ANNAN(ふれでぃ・えとう)の気まぐれ日記

シンガーソングライター、そしてQUEENトリビュートバンドQUEENESSのボーカルでもあるANNANの日記

ピースフルラブ・ロックフェスティバルその2

2011-07-23 18:00:01 | Queeness
さて、翌日である

朝、会場に向かいサウンドチェックをするのだが、ホテルの部屋で準備してたら、現地スタッフさんから電話がかかってくる。

スタッフ:「すみません、Queenessのマネージャーさんの電話ですか?」
ワシ:「(うーん、マネージャではないんだけど・・・まっ仕方ないか)はい」
スタッフ:「会場入りはリハーサルの1時間前でお願いしてたんですけど、今どちらですか?」
ワシ:「???」

そっか、1時間前の会場入りって確かに読んだ記憶はあったんだけど、本番だけのことかと思ってた。で、リハーサルの30分前に会場入り(すみませんでした・・・)

Tamazoは朝早くに会場入りして、現地スタッフさんと打ち合わせや準備をしてたので、すでに現場で待ってた。サウンドチェックは快調に終わる。いつも思うが、このピースフルのスタッフさんたちは本当に凄い!何も注文する前から、モニターバランスはほぼ完ぺきに出来上がっているし・・・こちらはモニターバランスを軽くチェックし、楽曲で確認しておきたい部分を軽くチェックするだけで終わってしまう。本当に20分もあれば完璧なセッティングになってしまうのだ。




そしてマイクロバスでホテルに戻ってからは、いつものステーキハウス「四季」で肉を食う。スパイクヨコチンとちゃ~り~は1ポンド(約450g)ステーキワシは200gのサーロイン。ステーキで腹いっぱいになってから部屋で少し休んで、そして夕方にまたまたマイクロバスで会場入りするメンバー。





司会はいつものマスミ・ロドリゲスではなくて、スティービーさん



マスミは演奏後に楽屋に遊びに来てくれた。

で、いつもと同じように、スナックJのママさんやその仲間たちが用意してくれてた、沖縄風のいなりずしやら、フライドチキンやら、凍らせてあったフルーツなどを頂きながらしばしライブ観戦し、本番前に楽屋へ向かう。



そして本番!

この日のために新調した衣装でステージに上がるワシ。






今年のセットはこんな感じだった。

SE: Procession
1. I Was Born To Love You
2. Another One Bites The Dust
3. Fat Bottomed Girls
4. Teo Torriatte
5. Seven Seas Of Rhye/Keep Yourself Alive
6. Bohemian Rhapsody
7. Radio GAGA
8. We Will Rock You
9. We Are The Champions
SE: God Save The Queen

東日本地震のあと、海外のアーティストのオムニバスアルバムがリリースされたが、その中に入っている「Teo Torriatte」を演奏したのは、今回のQueenessからのメインメッセージだった。クイーンの楽曲を演奏するわけだから、この曲は絶対にやらなきゃと思ってセットリストに入れた。フェスティバル向きの曲ではないことは百も承知の上である。そして、

♪手を取り合ってこのまま行こう、愛する人よ
♪静かな宵に光をともし、愛しき教えを抱き

を、途中からウチナーぐち(沖縄の方言)にして

♪てぃとぅてぃにじてぃうぬままでぃっか、かなさんどやや
♪よんなーゆるにあかりてぃらち、かなさゆしぐとぅちむにいだち

と歌ったのだけど、この静かなバラードがある意味Queenessのこの日の演奏ではハイライトだったと思う。沢山の人から「感動した」という、有難い言葉を頂いた。

ステージ終われば「自由の身」である。大トリである「紫」の演奏を聞きながら、いろんな人と写真撮ったりお話したり、かっちゃん(元コンディショングリーンのボーカル)のキャラクターグッズ買ったり


かっちゃんTシャツと、かっちゃんタオル

それにしても、ホントに多くの皆さんから、「去年までよりも、またずいぶんパワーアップしたねぇ!」と言われる。ホンモノのロックを生で感じて来ている沖縄の皆さんからの評価。本当にうれしかった。

ライブ終われば打ち上げである。コザ市内某所の沖縄料理の店「風車(かじまや)」で、まずはお世話になっている主催者サイドの徳さんや、JETのターキーさんとカズフミさん達と、チャンプルー、クブイリチーなどを頂きながら打ち上げ。そして、それが終わってから、ワシは8 BallのRay君(ジョージ紫さんの息子さん)がやっている7th Heavenに顔を出して、紫のDouble Dealing Womanなどでセッション。ホテルに戻ったのは2時を大きく回った頃だった。

毎年行ってる沖縄。

でも、いつまで呼んでもらえるか?ということについては不安も感じる。今年呼んでもらえたから来年も・・・という受け身の姿勢では、いけないと思う。

常にベストなものを持っていけてるだろうか?お客さんに満足してもらえているだろうか?イベントを盛り上げることができているだろうか?そんな自問自答をいつもしている自分がいるわけである。このピースフルラブ・ロックフェスティバル。来年はなんと30周年記念であるこれは何をおいても出演したい、出演させて頂きたいと思う。

コマーシャライズされることなく、コザ(沖縄市)に根差したロックフェス。何度も呼んでもらって、多くの先輩の音楽を聞かせてもらい、そして若手の音楽にパワーをもらえる。こんな素敵な空間に自分がいること、そしてそのようなチャンスを与えてもらえてることに感謝し感動する。だからこそ、もっといいものをお返ししていかなきゃいけない。そして、30周年記念の来年には、今までで最高の演奏と演出をもって、お礼したい。

沖縄・・・コザ・・・

大好きである。いつもお世話になっているスタッフの皆さん、いつも遊んで頂くミュージシャンの皆さん、そして観客席で大騒ぎをしてくれるお客さん、そんな全ての皆さんに感謝!

にふぇ~で~びる!!!

ちなみに、本日現在で見つけたブログ
Mr.スティービー

Luv Pop TYO (Pop U NYC跡地)

永遠の愛の帆をあげて

コザ日和
Comments (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ピースフルラブ・ロックフェスティバルその1

2011-07-21 00:00:01 | Queeness
7月第二週末、ワシは沖縄におった。

そう、毎年恒例の沖縄「ピースフルラブ・ロックフェスティバル」に出演するためである。1999年にKWEENとして初出演たのだが、今年で10年連続・11回目の出演となる。

それにしても、こうして継続して呼んで頂けるのは、本当にありがたい話である。また、応援して下さるファンの皆さんがいなければ、ここまで継続することはできなかったのは事実で、ファンの皆さんにも深く感謝しているワシである。

さてさて、今年のピースフル。ベースは、サポート頂いているパウロ鈴木さんに参加して頂いた。そして、我々のサウンドブレインであるTamazoにも同行してもらい、ある意味過去最強のメンバーでの沖縄行きとなった。演奏とは全く関係ないのだが、記録用ハードの面では、昨年導入したHDデジタルビデオカメラ、そして2台のサブビデオカメラ、さらに一眼レフも加わり、さらにさらに高音質のデジタルレコーダーも装備。映像・画像・音声の記録もバッチリな体制である。


飛行機の中でご機嫌なちゃ~り~と松ちゃん

沖縄入りしてまず感じたのは・・・

涼しい!!!


その日の東京の気温は36℃。そして沖縄はなんと32℃。しかもいい感じに風が吹いてるので、日陰に入ると心地よい感じである。那覇空港ではいつものホテルのバス、そしていつもの運転手の伊波(イハ)さんに迎えられ一路コザ(沖縄市)へ。その日はピースフル1日目で、HYとかD51とかオレンジレンジとかが演奏している「若者の日」。見に行きたいという思いはあるのだが、午後6時からラジオ出演もあるので、それもかなわず。とりあえず軽く腹ごしらえに、今年はいつもの「上間天ぷら店」ではなく、「チャーリータコス」に向かう。うちのギタリストのちゃ~り~は、チャーリータコスの前で喜んで写真を撮りまくる。そして、ここのタコスは美味い!



その後一旦自由行動になって、6時前にFMコザに集合するメンバー。メンバーの一部は、チャーリータコスを食べたあと、やっぱり上間天ぷら店にも行ったらしい。って、どんだけ食うねん、こいつら
さて、ラジオではいつものDJモーリー君とトークで絡み、騒ぎ、いつもの通り予定時間大幅オーバーでとっても自由な(自由すぎる)Queenessご一行様であった。




そして、いつものSidewaysへ。
ここのパパ、豊田益市さんにはホントにお世話になりっぱなしである。音楽でコザを復興したい!という強い意志を持たれていて、自らも60の手習いでギターを始めてバンド活動する一方、県内・県外のミュージシャンをいろんな形でサポートしていらっしゃる。この日も、ご自分のお店Sidewaysで、イーグルスやドゥビーを中心とした演奏を披露してくれて、美味いメシを食わせてもらい、美味い酒を頂き・・・



そして少しだが、演奏させて頂き・・・



超いい気分でSidewaysを後にして、これまた恒例のJETに向かう。
夜11時過ぎのステージで、我々もステージに上がり少し演奏させてもらう。そんでもってJETとも共演させてもらう。毎年、半ば判で押したように繰り返される光景(ほとんど金太郎飴ではあるが)それが本当に楽しい。故郷に帰省してるような感覚にさえなってるワシである。




そして深夜前に、遅い便で到着したスパイク・ヨコタも合流。夜は更けるが沖縄の夜は深いのだ。1時過ぎにJETを出てホテルに戻るのだが、その後、ちゃ~り~と松ちゃん、そしてヨコチンは部屋飲みを敢行し、Queenのビデオを見ながら翌日のステージをシミュレート。寝たのは朝方だったそうな。

というわけで、翌日に続く(笑)

photo (c) by ANNAN, Brie & Tamazo
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

クラス会 in USA~その3(完結編)

2011-07-16 00:00:01 | Weblog
(*先週末、沖縄ピースフルラブ・ロックフェスティバルで演奏してきた。が、そのレポートはこの記事のあとで)

タルサという町、オクラホマではオクラホマシティーに次ぐ第2の町であり、米国で47番目の大きさだそうである。本日のTOP写真は、そのタルサのダウンタウン(Photo © Caleb Long)である。



さて、30年前にこの町で高校時代を過ごしたワシだが、日本のように中心となる「駅」が存在して、そこを中心に商店街とかいわゆる繁華街ができてはいないのがアメリカの地方都市。かなり昔はそういう形だったのかもしれないが。そもそも旅客用のバスすらほとんど走っていない。ないわけではないが、車で動くのが基本である。ちなみに人口はタルサ市単独で40万人弱、いわゆる郡(county)含めて約100万人弱。

ワシが住んでいたのはここからざっと15kmぐらい離れたところなのだけど、高校時代も数えるほどしか行ったことがない。そんなわけでレンタカーのナビに頼りながら、郊外のBroken Arrowという街からハイウェイを飛ばすこと20分。ダウンタウンにたどりついたまではよいのだが、どこの駐車場に車止めればいいかも、どこがクラス会の会場かもわかんない。とりあえず近場と思われる駐車場に車を入れて、会場の付近と思われるあたりをぶらぶらしてたら、後ろから「Yohei!」と呼ばれる。

東京から約6000マイル離れたタルサで、ワシに声かけるのは誰やねん!?と思ったら、その前日に会った1級下の友人が。もちろんその友人はタルサ出身である。

友人「どこに車止めればいいの?」
ワシ(心の声)「ワシに聞くな!ワシに・・・この辺りなんてマジ30年ぶりなんだから」
とはいえ、自分が止めた駐車場を教える。
友人「クラス会の場所、どこかわかる?」
ワシ(心の声)「ワシに聞くな!ワシに・・・この辺りなんてマジ30年ぶりなんだから」
友人「どうもあのあたり(一つ先の交差点)みたいなんだけどねぇ」
ワシ「んじゃ行ってみるわ」

そんな感じでなんとか会場を見つけて入るワシと妻。

日本でクラス会を大掛かりにやろうとすると、まずは発起人とかの挨拶があって、乾杯の音頭があって、なんかスピーチする人がいて・・・って感じなのかな?ワシ、ほとんど日本でのクラス会行ったことないんでよくわからんが。で、ここはアメリカ。まずはバイキング形式の食事を皆思い思いにして、勝手に集まった人たち同志で話が始まり、そんでお酒とかも飲み始め、テキトーなタイミングでバンドが出てきて演奏を始め・・・一体いつ始まっていつ終わるのか?全く分からないわけである。なので、誰か思い出せない人がいたとしても、こちらから話して行かないと、最後まで誰かわからない

それにしてもこのバンド、もう少し演奏なんとかならんか!?という話を妻としながら、そんでもってこちらに気づいてくれた友達がテーブルにやってきて、写真撮ったり撮られたり。やはり「日本=地震+津波+原発」に彼らの頭の中ではなってるみたい。だんだんその質問に対する答えが、ぞんざいになってくるワシ


一緒にジャズバンドやってたSteve

そしてバンドが休憩。その休憩の間に、友達の一人が「日本でクイーンやってるプロのボーカルが同級生で、今日日本から来てるから、彼に飛び入りで歌わせて!」という交渉をしてたらしい。その後バンドが再び演奏を始めて数曲が終わった頃、ステージに呼ばれるワシ。まあ、御座敷かかれば上がるのが芸者ですわな。違うか?





というわけでステージに上がったはよいが、このバンドがクイーンの何を演奏できるのか?ワシは全く知らん。で、話を聞くとどうやらAnother One Bites The Dustしか演奏できんらしい。まあ、あの曲は1980年の夏にアメリカでヒットした曲。ちょうど、この場にいる皆がリアルタイムで聞いていた曲なので、ある意味都合がよい。もっと言えば、皆の席を回りながら話さなくても、こういう形で一斉に紹介されちゃえば後が楽。というわけで、ぶちかましてきました


当時チアリーダーだったDenise(中央)
さすがに今もかなり行けている


当時仲良かったDenise(左)とConnie(右)
ワシが来ると聞いてテキサスから来てくれた


ほとんど原型がわからん友人達


昔もきれいで今もきれいなTeresaと
州議会議員になったMark


踊るクラスメイト達

あとは、記念撮影したり、益々酔っ払う人が出てきたり。いつ始まったかも、いつ終わるかも、他になにか企画があるのかも、何もわからんまま、ワシと妻は夜11時頃に会場を後にした。というのもその翌日、朝9時のフライトに乗らなければならんのだ。後ろ髪引かれる思いではあったが、まあ引かれる後ろ髪もあまりないのだが・・・


記念撮影!
しかしワシは妻の顔に半分隠れておる

というわけで、ワシの30年目のクラス会はこういう形で幕を閉じた。
言ってみれば、この夜7時~11時の4時間のために、わざわざタルサまで行ったということになる。そりゃそれなりにお金かかるし、そんなに頻繁に出来ることではない。でも、今回こういう機会がなければ、もしかしたら先日のブログに掲載した御年80歳ぐらいの昔からの知り合いには、次に会えることはないかも知れない(もちろん元気でいてほしいけど)。そして5年以上かかってようやく両親の墓参りもできた。木曜の夕方にタルサに到着して日曜日の朝にタルサを出るまで、実質2日。だがとても濃い旅だった。

余談としては、帰りにデンバーからシアトルに向かう飛行機の中で、出発前にワシが飲み物をシートにこぼしたために、シートベルト交換。その為にフライトが遅れるという事件があったり、シアトル→成田便で出てきた食事が、あまりに得体の知れないもので、どんなに我慢しても食べられるレベルではなかったり、なーんてこともあったが。


右の機内食が問題の機内食
この味・・・ムリ!

また行こう。しかしその前に九州の両親にも会いに行かねば。考えたら結婚式以来、直接に会っていないし
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今年も夏がやって来た、沖縄ピースフルにQueeness出演!

2011-07-09 00:00:01 | Queeness
アメリカでのクラス会の完結編に行く前に、今日は一つ割り込み記事である。

ピースフルラブ・ロックフェスティバル!

これが来ると毎年
夏!
って感じがするなぁ。



毎年梅雨明けのドカ夏とともにやって来る沖縄最大のロックイベント、ピースフルラブ・ロックフェスティバル!
1983年に開催された「紫」の再結成コンサート「MURASAKI WHY NOW」を第1回目として毎年継続開催され、2011年の今年、29回目を迎えるということで、これぞ「日本最古の野外ロックフェスティバル」と呼んでも間違いないのではないかな?

そして、我ら究極のQueenトリビュートバンド、Queeness。今年も声をかけて頂いた。これでQUEENESSとしては3年連続、フレディ・エトウ(=ワシ)がボーカルを務めるQUEENトリビュートバンドとしては、10年連続、11回目の出演本当に、関係者の皆様、応援して下さっているファンの皆様に、心より感謝感謝である!



昨年のピースフルより

【今年のラインアップ】(順不同)

7月9日(土)
HY
ORANGE RANGE
D-51
All Japan Goith
ZUKAN
STEREOPONY
7!!
Nuchi
The Blue Sky Kick's
YULO(大阪オーディションバンド)
Civilian Skunk
アンガーペーチン

7月10日(日)
MURASAKI
Freddie Eto & Queeness
KATCHANBAND
JET
S.K.p
JUPITER + Chico • Masumi • Rimi • Kiyomi
2side1BRAIN
CHUCK-WOW
Majesty
W-D4

両日ともに、沖縄市野外ステージ(=運動公園にある闘牛場)で行われ、開場 13:00 開演 13:30。前売りチケット 3,800円(2日通し券 6,500円)・当日チケット 4,300円ということである。本日午後、いよいよ沖縄入り!

楽しみである。
うちなーの皆、見に来てねー!もちろん本土からも大歓迎!
Comments (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

クラス会 in USA~その2

2011-07-06 00:00:01 | Weblog
さて、サンフランシスコでのほんの束の間の時間も終わり、デンバー経由でタルサへ。
朝早くにホテルを出てサンフランシスコ国際空港まで車を飛ばすワシ。長~いチェックインの列やらセキュリティーチェックの列やらを通り過ぎて、なんとか搭乗口へたどりつく。のだけど、お腹空いた



なんか食べたいなー、というわけで搭乗口近くにあったGordon Bierschというレストランで何か食べようと言うことになり、注文したんだけど、なかなか料理が出て来ない。どーなってんのかなぁ?と思ってたらなんと最終案内が

仕方ないので、テイクアウトにしてもらい、機内に持ち込みするワシと妻。ちなみにGordon Bierschと言えば、1988年にできた「これぞ!カリフォルニア料理&ローカルビール」なお店。今でこそ、あちこちで見かけるようになったが、考えたらワシ、1988年にPalo Altoの一号店に行ってたんだなぁ。などと昔のことを思い出すワシ。

飛行機は無事に飛び立って早速機内でいいにおいをさせながらメシを食べる。そして眠る。2時間少ししてデンバー到着。ロッキー山脈にほど近いところにある、とっても大きな空港である。それにしてもビックリしたのは、セキュリティゲートの内側(搭乗口のほうね)に、喫煙できるバーがあったこと。こんなの最近ではアメリカのどこの空港でも見かけないけどね。




そして今度はタルサに向かう飛行機に乗り換える・・・のだが・・・

小っちゃいなー

CRJという飛行機(ちゃんとしたジェット機)なんだけど、2列×1列の座席配置で60人ぐらいしか乗れない。搭乗口も外に歩いて行って、テントが張ってある通路を自分で上っての搭乗である。まあ、ローカル色が強くて、これはこれで嫌いではないワシ。




またも飛行機が飛び立ったら爆睡。タルサ到着直前に目が覚めて、外を見てみたら、なんとまあ懐かしい光景が広がってた。さすがに1年住んでいた町なので(しかもその後何度も訪れているし)道がどうなってるとか、どこに何があるかってのは、大体覚えてる。そして、昔住んでいた家の上空を通ってタルサに着陸!空港からはレンタカーを借りて、姉さんの家に行くことにしてたんだけど、姉さん(ホストファミリーの)がお出迎えに来てくれてたのは嬉しかったなぁ。タルサでは姉さん夫妻の家に泊めてもらったんだけど、引っ越して大きな家になってた。裏庭には二羽ニワトリは・・・いないが、プールがある。




日本の標準で考えると本当にうらやましい限りである。
その日は姉さんと義理の兄さん、そして甥っ子達みんなも一緒にステーキハウスで夕食したのだった。




翌日、まず行きたい場所があった。このブログでも書いたが、2006年2月16日にワシのアメリカの親父が亡くなった。その後墓参りに行きたいと思っていたが、なかなか行くことができずにいたのだ。5年越しになってしまったが、親父そしてお袋が眠るところに行くことができて、嬉しかった。嬉しいという表現もおかしいのだけど、なんか「I paid my dues」(やるべきことを果たした)気がした。


ワシのアメリカの両親が眠るお墓

昔お世話になった先生、留学生たちが皆お世話になった、当時のAFS(American Field Serviceという、わかりやすく言えば留学制度)のサポーターの皆さん、皆年をお召しにはなっていたけど、多くの人が元気だったのはホントに嬉しかった。


昔お世話になったAFSサポーターの皆さん
皆80歳ぐらいである。
ちなみにワシの頭に皿が乗っているのではなく、後ろにあったライトがたまたま皿に見えるだけである。

ワシにボイトレとかやってくれた高校時代の先生

最初のホストファミリーの娘さんとお孫さん
昔はお孫さんは超キュートだった
いえ、今もキレイだと思いますが・・・

昔お世話になったAFSサポーターのご夫婦

そしてその日の夜は、クラス会の前祝い?のダンスパーティー
姉さんとその旦那さん(義理の兄さん)は、ワシよりも1年前にTulsa East Central High Schoolを卒業してる先輩である。ワシの学年にも知っている人が多いということで、じゃあいっしょに行こう!という話になり、皆でダンスパーティーへ。そこにはカメラ持って行かなかったのが悔やまれるが、そこで何人もの昔の友人に再開することができた。皆口をそろえたように「地震やら津波、大丈夫だったか?あのニュース聞いた時から、ずーっとお前のことが気になってたんだよ。」なんて感じで話しかけてくる。一気に30年の時空を超えたような気がしたワシ。しかし、時空を超えまくって誰かわからないほどに変貌を遂げているヤツらも多いのには、笑ったが

ワシの場合も他人のことはどうこう言える立場にはない。確かに風貌は変わった。それは認めよう。
しかし、その年その高校では日本人はワシだけ。アジア人も全校1800人の中で5人ぐらい。しかも当時からワシは歌を歌ったり、バンド演奏したりでまあどちらかと言えば目立つ存在だったので、覚えててもらえたということかもね。

というわけで、いよいよ次はクラス会。なんだけど、その前に宣伝である。今週末は沖縄、ピースフルラブ・ロックフェスティバルで演奏するQueenessだが、その翌週に、我らがブライアン・ちゃ~り~・ヨシカワ君のバースデーライブが新宿で開催されるのだ。皆さん、これは見逃せません。ゲストも豪華!

ブライアン・ちゃ~り~・ヨシカワ君
バースデーイベントライブ!

2011年7月17日(日)
新宿JAM TEL:03-3232-8168
18時開場 18時30分開演
前売り 3000円 当日3300円 (1drink別)

【チケット発売中】
- 新宿JAM店頭販売
- e+(イープラス)PC用購入ページ 携帯用購入ページ
- ローソンチケットにて販売。Lコード73329
- 新宿JAM電話予約(TEL:03-3232-8168)

【出演】
・ANNAN(フレディ・エトウ 弾き語り)from QUEENESS
・新宿心音会 板谷祐(from SLUT BUNKS /ex CRAZE /ex ZI:KILL)
・QUEENESS
・ママヘッド(ちゃ~り~from QUEENESS)

(サブステージ)
・ぢょにぃ(from 新宿ゴールデン街、WHO)
・ミタヒデキ(from ドミンゴス)
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

クラス会 in USA~その1

2011-07-03 01:37:21 | Weblog
クラス会に行って来た。
大分県出身のワシだが、in USAと言っても in 宇佐(USA)ではない

ワシは、米国Oklahoma州Tulsa市のEast Central High Schoolを1981年に、そして大分舞鶴高校を1982年に卒業している。1年間の留学先のTulsaの高校で、日本の単位を認めてくれたため、米国の留学終了時に向こうを卒業。そして帰国後復学した大分の高校も卒業するという、入学1回・卒業2回というちょっと珍しい経歴なのだ。

今年は2011年。ということで、なんと米国の高校を卒業して30年となるわけ。
昨年ぐらいに「2011年6月にクラス会やるよ」という連絡をもらい、それで第二の故郷であるTulsaに、妻を連れて帰省することにしたのだ。確か2001年か2002年に行って以来、ほぼ10年ぶりのオクラホマである。

オクラホマ州は遠い。成田→サンフランシスコ→デンバー→タルサという旅程である。ワシの妻は米国本土は初めて。ということもあって、さすがにタルサだけじゃかわいそうなので、途中サンフランシスコにほんのちょっと寄ってからオクラホマ入り。

そんなわけで、ここから数日はクラス会のお話となる予定だが、今日はまずサンフランシスコの写真から。


ユニオンスクエアそばのSears' Fine Foodで朝食

お約束?のケーブルカー

フィッシャーマンズワーフ


Sea Lionとカモメ

サンフランシスコ夜景(Treasure Islandから)

最近購入した、NIKONのD5100というカメラで撮影してみたが、初心者向けとは言え、やっぱ一眼レフはよいね~
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする