宇宙の彼方から

自然の不可思議な森羅万象に揉まれる自分や他人の有り様を見つめる。

北朝鮮って、ド真面目な国なんだよ。解っているのかい日本人。

2005-05-21 22:20:09 | Weblog
どうしてこうも北朝鮮に固執するのでしょう。
危険領域に日本が突入していることにほかなりませんからでしょう。
アメリカに一泡ふかそうと、腹を括っている北朝鮮。
マスコミの言う、北朝鮮が瀬戸際外交と言うなら、それに対しての日本は北朝鮮外交を諦めたマナ板の鯉と言うべきか、そういう構図である。日本こそ瀬戸際外交と思っていたが、訂正しよう、外交にもならないマナ板の鯉なのだ。
北朝鮮の核実験が現実味を帯びてきたら途端に、慌てだした各国。
北朝鮮との戦争は無理なことが今になってやっと理解できてきたようだ。
そうなのだ、叩けば東京が危ないのだ。北朝鮮が追い込まれていると,いまだにそう思っている愚かな解説者達が多いが、全くそれは理解できていない。
追い込まれているのは、日本であり、アメリカであるのだ。
アメリカも余程の譲歩をしない限り、北朝鮮の核実験を止めることは不可能。何度も言うように覚悟が出来ているのだ。アメリカも日本もバカみたいにこだわり、柔軟性なく、譲歩を決断しなければ現実は戦争に突入せざるを得ない。タカのブッシュ政権にとって何とも悔しい決断だろうが、ミサイルを撃ち落す技術が今の状況では致し方ないのではないか。いくらなんでも無茶して東京をサリン、核の犠牲にするわけにもいかないでしょう。行くべき道をはっきりと決めてしまった北朝鮮に、脅迫、恐喝に ひるむ 理由はないのである。日本の解説人たちもそのことをしっかりと踏まえて議論なり、解説なりしなければ、あさって、しあさっての議論になりかねない。
北朝鮮の腹はすでに早くから決まっているのであり、日本と違ってハッタリではないのだ。それは、何故か。真面目に共産社会を構築維持していこうとしているからであり、そのこだわりがアメリカとの摩擦にもなっているのである。真面目にハッタリは似合わない。これからも日本がどんなに北朝鮮に働き掛けをしても、拉致と核に関しては聞く耳はもたないであろう。まして高みからの物言いでは尚更だ。このようなことでも解るとおり、核と言う武器を例え持ち合ったところで悲劇が倍加されるだけのことであって、捨て身の戦術の前には、持合の均衡と言う意味は何らなさないのである。逆に自暴自棄とか、捨て身の心を興させない臆病さは豊かさに比例する。実は誰も気付かないことを言いますが、早くから北朝鮮が唯我独尊の軍事政権を維持してきた裏には、アメリカ、日本、中国、韓国、ロシアなどの無視、無関心による孤立政策に発しています。誰からも相手にしてもらえない、と言うよりも、それぞれが自国の問題できゅうきゅうしていたのが実情でもありうるが、今、世界が注目してくれている状態なのだ、核はどんなことがあっても手放す筈もない。
そんな北朝鮮をテロ国家と宣伝するには幾分ムリがある。アメリカ、日本が潰したいとする心がある限り、正義は北朝鮮にあり、と多くの遠くにある国家群たちは思っているに違いないのだ。
アメリカも正当な理由なく、疑念だけでイラクに攻め入った、そして日本はいみじくも応援、バックアップした。どの国々たちも、今度もまたか、と考えざるをえない。核拡散は良くないと解った上であったとしても、もっとやり方があろう。そもそも、潰すと言う横暴、傲慢な意見を曲げないのは何ゆえなのだ。
そう言うアメリカ側のスタンスならば、アメリカ核からの核防衛戦略に向かうのは必然なのではないか。理性のある国民ならば理解できても良さそうである。
そう言う意味であるから、若しかして情けからの物資さえ日本からは受け取らないかも知れない。韓国のように無償の愛ではないからだ。でも受け取るかどうかは、流石に私も断言はできない。受け取らない時は日本のニュースに載ることはないでしょう。何故なら、マスコミが無用に多く、「気兼ね」や「誘導」など、「和」が日本人の心に楔を打ち込むからである。だから多くの日本人は真実を知らされることが少なく、この報道の世界でも大本営発表的隠蔽体質が頭をもたげて、世界的に見てもランクの低い、信頼性に欠ける結果となり、その為にブレーキの効きが甚だ芳しくないのである。真実を知らされずに不足の情報しか得られないのであれば、判断を誤ることに直結するのは言を待たないであろう。
アメリカのブッシュさんのように、タカ派的圧力で折衝しようとすれば、リビアのように非力か、民主体制からの援助を享受したいプライド薄き国々はひれ伏すこともあるでしょうが、その一方、プライド高き国々は徹底抗戦で反発する。
反発されれば、今度は超大国側も名誉とプライドの名に掛けて行かなければならなくなる。
プライドとプライドの摩擦衝突が生ずる。
タカ派的、保守系極右翼の危ういところは、こんなところなのである。その時は、国民の値段が下がり、人の命が数字で表され、悲しいかな命が粗末に扱われる。
日本人の中にへばりついている最後の砦であるところの大和民族の魂の哀れさが出てくるのだ。