有田芳生の『酔醒漫録』

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記憶との闘い

2006-09-02 08:22:29 | 単行本『X』

 9月1日(金)川崎駅の構内にあるラーメン屋で昼食を食べて驚いた。味噌味で野菜と豚肉片が入って580円。味噌に特徴はなく、野菜もまばらでこの値段。看板は有名店だから「これはひどい」と呆れてしまった。タクシーで平安小学校を目指す。下車したところで道路の向かい側に大野實さんが待っていてくれた。「BC級戦犯」で刑死した木村久夫さんの同僚で、裁判でも被告人として死刑を求刑された。まったく無罪なのだから、戦犯裁判のいい加減さがわかるというものだ。人違いや冤罪で死刑となった被告人は多い。このテーマを追って木村さんが学んだ高知を訪ねたのは昨年の9月2日。もう1年の時間が過ぎた。難しいなと痛感しているのは、60年前の歴史を発掘し、記録することである。たとえば吉村昭さんが戦艦武蔵を調べていたとき、終戦から20年後だった。関係者の多くが社会の中堅を担う年齢だったにも関わらず、記憶はすでに揺れていた。5年間、毎日付けていた腕章の色さえ、人によって異なる証言をする。日付からしてありえない経験を信じ込んでいることもあった。吉村さんはそのときこんな感想を抱いた。

 すでに二十数年前のことである。記憶違いは当然あるはずだが、私の方としてみれば、調査しながらも絶えず神経をはたらかせて記憶ちがいとたたかわなければならない。

060901_18450001  どんなテーマでも記憶違いはあるものだ。いや人間にとって避けがたいのが経験を記憶することの困難である。大野さんから話を伺うのは、電話をふくめればもはや数え切れないほどになった。「すでに二十数年前のこと」どころか、六十年前の経験を確定するには、資料と照合しながら「ありえたことか」を判断していかなければならない。ひと月ほど前に衝動買いして梱包されたままだったボイスレコーダーをはじめて使う。携帯電話よりずっと軽くて、標準で約140時間も録音できるから驚きだ。ノートへのメモがときどき疎かになるのはテープで録音したときと同じだった。できるだけ器械に頼らないのは、「手の記憶」が失せるからだ。バスで川崎駅。新橋で降りて神保町へ。東京堂書店のショーウィンドウには都はるみさんの『メッセージ』が、トークショーの案内とともに展示してあった。中村一好さん、『メッセージ』を出した樹立社の林茂樹さん、佐野衛店長と落ち合って、「ランチョン」で生ビールを飲みながら打ち合わせ。「人魚の嘆き」に流れる。定員80人と発表されたトークショーにはすでに申し込みがあると聞いた。