父・史郎氏の反則指示はあったのか、なかったのか」の記者の質問に対してだけは、正直でなかった。「言い訳はしない。反省している」の一点張りで、指示をしたのか、しなかったのか、Yes or Noの質問の答えになっていませんでした。

会社内での議論でも政治家の答弁でも、最近こういう場面が多いように感じます。Yes or No? の質問にはYesかNoで答えるべきです。Yes or No?の質問に対して直接的な回答を避け、その回答している内容から、質問した側が回答を推察するなんてものは、卑怯というもんです。あとになってから「いえ、私はそう言いませんでした」みたいないつでも逃げられる場所を確保している政治家のようです。食品偽装発覚のときでも見られますよね、こういうの。
結局責任逃れが念頭にあるんだと、私は思います。

全体的に視聴者側の情に訴えるような会見内容だったと思いますが、そのたった一点だけのために、私は嘘くささを感じ、見終えたときにしらけムードになってしまいました。史郎氏からの指示があったんだろう、という邪推までさせられます。

本来なら、史郎氏が職を辞しようが辞しまいが、史郎氏が会見に出るのが筋だと思いますし、なんで長男が出てきてあんなことを「言わせられて」いるんだろう、という感想です。

この先も私は亀田ファミリーには興味ないし、試合を見ることもないでしょう。世の中、ちょっと騒ぎすぎでもあります。見ている側の思い通りにならないと気が済まない、なんて風潮が強いように感じませんか。
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 彼の謝罪の言葉を、私はまったく理解できません... (Magic-9)
2007-10-27 20:01:15
 彼の謝罪の言葉を、私はまったく理解できませんでした。「言い訳はしない」というのは、なぜ謝罪するのかしなければならないのか、というその理由にはなりません。

 同列には論じることはできませんが、身内を殺害された遺族が、犯人から「何を言われても言い訳はしません。すみませんでした」と語られて納得できるでしょうか。

 いかに神妙であろうと、いかに知識に乏しかろうと、謝罪の意味をその本人が理解せずに謝罪もどきの弁を公にするようなことのほうが、よほど不愉快に思えます。

 マスコミの「責め」も、今回のこの件については、彼やあのどうしようもないオヤジや二男が、なにをどう反省し後悔し、つまりは、どのような点において謝罪の意を表明したいのかはっきりさせるという上で、必要なことであったと私は率直にそう感じました。

 実際、オヤジはいまなお反則の指示は出していないと言い張っていると週刊誌にも書かれています。もしも週刊誌がウソなら、オヤジは直ちに告訴すべきなのに、TVを観ながらコメンテーターの発言に対して「あいつだけは許せない」などと周囲の人間に告げていたとも記されています。これがウソならあきらかに名誉毀損ではありませんか。しかしオヤジは「言い訳しない」の一点張りで、興毅もそんなオヤジをなおも擁護しているわけですよね。

 この姿勢この方便のいったいどこに謝罪の姿が存在するのか。社会常識からすれば、このような謝罪のありようは筋が通らないのではありませんか。たしかオウムのあの事件の時にも、これと同じような論を展開したコメンテーターがいたはずです。あえて誰とは言いません。むしろ会見上、マスコミはその点をもっと深く追求すべきだったと私はそう思います。

 人が真から謝罪するということは、ただ背広を着て、頭を丸めて時折目に涙を浮かべ、せつせつと朴訥と詫びの言葉を重ねるようなことではないと私はそう思います。繰り返しますが「私はそう思う」ということです。ですから、私はこのような姿勢の人の言葉も姿勢も基本的に信用しません。

 使い古された言葉ですが、この親子は、ある意味でTVが作り上げた虚像だと思います。「オヤジが世界チャンピオンにしてくれた」といった興毅には、世間の多くの人々がその世界チャンピオンというやつも所詮は虚像にすぎないのにと見ているとの自覚は少しもないわけで、したがって過去の言動を反省していると言いつつ、チャンピオンベルトを返上して原点からやり直すという弁にも至らなかった、のだと私は思います。 

 ですが、謝罪するってそういうことじゃないでしょうか。自分のあやまちを完全に見据えることができないまま、いくら「すみませんでした」という言葉を吐いても、謝罪としての意味はありません。いや卑怯ですらある。これで終わらせたい、もう苦痛から逃れたい、だから「すみませんでした」で、もうこれくらいでどうか勘弁して欲しいと。

 むろん勘弁できる人は勘弁できると思います。しかし、それは真の謝罪とは無縁の話ではないかと私はそう思います。

 私が彼の立場なら自分たち親子が結局は踊らされたTVの力を借りることなく、ひたすら手書きで謝罪の手紙を書いて、許しの返事をもらうまで対戦相手や関係各位に対して、ひたすら送りつづけたと思います。そして、その私信をもしもすっぱ抜いて公表するようなマスコミがあったとしたら、その時は、そのマスコミを私は告訴すると思います。それならば、オヤジのいうTVの前で「言い訳はしない」という弁も筋が通るはずですから。

 相手に会って直接謝罪したり記者会見を開いて公に向けて謝罪するのは、それからでしょう。それが子供のケンカの仲直りでもあるまいに、一方的な会見直後、相手におかまいなしにノーアポで会いに行くことのできる感覚というのは、彼らにとってはふつうの感覚なのでしょうか。なんとか理解しようにも、狭量な考えの持ち主の私には、なお理解できません。

 ただ亀田親子の一件は、おそらくは貧困と無学の招いた悲劇なのです。そう、これは政治とも無縁ではないと私はそう思います、私は。 

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私は会見も騒動もあまり見ていません。その上で考... (ソナム)
2007-10-27 21:50:39
私は会見も騒動もあまり見ていません。その上で考えることです。
亀田弘毅さんをマスコミが取り上げることは、「こんなやつでもこうなれる、だからお前らもがんばれ」と、彼自身も望んだ青年社会へのエールだと思います。今回20歳なりの会見をしたのではないかと思います。ここ何年かの成人式の騒ぎを考えれば十分ではないかと。 
父、史郎氏も40代。今頃の20、30代の「お父さん」は、私の感覚では「学生?」という人が多いです。40代の史郎氏はさすがにそうではないですが、バブルの「いつまでも迷える青年」ではないかと。
弘毅「クン」の方が社会性があるのかもしれませんし、そう思わせるために彼を出したのなら史郎氏もなかなか「考えアリ」なのだと思います。
彼らが提供してくれたことは、彼らだけの問題ではないと思います。
自分を含めて「このぐらいなら」と「やっちゃえ」感覚を見直すべきではないかと。
正論のようですが、自分も「父亀田」と同類の部分があると感じた私です。
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おかしな議論だと思う。 (ハラダ)
2007-10-27 22:22:24
おかしな議論だと思う。

朴訥な受け答えで、と言うけれど、それならあの数々のパフォーマンスは何だったのか、ということです。20歳の年端も行かない何も知らない若者をつるし上げて、マスコミがなんぼのものや、という謝罪会見の気持ち悪さ、という評価よりも、亀田一家がやってきたパフォーマンスとやらの方がよほど気持ちが悪い。というより吐き気を催していた。対戦相手の世界チャンピオンをゴキブリと嘲笑し、13回タイトル防衛の自分の所属ジムの大先輩に対してオレの方が上だとナメきったことをほざいたり。外国人の対戦相手に対しても無礼極まりなかった。その上での反則教唆です。それだけのことをやらかして来ておいて、オヤジの代わりと称してのこのこ出て来たんだから、厳しく追求されても仕方がないではないですか。だから、記者会見のあんな程度の質問は当たり前だと思った。記者会見でのマスコミ批判をする前に、長男を擁護する前に、そんなことをさせたオヤジをもっと糾弾すべきだろうと思う。彼は結局自分やった反則の指示について公式に認めてすらいないんだし、何が悪かったのかも表明していない以上、親父のマインドコントロール下にあるというなら、亀田一家を擁護することはできないのではないですか。

マスコミが手のひらを返したと言うけれど、彼らを祭り上げたTBSはだんまりを決め込んでいるではないですか。祭り上げた連中もいるし、苦々しく思っていた連中もいたということでしょう。どっかのボウシのコメンテーターのような時と場合によってどっちにでも転ぶ人はどこにでもいます。
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