有田芳生の『酔醒漫録』

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久々に日本テレビに行ってきた

2008-03-13 09:17:52 | 随感

 3月12日(水)朝から原稿を書き、午後に懐しい路線で新橋。日本テレビで午後3時から「おとなの学力検定スペシャル 小学校教科書クイズ」の収録。司会は上田晋也さんと久保純子さん。パネラーは芸能界を中心に30人。山口もえさんたちに久しぶりに会った。「知」と「知識」は違うと思うのだが、クイズとはこういうものなのだろう。小学生「水準」とはいえ、私にとってはとても難しい。「読み、書き、そろばん」の基礎知識は必要だが、本来はそれが「生きる」ための「知恵」に結びつかなくてはならない。国際的に注目されるフィンランドの教育。OECDの学力到達度調査(PISA)で常に上位にある。日本はこの調査で低位にあることで学力論争が起きるきっかけにもなった。ところが日本でいう「学力」とOECDが求めるものとでは意味合いが違う。フィンランドで一貫して強調されているのは「問題解決能力」だ。さらに具体的にいえば、問題を提示してその解決策を価値観を共有しない集団で議論していくことでコミュニケーション能力を養成していく。「学力」をそのようにとらえているのだ。日本では「ゆとり」教育が見直されることで学習内容や授業時間が変わるが、どこか本質的な問題が忘れられているようでならない。収録が終わったのは午後8時45分。汐留タワーに急ぎ、「週刊朝日」のM記者と食事をしながら取材の打ち合わせ。麻婆豆腐に汗が吹き出てきた。


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1 コメント

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フインランドの「問題解決能力」に取り組むドキュ... (圭子)
2008-03-13 11:14:10
フインランドの「問題解決能力」に取り組むドキュを最近NHKで見た。(もしかしたら別モノでノルウエ-だったかも)とにかくこれまでの丸暗記から考える勉強に力を入れて国際企業戦略を生き抜いていく人材を小学校時から養成するというものだった。かつて米国の次にGNPがせりあがってきた(朝鮮特需のせいかもしれないが)日本人の優れた能力はどこに行ったのか、これからはかつて大正、明治、昭和の初期のように又、海外からそのノウハウを学ばなければいけないのか、ああ残念という気がする。それにしても一部の子供を除いて大幅に学習意欲の減退している今の子供達を見ていると10年先の社会を想像するのが恐ろしくなる。電車の中で床にべったり腰を下ろして大声でくつろいでいる都会の中、高校生、池袋のマグドナルドで見た中、高校生のサル集団の実態(床に座る、食べ散らかす)。ああ見たくないものを見たという実感である。テレビが出てから「一億総白痴化現象」という言葉がかつてはやったが、戦前の日本と比べると、相対的に幼児化しているのはテレビの悪影響もあるのだろうか。(勿論、私は優れたテレビ番組には敬服しているし、ファンである)さて、話は学校に戻るが、いつの頃からか学校では学力で子供をランクずけるのを辞めた。全校生トップ50ランキングの氏名の貼り出し廃止。卒業生総代の廃止、ひいては運動会の徒競走のランク表彰の廃止。これらのものは何か問題があったのだろうか。私が学んだ時代はまさにランクづけの真最中だったので、できる学生には自然と尊敬のまなざしがあったし、だからといってできない者に卑屈な思いもなかった。優秀な子へのいじめなどはもってのほかである。そんな中で実力のある子はのびのびとその道を進んだ。いわゆる差別ではなく、区別が明らかだったのである。それだからこそ「やる気」があった。シラケもなかった。人はそれぞれ「違い」があって当然なのに今、全部一様化してしまうことにとらわれすぎているのではないだろうか。秀れた人がその場のリ-ダ-シップを発揮し、逆に生活能力に欠ける人を全体ででバックアップする、いわゆる江戸時代の街、村制度にあったような相互扶助の精神が失われた事と関係があるのではないだろうか。
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