知り合い、というよりお世話になったミュージシャンが亡くなった。
見良津健雄(みらつたけお)さん。
まだ大分で高校生だった頃、ワシはフォーク系のアマチュアミュージシャンをやっておった。見良津さんはワシよりも3歳年上。クロスワードというロックバンドでギターを弾いてた。その後、彼はヤマハポピュラーコンテストのつま恋本選会まで進み作曲賞を獲得。そして田原俊彦ほかのステージサポートをやり、近年はプロデューサーとして活躍されていた。
ワシが高校を出る頃、そう1980年頃からはお互い連絡を取らないままだったのだが、ひょんなことから2002年頃、見良津さんとワシは再会する。焼き鳥を食いながら「お互い音楽からは離れられんから、ジジイになっても続けようなー!」なんて話をしておった。
そして後日、彼とは初の共同作業を行うことになる。ANNANのマキシシングルCD「卒業/我愛你」のプリプロダクションを彼にやってもらったのだ。さらに「我愛你」ではエレキギターを弾いてもらい、またトラックダウン(マルチレコーダーで録音したものを、CD音源として編集する作業)は、彼の自宅スタジオでやらせて頂いた。
昨年8月、OBS大分放送を定年退職された千綾奉文(ちあやほうぶん)アナウンサー(彼は20年近く大分のアマチュアシーンだけを取り上げた番組「ぶんご・みゅーじっく・れえだあ」を自らプロデュースし、大分のアマチュア音楽の父のような存在)の退職祝い、そして彼への感謝を込めたイベントで、見良津さんと共演したのが、お会いした最後である。ライブ終わった数日後にメールを頂いたのが、メールでの最後の会話である。
彼が健康を害して入退院を繰り返していたとは、全く知らなかった。元The Good-Byeの衛藤浩一君。彼はワシなんかよりも見良津さんとは親しかったのだが、その彼とて病状までは知らなかったらしい。見良津さん自身がスタッフに「緘口令」をしいていたとのこと。自分のことで話を大げさにしたり、心配させたくないという思いであろう。彼らしい、と思う。
昨日、UKさんとマネージャ氏と沖縄ツアーの打ち合わせをやってたのだけど、一段落したあとに、昔の写真をひっくりかえして思い出話をしておった。その際に、見良津さんの寝起きの写真を見ながら、大笑いしてたのだけど、家に帰ってメールを見たら、見良津さんの事務所の方からのメール。「訃報」のタイトルのそのメールは、ワシとしては開きたくない類のメールであった。
46歳・・・若すぎる。ワシとたった3歳しか違わない。まだまだ活躍して欲しかった。あの頃の大分のアマチュア界出身で、まだ音楽にこだわってがんばっている人は何人もいるが、そんな人たちのアイコンとしても、まだまだ突っ走ってもらいたかった。
見良津健雄
1960年2月15日生まれ 大分県出身
2006年9月5日永眠(享年46歳)
心からご冥福をお祈りします。
写真は、「卒業/我愛你」のトラックダウンの日。寝起きの見良津さんである。明るい人だった。おちゃらけた写真を貼るのは、いささか気が引ける思いもあるが、陽気に別れを告げたいと思い、元気でおちゃめな彼の写真を載せることにした。
明日、彼と永遠のお別れをしに行ってくる。悲しいけど・・・とても残念だけど・・・
見良津健雄(みらつたけお)さん。
まだ大分で高校生だった頃、ワシはフォーク系のアマチュアミュージシャンをやっておった。見良津さんはワシよりも3歳年上。クロスワードというロックバンドでギターを弾いてた。その後、彼はヤマハポピュラーコンテストのつま恋本選会まで進み作曲賞を獲得。そして田原俊彦ほかのステージサポートをやり、近年はプロデューサーとして活躍されていた。
ワシが高校を出る頃、そう1980年頃からはお互い連絡を取らないままだったのだが、ひょんなことから2002年頃、見良津さんとワシは再会する。焼き鳥を食いながら「お互い音楽からは離れられんから、ジジイになっても続けようなー!」なんて話をしておった。
そして後日、彼とは初の共同作業を行うことになる。ANNANのマキシシングルCD「卒業/我愛你」のプリプロダクションを彼にやってもらったのだ。さらに「我愛你」ではエレキギターを弾いてもらい、またトラックダウン(マルチレコーダーで録音したものを、CD音源として編集する作業)は、彼の自宅スタジオでやらせて頂いた。
昨年8月、OBS大分放送を定年退職された千綾奉文(ちあやほうぶん)アナウンサー(彼は20年近く大分のアマチュアシーンだけを取り上げた番組「ぶんご・みゅーじっく・れえだあ」を自らプロデュースし、大分のアマチュア音楽の父のような存在)の退職祝い、そして彼への感謝を込めたイベントで、見良津さんと共演したのが、お会いした最後である。ライブ終わった数日後にメールを頂いたのが、メールでの最後の会話である。
彼が健康を害して入退院を繰り返していたとは、全く知らなかった。元The Good-Byeの衛藤浩一君。彼はワシなんかよりも見良津さんとは親しかったのだが、その彼とて病状までは知らなかったらしい。見良津さん自身がスタッフに「緘口令」をしいていたとのこと。自分のことで話を大げさにしたり、心配させたくないという思いであろう。彼らしい、と思う。
昨日、UKさんとマネージャ氏と沖縄ツアーの打ち合わせをやってたのだけど、一段落したあとに、昔の写真をひっくりかえして思い出話をしておった。その際に、見良津さんの寝起きの写真を見ながら、大笑いしてたのだけど、家に帰ってメールを見たら、見良津さんの事務所の方からのメール。「訃報」のタイトルのそのメールは、ワシとしては開きたくない類のメールであった。
46歳・・・若すぎる。ワシとたった3歳しか違わない。まだまだ活躍して欲しかった。あの頃の大分のアマチュア界出身で、まだ音楽にこだわってがんばっている人は何人もいるが、そんな人たちのアイコンとしても、まだまだ突っ走ってもらいたかった。
見良津健雄
1960年2月15日生まれ 大分県出身
2006年9月5日永眠(享年46歳)
心からご冥福をお祈りします。
写真は、「卒業/我愛你」のトラックダウンの日。寝起きの見良津さんである。明るい人だった。おちゃらけた写真を貼るのは、いささか気が引ける思いもあるが、陽気に別れを告げたいと思い、元気でおちゃめな彼の写真を載せることにした。
明日、彼と永遠のお別れをしに行ってくる。悲しいけど・・・とても残念だけど・・・