6月29日(日)雨の日曜日。中島みゆき、小椋佳を聴きながら、「週刊読書人」に掲載される服部真澄さんとの対談原稿に手を入れる。練馬まで歩いていくつかの商店街にご挨拶。「あら、テレビで見なくなったと思っていたら事務所を開いたんですってねぇ」といった声いくつか。商店街は噂社会なのだ。新宿で雑用。三越のジョアンでパンを買って池袋。平和台に向かうも電車はまた遅れる。副都心線ができてからというもの、乗った電車がなぜか必ず遅延なのだ。小竹向原で二つの路線が合流するからだろう。これまでは急行も準急もなかったから、麹町、有楽町に向かうときに人身事故以外はほとんど遅れがなかった。もっともローマなどで2時間も列車が遅れても意に介さない国民性に比べれば、日本人は時間にきっちりしすぎているところがある。まさに民族性だ。パンクチャルであることは悪いことではない。恐れるのはいつかこれでは事故が起きないかという問題だ。先日も小竹向原の前で電車が停車。その横を急行が通っていった。コンピューター管理だと聞いたが、どうも不安が募る。多田富雄さんと石牟礼道子さんの対談を読んでいて、想念は北朝鮮問題に向かった。水俣で人間を破壊したチッソの企業責任はもちろんのこと、国や県の責任も問われた大問題は、いまだ解決していない。その有り様を美しくも哀しい筆致で綴る石牟礼さんの書簡にこんな表現があった。「経済の高度成長を国策とするなら、ワリを食うものをあらかじめ決めておきたいという発想があるのではないか」。この「経済の高度成長」を「日朝国交回復」に代えるなら、「ワリを食う」のは拉致被害者とその奪還を切望する家族である。もちろん政府や政治家は北朝鮮との外交交渉をすることによって拉致問題を解決しなければならない。しかし拉致問題の全面的解決は金正日体制が崩壊しないかぎり実現などしない。したがって被害者家族や支援者のなかに「金正日政権打倒」を主張するのは当然のことである。ハンナ・アーレントの「全体主義」理論からいっても、北朝鮮民衆や拉致被害者の立場に立てば、「打倒」をスローガンとすることは断じて正しい。しかし、政治家がそれをいうのが間違いであるのは、17世紀のウェストファリア条約を持ち出すまでもない。民族自決の原則からいって「革命の輸出」ができないのと同じことである。北朝鮮問題をめぐってはかくのごとく二重構造がある。そこに政治家の思惑が入ってくるから余計にややこしくなっている。山崎拓議員と安倍晋三議員の対立も、利権VS観念の世界。威勢のいい台詞を語るだけで何らの成果もあげずにプッツン退場した無責任な安倍ちゃんには、もはや拉致問題など語って欲しくはない。政府がおかしいのはこれから全国で開かれる拉致問題の集会で「打倒」を主張する専門家を排除していることだ。拉致問題は全国の心ある人たちが多くは支えてきた。そこに政府があとから入ってくることで言論が制限される。政府は地方で行われる集会にかかわるべきではない。私は日朝国交回復交渉を進めるなかで拉致問題解決の道を摸索することが現実的な路線だと思っている。
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