日々、あんのん。

からだの育ちの凸凹、学習のスタートラインにつけない人のもっと学びたい、発達したいを応援します。

どうして南雲さんと廣木さん? ②

2020-08-16 12:34:00 | どこでも治そう発達障害
最高気温36℃で体感気温44℃という表示を見て、倒れそうな午前中です。

さて、昨日の続きです。


南雲さんのオンラインでの講演会のレジュメが「支援を整理する時代へ〜生き抜くための作戦会議〜」と5月の連休中に発表がありました。


その後、大阪での廣木さんの講演会は、「支援と離れて子どもたちに出来ること」というタイトルという発表がありました。


あら⁉︎お二人とも支援と距離を置く雰囲気が漂うタイトルだなぁと、この偶然に驚きました。

片や、これまで学習障害のみならず、発達障害や子どもたちの生きづらさについて、どうにかしようと子どもの力になるようにと活動されてきた南雲さん。

片や重度の自閉症と診断されたお子さんを一貫して地域の学校で学ばせて、更にご本人の資質を磨き、ご自身も支援職をほぼコンプリートされている廣木さん。

おそらく支援ということを知り尽くしたお二人が、支援とのあり方について発信されようとしているのは偶然ではないような気がしました。

なんだか、発達障害をはじめとする支援ということの大きな潮目を目の前にしている感じがして、一人ドキドキしながら南雲さんの講演を聞き、そして廣木さんの講演会の日を待ちました。

そして、迎えた当日。

ビンゴ!

廣木さんのお話は、親御さんとしてお子さんのために必死になんでもやったからこその親の力の大切さと障害者支援の仕事に携わった者としての懸命さ、無力さ、更には福祉の充実が障害者の豊かな人生とイコールではない、ということを淡々と語るものでした。





話を聞き終えて、お子さん自身の足で自分の人生を歩めるように!という思いで活動されているお二人が、特別支援の中で囲い込むことは、社会で本人の資質を最大限に活かして自由に生きていくことから解離する、というメッセージをくださったように感じました。

そこで、このお二人に対談していただけたら、現在の特別支援が陥りがちな過剰支援と本当に必要な支援の輪郭がクリアーなものになり、更に家族の力という曖昧な定義もお二人のエピソードを聞くことで、聞いた方それぞれの心にその形を思い描いてくださるのではないかしら?と思ったのでした。

つづく


コメント
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