たんぱく質多め生活の我が家。
たんぱく質生活で参考にした本の著者藤川先生のブログで、「タンパク質摂取量を把握せよ」というのがありました。
自分のたんぱく質量は?と思ったら、最低限のラインは余裕で超えていたので一安心。
食べてるつもりでも足りないことも多いかもしれないので、せっかくたんぱく質生活している方はチェック必須かもしれませんね。
昨日のブログでちょこっと触れた、講演会での本当のことだけど、厳しい内容。
これは、やっぱり書いておこうと思います。
それは、障害の有無にかかわらず、全ての人に言えることですが、社会性が欠如、欠落している人は、どうしても社会の中で生きていくことは難しいということです。
その社会性というのは、何か。
挨拶ができない、とか誰とでも仲良くする力とかそういうものではありません。
自分も自由に生きることができる、同じように他人も自由に生きることができる、ということを真に理解しているか、ということ。
簡単に言うと、自分の自由と同じく、他人の自由を重んじられるということです。
そんなの当然でしょう!と思われるかもしれません。当然ですが、どうなのでしょう。
例えば、障害由来のこだわりがあることを大目にみて欲しい、理解して欲しい。それも自由だけれど、そのこだわりを迷惑と感じ、その人から距離を置く、あるいは離れる自由は他の人にはある。そのせいで、こだわりのある人が孤独になっても、その責任の所在は他人ではなく、本人にある。
どちらも自由を尊重した結果です。
ある家では、子どものありのままを受け止めて、子どもの要求には応えて育て、要求が通らず泣き叫ばせるくらいなら、要求を満たしてあげる育て方をする。それは自由。
ある家では、子どもの要求に応えることもあるけれど、できないことはできないと伝える。それで本人がパニックになったら、時間をかけて、身体を育て、要求は通るときも通らないことも学んでいく。本人も家族もしんどいときもあるが、乗り越える方法を探していく。そして社会性を身につけることを軸に日々暮らしていく。それも自由。
極端な例ではあるが、前者の子は、自分の要求や欲求を満たすためなら、他人の自由を搾取してはばからないでしょう。ちょっとした暴君のような大人になるかもしれません。
後者の子は、自分のペースで生き、他人のペースも脅かすことはない人に成長するのではないでしょうか。
では、今の主流は、というと、やはり、まだ、前者ではないかと思うのです。
なぜなら、療育の世界では「大丈夫。この子のこだわりは職人気質だから。」「この子の個性を認めて、ありのままを受け止めましょう!それが何より大事。」「とりあえず、様子を見ましょう!」という言葉がけが多いのではないでしょうか。
そういう言葉と同時に、こだわりから一歩前に進む働きかけや受け止めながらも発達していくことを付け加える。子どもの未来を自由に生きていく大人になって欲しい、というビジョンを持った療育機関もあることはあるのでしょうか。
で、結局のところ、療育で言われようが、子どもが社会性を持てるかは、各家庭での教育方針や関わり方に根ざしているのですよね。
言葉が足りないし、軽快な会話が楽しめる訳ではない、理解もゆっくりだけど愛されキャラで働く人を私は知っています。とても厳しく、子どもの頃に躾けられたそうで、学生の頃もとても気がきくお子さんでした。
子どもの振る舞いは、親御さんの方針の鏡なのだと思うのです。
鏡にうつる姿をどうするか、それも自由です。
でも、私が教室で関わったり、社会で関わるならば、他人の自由を重んじられる、そんなお子さん、お家の方々と共にいたいと思うことです。