ANNAN(ふれでぃ・えとう)の気まぐれ日記

シンガーソングライター、そしてQUEENトリビュートバンドQUEENESSのボーカルでもあるANNANの日記

お別れと再会・・・

2006-09-10 16:54:26 | Weblog
えーっ?何がおきてるの???

いや、このブログへのアクセス数の話である。
普段は一日せいぜい100 IP、閲覧数でもせいぜい250ぐらいってのが、ワシのブログの通常の姿である。しかし・・・9月8日は279 IP(Gooブログ中847位)、そんで9日は529 IP(Gooブログ中281位)のアクセスだそうな。ワシ、何か悪いことしたか?
冗談は抜きとして、おそらく見良津健雄氏の訃報に触れた、ファンの方々からのアクセスではなかろうかと思う。

さて9月7日、見良津健雄氏のお通夜に行った。
以前にも書いたOBS大分放送の元アナウンサーであり、大分ポップ音楽界の父(あるいは兄貴)でもある千綾奉文さんもいらっしゃっていた。他にも音楽・芸能関係者の方も多々いらしてた。ご家族・ご親族の方々や、事務所関係の方々ともお話をして、夜8時過ぎに千綾さんと、元ANNANのベーシストであった森尊師と一緒に斎場を後にした。

大分からは、夜9時過ぎに元クロスワード(大分に1970年代終盤に存在したロックバンド。見良津さんもメンバーであった)のリーダー、横山さんなどが上京されるということだったが、さすがに腹が減ったワシと千綾さん。飯を食いに行こうとして、ふと横浜でお店をやっているある人のことを思い出した。

滝ともはるさん

滝さんは、1980年に堀内孝雄さんと一緒に「南回帰線」というシングルを出し、確かザ・ベストテンのランキングで4位まで行った方である。実は、彼とはデビュー前からお知り合い。ワシは中学生で彼は、元、南こうせつとかぐや姫の大嶋三平さんもいたオフィス「ビック・ミュージック」に所属し、デビューを控えて準備中って頃だった。その後「千羽鶴」という曲でシングルデビューするが、そのデビューコンサートの時はワシは高校生ながら前座をやらせていただいた。

その滝さんは今、横浜関内駅に程近いところで「パラダイスカフェ」というパブを経営していらっしゃる。そのことは知っていた。ワシは横浜に住んでいるにも関わらず、その店に行くことは、今までなかった。早速、滝さんに電話するワシ。

ワシ「どーも、玉置さん(滝さんの本名)、洋平(ワシの本名)です」
滝さん「おー洋平君、どうしたの?」
ワシ「これからお店に行こうと思うんですけど」
滝さん「どこの?」
ワシ「いや、だから玉置さんの店に・・・珍しい人(千綾さんのこと)連れて・・・」
滝さん「珍しい人って誰?」
ワシ「会うまで秘密。そんじゃ40分後に!」

そして、目黒近辺から首都高に乗り、横浜まで突っ走り、滝さんと約20年ぶりの再会。そんで、千綾さんと滝さんも、何年ぶりかの再会。「これも見良津さんが引き合わせてくれたんだろうねー」なんて話しながら、焼酎を飲む千綾さん。ワシはウーロン茶を飲みながら、滝さんの歌を聞く。数曲聴いた後ステージからワシに話しかける滝さん。

滝さん「洋平君、【南回帰線】歌える?」
ワシ「おそらく歌えますよ。」
滝さん「じゃぁ一緒に歌おうよ」
ワシ「はーい」

それにしても、滝さんのパートを歌えば良いのか、堀内さんのパートを歌えば良いのか、それさえ打ち合わせなしで、とりあえずマイクを持つワシ。しかし、なんとかなるもんである。ワシはとりあえず上のパート(つまりは堀内さんのパート)を歌い、滝さんは自分のパート。そんなわけで、急遽決まったデュエットもなんとかこなした。遠くない将来、きっとこの「パラダイスカフェ」で、ワシのライブをやる日が来ると思う。遅くまでやっている店なので、朝までフォークなんてことも可能かも・・・

翌日、どうしても仕事から抜けられず、見良津さんの告別式には行けなかったワシ。人が亡くなる。悲しいことである。でもそんな中で、再会できた、こんな縁もあるのだな・・・と思う。

見良津さん、本当にありがとう。安らかに眠ってください。いつになるかはわからんけど、そちらでお会いする日が来ます。それまでに天国で音楽界を活性化させておいてね。ワシ、そっちにいったら見良津さんとギター弾きながら陽気におバカに遊びたいから。
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