有田芳生の『酔醒漫録』

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

山川暁夫=川端治さん没後10年のつどい

2010-03-07 12:23:25 | 随感

 3月6日(土)代々木の全理連ビルで行われた「山川暁夫=川端治さん没後10年のつどい」に出席。高野孟さんや長谷川慶太郎さん、板橋で選挙支援をしてくれた方々とお会いする。没後10年で100人ほどが参加したことにも山川さんの影響力が現れている。没後1年に『国権と民権』(緑風出版)がまとめられたときに行われた集会から9年。こうした催しが行われることはもはやないだろう。私は10分ほどの挨拶の最後に晩年の山川さんが読んでいた『ハイネ詩集』を引用した。赤線が引かれた詩にはどこか世の中に対する焦りが見られた。会の終わりに奥様の山田聡子さんが挨拶、そのなかで「亡くなる1年ほど前から焦燥感が見られた」というくだりがあった。「そうだったんだな」と思う。若い時代から全エネルギーを社会変革に注いで来たものの、「右」からも「左」からも批判を受けた山川さんは、諦めのようなものを感じていたのではなかったか。引用したハイネの詩は「かしこへ此処へ」。赤線が引かれたのはこんなフレーズだ。「されど時の歩みは、のろき群衆のごとし。/この群衆、気がるにのろし。/あくびしてゆるやかに往く。/いざ急げ、のろき群衆よ!」。しかし「のろく」はあっても政権交代の事実を実りあるものに育てていかなければならない。「のろく」とも確実なものに。会が行われた全理連ビルは29年前に結婚式の祝う会を行った場所。語った演壇の場所に座っていた。右手前テーブルには上田耕一郎さんや吉岡吉典さんもいた。山川さんも上田さんも吉岡さんももはやいない。人生は短い。この会を準備してくれた大内要三さんと斉藤邦泰さんに感謝。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿