11月24日(金)桜田淳子さんが出した『アイスル ジュンバン』に不思議なことがあると先日書いた。本質的にはどうして統一教会にまったく触れないのか、いや隠しているのかという問題がある。桜田さんが日本の芸能界から離れて久しい。それは統一教会がいまなお行っている霊感商法を肯定したからだ。黙したままの桜田さんは、教会の行事や関連組織の催しで歌ってきた。その事実はときどき週刊誌でも取り上げられてきたが、その姿をアップで紹介するのは昨日のブログがおそらく初めてだろう。6月13日に「天正宮博物館開館式」「天宙平和の王真の父母様戴冠式」が行われ、そのセレモニーで桜田淳子さんは熱唱したのであった。この機会に韓国の清平で行われた「入宮式」の様子をもう少し公表しておこう。施設外観と文鮮明教祖が到着したときの歓迎場面である。文教祖夫妻はここで暮らすことになるという。ところで桜田さんの新刊の監修者の存在がもう一つの不思議であった。単行本では奥付にもいっさい名前がないのに、ネット上では「監修者」として出てきたからだ。その佐藤泰雄さんとは、かつて桜田さんが所属していたサンミュージックで舞台制作などに関わっていた人だとわかった。最初は教会の関係者が内容をチェックしたのかなどとも推測したが、そうではなかった。だとすれば芸能界復帰に向けての可能性を計るアドバルーン的な出版なのだろう。この本を取り上げたテレビ朝日の「ワイドスクランブル」は、内容を紹介しただけだったが、スタジオでコメンテーターが霊感商法との関わりを指摘したようだ。これが世間の桜田淳子さんを見る眼なのだ。
今朝は6時に起きて雑務。満員電車で有楽町。日本テレビで「ザ・ワイド」スタッフに合流して千葉県の市原刑務所に向う。昼食も取らずに午後まで取材を続ける。建物雑観を撮影するスタッフとわかれ、タクシーで五井駅。JR内房線で蘇我駅。ここで「わかしお13号」に乗り換え、外房線を終点の安房鴨川へ。改札を出たところに磯崎勇次郎さんが迎えに来てくれていた。磯崎さんは近衛兵として入営、インド洋のカーニコバル島に派遣される。木村久夫さんがいた島である。ここでの住民虐殺事件が戦後問題となり、木村さんたちは「BC級戦犯」に問われた。磯崎さんはその現場にいたのだ。生々しい証言を聞いた。近衛兵のときのポートレートは20歳。それから65年。85歳の磯崎さんが眼の前にいた。これが人生なのだ。電気技師としての活躍は戦後テレビを普及するときにも役立ったそうだ。お年寄りや子供たちに何とかテレビを見せてやりたいという思いで、電波が届くような工夫をした。その想い出を語るとき、まぶたに涙が浮かんでいた。街場の「プロジェクトX」はどこにでもあったのだ。鴨川からバスで東京へ。単行本『X』の構成を考える。東京駅に着いたのは午後9時すぎ。寒いのでおでんでも食べて帰ろうと「てつ」に行けば「バルサン使用中」の紙が貼ってあった。世間の給料日、しかも金曜日にバルサンを焚くとはなあ。これが「てつ」らしさなのだが。
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