有田芳生の『酔醒漫録』

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「とりわけ画期的な年」ーー2005年

2008-06-17 09:18:10 | 随感

 6月16日(月)早朝の訴えは光が丘駅。長男の同級生のOさん、東京スポーツの鈴木晧三総務局長に出会う。練馬の事務所で打ち合わせをしていると朝日新聞のTさんからメール。面識はないのだが、さっきチラシを受け取ったと感想を伝えてくれた。日々の出会いが「点」から「線」になっていく。これが「量から質」に転化することがあると信じて地道に行動するのみ。練馬駅前や練馬高野台駅などで引き続きマイクを持つ。夕方になり時間ができたのでジムで泳ぐ。地下鉄のなかで単行本『X』の全面書き直しプロローグの「1行目」を考える。移動時間もまた楽し。銀座の山野楽でルービンシュタインのピアノ演奏によるベートーベンピアノ協奏曲第5番「皇帝」を購入。教文館で新刊を見て午後8時に「ゆうき丸」で森まゆみさん、朝日新書の岩田一平編集長と会食。八丈島で「第三ゆうき丸」の船長をしている服部優希さんを紹介された。「これは私が釣ったんです」と刺し身を指して服部さん。珍しい漁師料理に満足。森さんから『断髪のモダンガール』(文藝春秋)、岩田さんからは山折哲雄さんと島田裕巳さんの対談『日本人の「死」はどこにいったのか』(朝日新書)を献本される。店を出てひとりで「ル・ヴェール」。島田さんから「アリタさんはあまり仕事をしていないなあ」と言われたことを思い出した。この場合の「仕事」とは著作を形にすることをいう。テレサ・テンを完成させるのに13年。単行本『X』は「これから5年以内に出版する」と思っている。たしかにこれでは仕事ではなく趣味の世界なのかもしれない。山折さんの「はじめに」を読んでいるとーーいつも「辻説法」で触れていることだがーー死者が出生者をはじめて上回った2005年が「もしかすると戦後60年の中でもとりわけ画期的な年だったのではないか」とあった。