11月18日(火)
「第二の赤報隊事件」なのか。厚生事務次官への連続事件。歴代事務次官の名前はネットでも知ることができる。しかし、現住所まで調べることは、なかなか難しい。事件の「司令塔」によって犯行声明がマスコミに送られるのではないか。アメリカからはじまった世界恐慌の時代にも、日本の世相は血盟団事件(1932年)や大量失業、身売りなど多くの社会問題を生じた。麻生自民党政治の退廃と居直りへの不満はうっ積している。テロの時代への不安な予感。
大山の事務所でスタッフの会議。これからの戦略、戦術を打ち合わせ。国立の一橋大学へ。構内は落ち葉で敷き詰められていた。加藤哲郎教授にいくつかの相談。暗くなった市内を懐しく歩く。上田耕一郎さんのご自宅で酒を飲んだのはもう22年も前のこと。新日本出版社を追われるように退職してからの出来事だ。あのとき「これが美味いんだよ」とバーボンの「ワイルドターキー」を教えてもらった。気分よく酒が進んでいたらインターホンが鳴った。迎えが来たのは演説会があったから。赤い顔をした上田さんは「忘れていた」と言って出かけていった。
ご一緒した宮森繁さんもすでにいない。国立駅前で飲み直していたときに宮森さんが言った。「アリタ君を呼んだことは防衛から報告されるのに、上田さんは偉いよ」。昨日の「お別れ会」でも流れていたベートーベンのヴァイオリンソナタ第9番「クロイツェル」を駅に向かう音楽ショップで購入。上田さんが好きだった曲だ。どの奏者にしようかと迷ったが、辺見庸さんが好きなヨゼフ・スークによる「ヴァイオリン・ソナタ全集」にした。西荻窪で下車。酒でも飲もうと思ったものの、目当てにした店が高そうだったので、中野。「らんまん」で北原白秋が好んだ日本酒を飲む。
10月20日(月)まるで塗り絵をするように板橋区で「辻説法」を行っている。ある公園の近くでは散歩に行く身障者のみなさんと遭遇。そのなかに板橋区民まつりの出店でパンを売っていた女性もいた。「美味しかったですよ」と伝えると、にっこり微笑み、「こんどはおまけします」と頭を下げてくれた。いろいろな出会いが蓄積していくうれしさ。ジイドの『ソヴィエト旅行記』(岩波文庫)の印象的なフレーズが気になるのは、この国の政治(政治家)が虚飾にまみれているからだ。
虚偽ーーたとへ沈黙のそれであってもーーや、虚偽に固執することは、時には都合よくみえるかも知れない。がしかし、それは敵の攻撃にたいして絶好の機会をへるものである。それに反して、真理は、たとえ痛々しいものであっても、癒すためにしか傷つけないものである。
ある社会問題の捜査が密かに進行している。果して携帯電話の盗聴は可能なのか。捜査関係者に「もうひとつ持った方がいいですよ」とアドバイスされた。しかし知人に相談すると「歩いていれば盗聴されない」と言われた。基地局が変わるからという。しかし歩いていて広範囲の移動をするまでに傍受は可能なのか。週刊誌記者に聞けば「できるんじゃないですか」という。やっかいな問題だ。
6月30日(月)
早朝の石神井公園で2時間、大泉学園で30分の訴えをしてから澤田篤さんのスタジオで写真撮影。日焼けで顔がパサパサ。それを抑えるのに時間がかかる。さらに池袋駅東口で1時間、新宿駅近くで30分。池袋では話を聞いてくれた33歳のフリーター青年と立ち話。派遣に契約しているが長期の仕事はなく、たいてい1日だけの作業だという。やはり小泉政権で改悪された労働者派遣法を改めることは喫緊の課題だ。桂花ラーメンでの遅い昼食は「太肉麺」。小林クリニックで「ニンニク注射」。新橋に出てサウナアスティルで急いで汗を流す。銀座まで歩いてバー「ル・ヴェール」。毎日新聞夕刊編集部の小松やしほ記者から「カレセン」をテーマに取材を受ける。この話題での取材は4度目。まずは「週刊ポスト」、さらに関西テレビ、読売テレビ、そして今回だ。このメディアを見ても「面白がり度」には傾向があるのかも。掲載は7月3日の夕刊。「ル・ヴェール」のカウンターにいる姿が写真では使われる。小松さんと神保町の「萱」。そこに毎日新聞の小川一社会部長とNさんがたまたまやってきたので、4人でワイワイ。英文毎日新聞の問題などを聞く。問題となった記者の記事が、2900本書いたなかの10本ぐらいだったにしても言い訳は通用しない。チェックできなかった体制にこそ問題がある。しかしここぞとばかりに毎日新聞を攻撃し、「硫化水素」での犯行を宣言する者まで現れている。匿名で実力行使をそそのかす「銃眼から敵を撃つ」卑怯者には適切な対応が必要だ。「10代や20代でしょ」と聞けば「いいえ、どうも30代、40代のようですよ」とのこと。帰るつもりでいたら小松さんから毎日新聞の横に出ている屋台に行こうと誘われる。小川さんからも「ぜひ」と言われたので、たまにはいいかと竹橋。本当にあった。深夜通用門を開けるとそこに屋台が出ていて、ビールケースに腰掛けて飲んでいる。小松さんが運動部の野村隆宏編集委員、石井朗生記者を呼びだして深夜まで北京オリンピック談義。
6月19日(木)役員会に出て日本橋。夏休みで一時帰国する長女に頼まれた本を丸善で購入。「週刊女性」から「なぜ人を殺してはいけないのか」という問題についてコメントを求められる。秋葉原事件の背景を知るにつけ、家族の有り様があまりにも大きいと確信するようになった。もちろんネットや派遣労働の問題もある。しかし、いくら孤立し、つらい立場に追い込まれようと、「最後の拠り所」として「家族」が機能していれば、あんな悲劇は起りはしない。そう思うのは、「週刊現代」に出ている弟の手記を読んでびっくりしたからだ。ご飯を新聞紙にぶちまけて、それを息子に食べさせるような母親の姿には唖然とするばかり。親のことを「あれは他人」と語る供述には根拠があった。過酷な労働現場もふくめて、人間の尊厳を破壊する果てに何が起きるのか。事件の裏側には人間破戒がある。この国では1998年から年間に3万人を超える人たちが自ら生命を断っている。10年だけでも30万人!家族もいれば友人たちがいる。それをかりに5人と想定しても、150万人以上が深く傷ついている。異常な社会だ。「家族の絆」を断ち切ってでも死を選択する背景もまた大問題。保険に入っていても自死ならば支給されない。そんな事実さえ知らないままに冥界へと自ら赴く悲劇もまた多い。「アサヒ芸能」からは宮崎勤の死刑執行についてコメントを求められた。ここでも「家族」だ。「解離性家族」と精神鑑定にはあった。6人が暮らしているが、バラバラ。97年の神戸「少年A」事件もまた、精神鑑定で「親密さの乏しい」家族が問題とされていた。この視点で数々の事件を見るならば、「自分には価値がない」と思い込んだ容疑者(被告人)たちの「心の奥」が垣間見えて来る。「辻説法」でもときどき語っていることだが、中島みゆきが歌っているように、私たち一人ひとりはこの世に生まれ、誰もが「永久欠番」を持っている。それを教える家庭教育、学校教育、社会教育が求められている。新宿の面影屋珈琲店で服部真澄さんとの対談準備。竹村文近さんに鍼を打ってもらい神保町。東京堂書店で対談。
6月17日(火)
パソコンに向かっていたら宮崎勤死刑囚の刑執行のニュース。いくつかのマスコミからコメントを求められた。あの事件そのものの現代的意味もあるが、鳩山邦夫法務大臣の自動機械装置的執行への違和感がある。法律的には刑事訴訟法による「6か月以内」の執行に問題はない。しかし「思想犯」の刑の執行は、おそらくやらない。「公平」なようで偏った判断なのだ。草木もなびく日本的風土のなかで、重要事件の死刑確定者には「ただちに」執行の「空気」が広がることだろう。平河町のヘッドオフィスで打ち合わせいくつか。六本木で「シティ・オブ・メン」を見る。ブラジルを舞台にしたギャングと、そこから脱出する若者の物語。数年前の「シティ・オブ・ゴッド」の続編のようでもあるが、最後に希望の兆しがあるところが違う。「ブラジル移民100年」という次元とはまったく異なる世界がここにはある。中野サンプラザで「日本の医療を守る市民の会」の講演会に出席。講師は権丈善一慶応大学教授。テーマは「私たちが選ぶ『この国のかたち』」。医療を取り巻く財政事情はよくわかった。しかし公共事業や政府のムダの削減はもはや無理、したがって福祉目的の消費税増税は必要との結論は首肯しかねる。日本の公共事業はいまでも先進国で高い水準にあるだけではない。政府のムダなどを具体的、項目ごとに数値化して示さないかぎり納得できないからだ。ジェラルド・カーティスさんが指摘しているように「政治家は、方向性、基本方針、重要法案について指導力を発揮すべきである」。福田首相が消費税増税へと「方向性、基本方針」を示すようだが、その前にやるべきことをやっていない。もちろん方向性が間違っている。懇親会に出るのをやめて「らんまん」で食事。中野に来ればここに顔を出さなくては後悔する。
6月10日(火)朝から午後までかけて「週刊朝日」の原稿を完成させる。岩手県旧沢内村と大分県姫島のルポと総括的な文章だ。そこでは後期高齢者医療制度を廃止して「どうするのか」を私案として示しておいた。全部で5ページぐらいか。近く掲載されるだろう。街頭で交流する人たちの無言、有言の反応もこの文章には反映されている。ネットで公開されている「著名人が教えるお役立ち出張情報」が公開された。ここに書いたのは大阪の立ち飲み酒場「松葉総本店」のこと。平河町のヘッドオフィスで役員会。新宿の「カフェラミル」で「フラッシュ」のI記者、M記者から秋葉原事件について取材を受ける。派遣会社での問題、ネット上に連続して書いてきた殺人予告などなど。まだよくわからないことが多い。ただ1995年のオウム事件、97年の神戸少年事件、さらに99年から2000年の「17歳の犯罪」の連鎖を分析してきた立場からすれば、今度の事件を起した容疑者の母親が、「2人で食事するのがとても苦痛。『酒鬼薔薇聖斗』と同じ年なんだよ。怖いんだ」と心配していた内実がとても気になる。
6月9日(月)
朝5時から原稿の推敲。7時から午後3時まで街頭へ。駅頭は春日町。まず秋葉原事件に見られる犯罪の質と社会の変化について語る。秋葉原での事件もまた神戸の少年事件を起したAと同世代だった。オウム事件に影響された神戸の少年が2年後に事件を起し、さらに1999年から2000年にかけて起きた一連の「17歳の犯罪」があった。その精神的背景に神戸事件があったことは、供述にも明らか。こんどの自暴自棄の計画的犯行の背景に何があったのか。派遣社員だったことを事件と結びつけるだけの事実はまだ出ていない。野党政治家のなかに格差社会と関連させる者がいるが、根拠を示すことなき発言は、いまのところ短絡的にすぎる。派遣契約を打ち切られると思い込んだとしても、そこから無差別殺人に向かうには距離がありすぎる。問題はその死生観にかかわる精神的背景だ。事件は防ぐことができるのか。何を語ればいいのか。自転車の青年が声をかけてくれた。長男と保育園、小学校がいっしょだったS君だ。結婚して近くに住んでいるという。時間は早いもの。2時間で切り上げて練馬の事務所。練馬駅、中村橋駅、練馬高野台駅、石神井公園駅、さらに大泉学園駅へ。練馬高野台駅ではお年寄りの女性から「そうだ!」「そのとおり!」の掛け声が。ここでは作家の大下英治さんと出合う。マイクを手にしていたので話はできなかった。車内から見えた紫陽花の花がきれいだ。表参道のジムで泳ぐ。銀座に出てアイエスの伊藤喜久男相談役と路上で待ち合せ。「すきやばし次郎」に誘われたのだ。伊藤さんは40年もの常連だという。感想はといえば「こういうものか」。帰宅して眠ろうと思ったところで日本テレビ「スッキリ!!」のKさんから電話。秋葉原で起きた無差別殺人事件について感想を語れという。着替えて「ザ・ワイド」に通っていたときのように地下鉄とJRを乗り継いで日本テレビへ。撮影が終わり、ここまで来たならと銀座まで歩き「ル・ヴェール」。バーボンのソーダ割りを飲みながら、溜息ばかり。
6月8日(日)「週刊朝日」の原稿ーー姫島ルポの第1稿を書き上げる。ポストを見ると香山リカさんから『精神科医ですがわりと人間が苦手です』(大和書房)が送られてきていた。「まただぁ」と驚いたのは、この10日ほどで香山さんからの献本は3冊目。とても真似できるものではない。成増で用事を済ませて池袋。秋葉原の通り魔にかんする号外を手にする人たちの姿が目についた。制服警察官の姿が多く見受けられたのは、同様の犯罪が連鎖するのを恐れての緊急体制だろう。ひどいものだ。容疑者が通行人をはねて車を降り、サバイバルナイフで17人を切りつけて、警察官に取り押さえられるまで、何と約7分ほどの出来事だった。通り魔の犯行から逃げることなどほぼ不可能に近い。「人を殺すために秋葉原に来た」「世のなかがイヤになった」という容疑者には通院歴もなければ、覚せい剤反応などもない。青森県から静岡へ。そして派遣会社のマンションにひとり住まい。殺人を目的とした行為の背景に何があるにせよ、自暴自棄の矛先を他人に向け、7人の人生を奪うことなど絶対に許されることではない。「そこ」にいたのは〈わたし〉であったかもしれない。通り魔事件とはそういうものだ。犯罪を統計で見るだけの評論家や学者は「こういう事件はこれまでにもありました」などということだろう。戦前や戦後直後の事件には記者の「文学的脚色」が付けられた記事が多い。そのまま信じるわけにはいかないことはあまり知られていない。問題は「いま」なのだ。1995年のオウム事件から犯罪の質が変わったことは明らかなこと。この事実をまずは確認することだ。外出した子供たちに親から「どこにいる」かを問う電話やメールが殺到したという。大阪教育大附属池田小学校で生徒8人が刺殺されたのも7年前の6月8日だった。「安心社会」を実現する課題は切実だ。月曜早朝の街頭での訴えでは、この問題を語る。
4月7日(月)兄のような存在だった中村一好さんの逝去が報じられた。近く飲もうと約束していたのに……。都はるみさん全曲集「枯木灘 残照」を聴きながら書く。新党日本の東京都第一支部で会議を終えてヘッドオフィスで「週刊新潮」のゲラチエック。編集部がつけたタイトルは「告発リポート “霊感商法”は生きている」。内部証言と資料から統一教会の現状を書いた。青山の都はるみ事務所。表参道のジムで泳ぐ。今晩は日本酒を飲むぞと決めて神保町「萱」。岩国にある旭酒造の「獺祭」を選ぶことに意味がある一夜。山口県出身の中村さんが好きだった日本酒だ。痛飲。怒りとともに報告しなければならないことがある。発端は人気漫画「美味しんぼ」の原作者である雁屋哲さんからのメールだった。雁屋さんは20数年前からオーストラリアで暮らしている。うれしいことにこのブログの読者でもある。ところが最近のことだがアクセスしても見ることができないという。何度か知らせを受けたので、ブログではなくもともとのホームページをお知らせしたのだが、まったくダメ。おかしいなあと思っていた。たまたま一橋大学の加藤哲郎さんのホームページを読んで驚いた。中国の上海、北京、長春を旅した加藤さんは、中国ではご自身のホームページだけでなく、私のこのブログも見ることができないという。「しんぶん赤旗」などは読めるのに、なぜかここはダメなのだ。加藤さんはこのブログについていえば天安門事件に反対したテレサ・テンの筆者であることが原因なのではないかと書いている。そういえば思い当たることがある。2005年に『私の家は山の向こう』を出したとき、ある音楽関係者が中国各地に何冊かの単行本を送った。ところが、なぜか私の単行本だけがないと連絡があった。しかも数か所で同じことが起きていた。「おかしいなあ」ということでそのときは終わっていた。ところがこんどの出来事だ。私は湯川れい子さんたちの呼びかけに応えて「14世ダライ・ラマ法王と中国政府首脳との直接対話を求める声明文」に賛同した。作家の池澤夏樹さん、歌手のイルカさん、詩人の谷川俊太郎さんなどなど、62人のなかで「あいうえお」順なのでいちばん最初に名前がある。記者会見は釈迦の誕生日である8日に行われる。このことが原因ではないだろうとは思う。しかしさらなる「罪状」にはなるのかもしれない。おい、いい加減にしろ!そう「誰か」に言いたい。言論も表現も姿を隠して弾圧する。チベット虐殺の写真を掲載したブログからプロバイダーも知らぬうちに映像が消えてしまったことなどの異常がネット上で起きている。こうした事態を日本政府は黙認するというのか。ああ、はるみさんの「千年の古都」が心に染みる。
3月20日(木)
地下鉄サリン事件からもう13年。夕方の日本橋を歩いていたら「あのひとオウムよ」とすれ違う人たち何人もからささやかれた。この日に合わせたのだろう。産経新聞が国松警察庁長官狙撃事件について77歳の男性(強盗殺人事件で無期懲役。上告中)が供述との報道。そこに「秘密の暴露」があるというのだ。ところがこの問題はすでに決着が着いていたはず。そもそも犯人とこの男性の身長が違いすぎる。私は否定的だ。あの当時、警察庁幹部は「120パーセントオウム関係者の犯行」と具体的に個人名もあげて語っていたのを聞いている。マンションの総会に出席。雑談で出たのは道路計画。拡幅計画があるのだが、そのための用地買収が進んでいる。その一方で新しいマンションが建築されているいい加減さ。調べてみたら1965年の計画がいまごろまた動き出していることがわかった。43年前の亡霊だ。小沢昭一さんの節談説教を聞く。さらに小沢さんの『日本の放浪芸』(岩波現代文庫)のなかの「節談説教の魅力」を読む。真宗では説教者の「コツ」として「一声二節三男」という。ところが小沢さんは「声を発する人の内容の深さ」にこそ「相手に訴えかけていく力がある」という。「魂の向かっている方向とか志の高さが問題」だというのだ。日本橋「丸善」で眼鏡の調整をして神保町「北京亭」。再開店にあたっての親しい人たちでのお祝い飲み会はほとんどが中国人。山川暁夫さんの奥様の聡子さんと久しぶりに想い出話。そもそも東京に出てきたときに小さな講演会で山川さんから紹介されたのが「北京亭」の江頴禅さんだった。「週刊文春」の石井謙一郎さんとは、飯干晃一さんとここで飲んだ話。懐しい。餃子など味に変化なし。ホッとする。