ANNAN(ふれでぃ・えとう)の気まぐれ日記

シンガーソングライター、そしてQUEENトリビュートバンドQUEENESSのボーカルでもあるANNANの日記

滝ともはるさん+堀内孝雄さん=南回帰線

2011-09-13 01:13:01 | Weblog
9月10日(土)の夜、ワシは久しぶりに横浜にいた。



妻のブリちゃんの誕生日が9月11日。それを、ワシの音楽の、そして大分時代の先輩でもある滝ともはるさんのお店「パラダイスカフェ」でお祝いしようということで横浜へ。

中華街で食事して(とは言ってもいわゆる高級中華ではなく、おかゆで有名なお店)、小籠包立ち食いして・・・そして、滝さんのお店に到着したのは午後10時。店では、この日のゲスト敬愛さん熱唱中。実は、敬愛さんとはステージで一度ご一緒してたらしい。そう、滝ともはるさんのデビュー30周年イベントに出演させていただいたときに、彼女はコーラスで参加してたらしいんだけど、すっかり忘れてて「はじめまして」モードなワシ。妻から「あの時一緒にステージで歌ってたでしょ!」と言われて初めて気づいた失礼なワシであった。

そんなこんなで、いつものようにちょこっと歌わせてもらったり、滝さんのバックでギター弾いたり、ドラム!叩いたり・・・わりとやりたい放題なワシ。相鉄線のヤマト、小田急江ノ島線(急行)のヤマト、そしてBette MidlerのRoseを歌うワシ。バックはピアノの岡ポンが弾いてくれて、ワシもギターを弾く。




そんなこんなで夜は更けて・・・ワシも久々に酒が回り・・・
滝さんが歌ってくれるHappy Birthday to マイ奥さん!
お店からはシャンパンだしてもらって・・・ゴキゲン!な夜だった。

そしてさらにゴキゲンなニュースが!
9月29日にNHK BSで放送される「J-POP青春の'80」で、あのデュエットが30年ぶりに帰ってくる!


滝ともはる

堀内孝雄


と言えば「南回帰線」。ワシの結婚式披露宴でも、滝さんとワシのデュエットで歌わせてもらい、この日も一緒に歌ってたけど、やっぱり見たいこの二人のデュエット!皆さんお見逃し無く!!!

さて、次の記事ではお待たせしました!Queenessの今後のスケジュールを発表予定!!!
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今度は飛行機大幅遅延~カンタスのバカヤロー(その2)

2011-08-25 00:00:01 | Weblog
まずは宣伝から・・・
1年以上ぶりになるソロライブが今週末に行われることになった。発表遅くなってすみません。

いろいろあって、なんと1年半も休んでたソロライブ。久々にやります。
是非遊びに来てくださいねー!


場所: 鶴見 ラバーソウル
横浜市鶴見区鶴見中央1-14-2-2F
http://www.beatle-japan.com/livehouse/
日時: 8/28(日)18:00開場・19:00開演
チャージ: 2,200円
予約・お問合せ: 045-505-9617


さて、なにはともあれシドニーに到着。乗り継ぎ先のシンガポール航空のカウンターまで移動して事情を説明。

係員:「カンタスが遅れたから、お客様が予定便に乗れないという情報、すでに入ってますよ。なんとかしますのでご安心ください。
ワシ:「ありがとう
係員:「困ったなぁ
ワシ:「なにが?
係員:「今日(8月21日)シンガポールまでは飛んで頂けるんですが、そこから日本までのフライトが23日まで空いてないんですよ。」
ワシ:「うーん、アライアンスの航空会社(ANAとかUnitedとか)でもダメなの?」
係員:「全部満席ですね。大阪とか名古屋とかじゃだめですか?」
ワシ:「最悪それでもいいよ。」
係員:「あっ!全部満席だ・・・
ワシ:「・・・
係員:「シンガポールまで飛んで、あとはキャンセル待ちではいかがでしょう?」
ワシ:「困るのよ~。月曜日にお客さんのとこに行かなきゃならないから、何が何でも日曜日には日本に帰りたいんだよ~。最悪の場合は、復路をキャンセルして、他のエアラインのチケットを買うという選択肢しかないかも・・・

きっと、この「他のエアラインの・・・」で係員に火がついたんだと思うけど・・・

係員:「わかりました。なんとかします。
ワシ:「なんとかするって言っても満席でしょ?
係員:「裏技使います
ワシ:「えっ?」・・・待つこと5分
係員:「できた!!!シンガポールの空港で一晩過ごすことになりますが、いいですか?」
ワシ:「日曜に帰国できるんだったら何でもいいよ!」
係員:「はい!旅程表

どういう裏技を使ったのかは定かではない。おそらく既に予約入っているお客さんの中で、マイレージプログラムとかのステータスの高い人を、エコノミーからビジネスにアップして、ワシ達のスペースを無理やり作ったんだろうとしか思えない。それにしても素晴らしい対応である。ついでにカンタスのことを聞いてみる。

ワシ:「シンガポールで一泊だけど、その分(例えば空港ロビー内のホテルとか)の料金とか今までの電話代とかカンタスに請求できるかな?」
係員:「できます。できなきゃおかしいです。だって遅れたのはカンタスなんだから。シンガポール航空でこの事態が起きたとすれば、ホテル代含めシンガポール航空が保証します。それが普通だと思います。」

さすがサービスで定評のシンガポール航空。心強いコメントである。

ただし、交渉するのはワシ。まあ別にこれくらいのことを交渉するのは全然難しくない。ただ、時間がないのである。ここで手配してくれたフライトの出発まで、もう1時間少ししかないのだ。カンタスのバカヤロー!と叫ぶぐらいしかできんワシ。

結局、18時のフライトにのってシンガポールへ。シンガポール到着は午前1時。そこから日本への乗り継ぎ便は翌日22日の9時25分発。ということは、空港ターミナルで一泊(というのも、シンガポールのエアポートビル内のホテルは満室だったのだ)である。空港ロビーのソファで眠るワシとブリちゃん。バックパッカーじゃないんだからさぁ。ってか、トムハンクスの映画「The Terminal」みたいだな。

というわけで、バカンタス航空のお陰でシンガポール空港ロビー一泊という、貴重な体験?をしたワシら夫婦であった。

もう一度言おう。
カンタス航空・・・最低です。二度と乗りたくない・・・
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今度は飛行機大幅遅延~カンタスのバカヤロー(その1)

2011-08-23 00:00:01 | Weblog

カンタス航空・・・最低です

8月15日~21日の1週間、ワシは仕事でオーストラリアはタスマニア島、ホバートという町に行っておった。毎年恒例の、顧客向けの教育プログラムに参加するのがその目的である。8月15日、日本を出てシンガポール経由で目的地へ。なーんも問題なくスムーズに8月16日に到着。そんでもって、そこから8月19日まではワシは原則ホテルに缶詰めになり、いろんなトレーニングメニューをこなしたり、お客さんと話したり・・・

で、今回は「こんなことでもなければ、タスマニア島に行くことなんてないだろう」ということで、ワシの奥さん、ブリちゃんも同行した。彼女はもちろん会議に出るわけではないので、自由行動。ホバートの繁華街、サラマンカプレースやら、動物園やら、リバークルーズやらで楽しんだらしい。一人にしておいても、なんとか英語使ってチケット買ってあちこち行けるってのは、ワシにとっては助かる。だってワシは会議で行っているので、基本的に彼女の観光を手伝うことはできないからね。

ブリちゃんによるタスマニア島の写真。


タスマニアンデビル

ウォンバット

コアラ

カンガルー

リバークルーズ

ホテルからの光景(ジオラマ風)

20日に会議は終わり、ほとんどの参加者はその日の夜のフライトで帰途に就くのだが、ワシは1泊延ばして21日の朝に出発するスケジュール。なので、最後の夜だけは二人で食事に行く。ブリちゃんはタスマニアの豊かなシーフードがいっぱい入ったパスタ。ワシはカンガルーのステーキ!


カンガルーのステーキ

パスタ

ここまではゴキゲンだったのだが・・・

21日の朝、ホバートの空港に行ってみたら・・・

あれ!?ワシの乗るはずのフライト、カンタス航空(QF)1020便が「遅延」になってるよ
しかも、1時間30分も遅れているらしい

大丈夫かなぁ?と思いながらも、その便に乗ってシドニーまで行かなきゃならんのは事実なので、チェックイン。
ワシ:「乗り換え時間がシドニーで1時間ちょっとしかなくなるけど大丈夫?
係員:「大丈夫!

まあいいか・・・で、セキュリティーゲートを通り過ぎて、中に入って二度びっくり!

同じフライトがなんと2時間遅れになってるってことは、シドニーへの到着はその次の便の出発30分前。国際便のチェックインのカウンターが閉まるのはフライト40分前。

大丈夫じゃないじゃん!

こういう場合、日本の航空会社であれば(いかにワシの嫌いなJALであっても)、顧客がいちいち聞かなくても、一度状況を説明すればゲートの係員がそのお客さんのケア(乗り継ぎ便の手配や連絡業務など)を行うのが常識だと思う。しかしここはオーストラリア。そんなきめ細かなサポートなど期待できるはずもない。

切羽詰まったので、一度チェックインカウンターに戻って文句を言うワシ。

ワシ:「これじゃ絶対乗り継ぎ便に間に合わないんですけど・・・
係員:「乗り継ぎ側の航空会社と交渉してみて
ワシ:「はぁ?遅れたのはカンタスでしょ?そのくらい連絡しろよ!
まあこの後ひと悶着あるのだけど、それは省略。

カンタスの係員の対応に呆れるやら怒りを感じるやら。結局乗り継ぎ先のシンガポール航空のサービスカウンターに国際電話をかけて、とにかく予定の便に乗れないこと、便の変更をお願いしたいなど、ひとしきり伝える。それらの内容は全てシンガポール航空のコンピュータに即座に登録され、後にシドニー到着した際には、全て話が通じていたのには感心したが。

とにかく、最終的に2時間以上大きく遅れたそのカンタス1020便は14時40分にシドニー着陸。ゲート到着は14時55分。その時点ですでに次のフライトのチェックインカウンターはクローズしている。日本だったら、ここで地上係員が案内してくれたりするんだけど、ここはオーストラリア。そんなクオリティーの高いサービスは、オーストラリアには存在しない。

結局、乗り継ぎ先のシンガポール航空のカウンターに到着した頃には、ワシが乗るはずだった飛行機は既に離陸していたのだ。

さて、ワシとブリちゃんはどうなるのか?

以降は次の記事で。

それにしても、カンタス航空の対応はひどいものであった。二度と乗りたくない最悪な経験であった。少なくともサービスのクオリティー(というか、トラブル対策と顧客のケア)が全くできてないエアライン。以前、このブログでJALとAir Doの批判記事を書いたことがあるが、ある意味それを超えるレベルでQantas = one of the worst and most helpless/irresponsible airlines in the worldとしてワシの頭に登録された。
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海外でパスポートを失くすと・・・(その2)

2011-08-08 00:00:01 | Weblog
そんなこんなで、7月30日はほぼ丸一日をサンフランシスコ空港で使い切り、ホテルのシャトルに乗ってホリデーインに移動するワシ。パスポートのことが気が気ではないのだけど、気にしたところで戻ってくるのが早くなるわけでもない。仕方ないのでホテルの部屋で仕事するワシ。

結局、その日は何の連絡もないまま。旅程が延びちゃったのでパンツが足りないことに気付いたワシは、パンツを石鹸で手洗いして、その日は寝ることにしたのだった。



ホテルの外から取った写真
これを見るとサンフランシスコに来たな!と思う

7月31日。朝起きてまずはコンピュータを立ち上げる。航空会社からの連絡は・・・ない。そして警察からの連絡も・・・ない。やっぱり領事館に行かなきゃだめか!と思ってたら、10時ちょっと過ぎた頃に部屋の電話が鳴る。

相手:「ミスターエトウですか?」
ワシ:「そうですが・・・」
相手:「ユナイテッド航空の逸失物係ですが・・・見つかったよーん!
ワシ:「えっ?何が???」
相手:「パスポート」

やったー!
小躍りするワシ。

ワシ:「ありがとう!で、どうすればいいの?」
相手:「空港の逸失物デスクに取りに来て」

さて、その時点で10時30分ちょっと前。その日のフライトの出発時刻まで1時間。残念ながら既に間に合う時間ではない。そもそもワシのフライトは最悪の事態を考慮して、8月2日に変更されちゃってるし。というわけで、まずは落ち着いて予約センターに電話する。そんでもって、翌日(8月1日)のフライトに予約変更してもらう。

安心すると腹が減るのであるな。今日は日曜日だし・・・ゆっくりブランチでも食おうということで、まずはホテルのレストランに行ってエッグベネディクトを食べるワシ。



そしてチェックアウトして、シャトルで空港へ。無事にパスポートをゲット!

さて、そこで考えた。
今日はサンフランシスコ市内のヒルトン予約したけど、考えたらそこに行く必要ないじゃん。ただ、キャンセルがすでに効かない時間になってるので、仕方ないか。キャンセルしても料金既に100%取られるしなぁ。ということでタクシーで市内へ移動。ヒルトンにチェックインしてとりあえずちょっと散歩する。考えたら1か月前にもこの辺りにいたんだな~なんて思いつつ。散歩ついでに寄ったチャイナタウンで遅い昼飯というか早い夕飯を食べてホテルへ。




その日は夜に電話会議が二つあったので、結局なんだかんだ仕事したのだった。
それにしても、このチョンボによりワシが払った金銭的代償は、そこそこ大きかった。さすがにパスポート失くして延泊になっちゃった分まで会社に請求はできん。なので全部自腹である。ホテル2泊分、タクシー代、食事代・・・総額5万円以上の損失だったかな。まあ、仕方あるまい。高い授業料ではあるが。

8月1日

パスポートを手にタウンカーで空港に向かうワシ。あほかいな!というぐらい早い時間に空港着いて、わずか5分でチェックイン終了。チェックイン後、日本食のebisuというレストランで少しメシを食べるが、結構まずい!


ただここで「サンガリア」を見つけたのは収穫?

今回はマイル使ったアップグレードにも成功し、フルフラットなシートでゆっくり休みながら優雅に日本へ。しかし、ここでもおかしなハプニングが。出発直前の英語のアナウンス。




機長:「トイレの水が流れないので、それを直してから出発します」
ワシと隣に座ってたアメリカ人のおっちゃん大爆笑。だって400人近く乗ってる飛行機で、トイレが流れなきゃ、着く頃には機内がうん△の匂いで充満してしまうもんね。そしたら、日本人のCAが通訳アナウンス。
「当機、出発前の最終調整に時間がかかっております。」

おい!

そりゃ最終調整には違いないけど、そこまではしょらずにちゃんと訳そうよ。それを隣のおっちゃんと話しながらまたも大爆笑。なんだかんだで飛行機はサンフランシスコを出発。寝る。

約9時間後、成田着陸して、あー着いたぞー!と思ってたら、またまたなにやら変なアナウンスが・・・

機長:「ゲートに到着して、シートベルトサインが消えても立ち上がらないでそのまま着席してて下さい、空港当局係員が入ってくる妨げになるので。なお、エコノミークラスにおいては騒ぎがあったこと、お詫びします」

なんじゃそりゃ?ワシが想定したのは、以下の3つ。
(1)誰かがタバコをトイレで吸った・・・警察に身柄拘束された上で何十万円もの罰金!
(2)誰かがCAにハラスメント(セクハラかパワハラか)した
(3)誰かが酔っ払って迷惑な騒ぎ方をした

正解は・・・
(3)でした。
その後ワシがゲートを出ようとすると、10人ぐらいの警官に囲まれながら、ろれつ回らずにうにゃうにゃ言ってるアメリカ人が・・・はぁこいつか!

というわけで、予定から遅れること2日。ようやく帰国できたワシであった。
それにしてもパスポートはホント大事だわ。皆さんも落としたり、失くしたりしないよう、海外ではくれぐれもご注意くださいませ。
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海外でパスポートを失くすと・・・(その1)

2011-08-06 00:00:01 | Weblog
ちょうど2年ぐらい前、ワシがアイスランドのレイキャビックというところに行った記事を書いた。ワシの昼の仕事の関係で、全世界の営業スタッフが集まるミーティングであったのだが、その2年後の先日、今度はアメリカ(というか正確に言えば、英国領バージン諸島)に出張しておった。

普通に会議をしたり、半日だけどちょっとリゾートしたりという感じではあった。行った先のスクラブ・アイランドというところは、ここ10年ぐらいでリゾート開発されてきた島で、それはそれは美しいところ。例によって仕事中の写真は載せずに、少しその島の写真を載せてみよう。




そして、ミーティングの合間に半日リゾートで、近隣の島へ行ったのだが、そこの写真も少し。




カリブ海にあるバージン諸島。そこに行くには、日本から米国経由でプエルトリコに入り、そこから飛ぶのが一般的。今回は航空券の値段とかも考え、一番安い料金だった東京→サンフランシスコ→ワシントンDC→サンファン(プエルトリコ)→トートラ(ビーフ)アイランドのルート。途中で1泊入るパターンを選んだ。
無事にミーティングも終わり、帰りはサンフランシスコで1泊して、翌日に東京行きの飛行機に乗る・・・はずだったのだが・・・
ワシントンDCからの便がサンフランシスコに到着したのは7月30日(土)の午前1:30。そこからタクシー乗ってホテルへ。チェックインしようとしたら・・・

無い!
パスポートが見当たらない!

記憶をたどってみるが、どうやらサンフランシスコ便の自分の座席の前のポケット、そうエアラインの情報誌とか安全のしおりとかが入ってるところに入れたまま、飛行機降りちゃったみたいなのだ。とにかくIDないままなんとかホテルにはチェックインさせてもらい、部屋についてからあちこち電話かけるワシ。

【ユナイテッド航空】
最近はチェックインですらWEBで出来るのはよいのだが、逆に電話番号を探すのに一苦労。各空港のLost & Found(落し物)の担当デスクの電話番号などどこにも出ていない。仕方ないのでカスタマーサービスに電話

ワシ:「この電話番号でいいのかどうかわかんないんだけど、パスポートを飛行機に置き忘れたんですけど・・・」
係員:「便名と場所など詳細を教えて下さい」
ワシ:「ワシントンDCからサンフランシスコ行きのUA225便です」
係員:「席の番号わかります?」
ワシ:「23Dだと思います」
係員:「わかりました。それではこの番号がサンフランシスコの空港の落し物担当の番号なので、そちらに電話して下さい。この時間は係員がいないので、メッセージを残して下さい」
ワシ:「はーい」
そんでもって教えてもらった電話番号に電話。留守電になってたので、詳細なメッセージを残す。

【在サンフランシスコ日本総領事館】
こちらは、WEBで調べると「受付は17時まで」とかって書いてある。けど、領事館なら緊急電話受付があるはず!と思い、電話する。そしたらちゃんと緊急受付があったので、そこにつなぐ。

ワシ:「パスポート紛失したんですけど、日本に帰れますかねぇ?
係官:「ムリです。飛行機に乗せてもらえません。
ワシ:「やっぱり?
係官:「帰国のための渡航書という書類を領事館でお出ししますので、それがあれば帰れます」
ワシ:「なるほど、どうやればいいんですか?」
係官:「これらの資料を揃えて、月曜日に領事館に来て下さい」
ワシ:「えっ???月曜日
係官:「ええ。領事館は土日は休みですので・・・」
ワシ:「わかりました」

眠れぬ夜を過ごすワシ。翌朝(7月30日の朝)にとりあえず空港に出向く。落し物担当のところに行くが、パスポートは見つかってないとのこと。この時点で、見つからないことを前提とした行動を考えるワシ。

あっ!

今日のフライト変更しないと、今度は飛行機の切符を買い直す羽目になる!

あわてて今度は国際ターミナルへ移動。カウンターで交渉に。
詳細割愛するが、ここの係員の人の対応が素晴らしく、最悪の事態(つまり月曜日に領事館に行き、書類を交付してもらったとして、最短で乗れるのは火曜日のフライト)を考慮して火曜日のフライトに変更してくれた。さらにワシの荷物を出発間近のフライトから取り出してくれる。さらにさらに、ワシが乗って来た飛行機は既にサンフランシスコから出発してたのだけど、その機体を特定して、到着先の空港に連絡を取ってくれる。素晴らしい対応である。

でも残念ながらパスポートはその段階では見つかっていない

今度は警察へ移動。いわゆる逸失物届を出して、書類をもらう。これがないと領事館で「帰国のための渡航書」を出してもらえないからである。ちなみに、サンフランシスコ空港で警察に逸失物届を出すと、こういうカードをもらえる。ここに書いている数字が「事件登録番号=Case Number」。



さてと、ここで我に返るワシ。今日、日本行きの飛行機に乗れなかったということは、当然今日泊る場所が必要なのである。しかも最悪の事態を想定すると、火曜日までサンフランシスコにいなきゃいかんわけ。ところが、その土曜日にマラソン大会があったとかで、サンフランシスコ市内のホテルは予約ができない。どこも満杯である。仕方ないので、一泊だけ空港近辺のホテルを予約。しかもID(つまりパスポート)がないと、通常泊めてもらえないのだけど、そこをなんとか交渉して空港近くのHoliday Innに宿泊。さらに、その後の2泊分はサンフランシスコ市内のHiltonを予約するワシ・・・

とりあえず、再度落し物担当のデスクに行って、宿泊先の電話番号を伝えるワシだった。しかし、この日は朝8時から15時過ぎまで、空港の中を歩き回ったワシだった。国際ターミナルとターミナル3については、ワシはすでにエキスパートと言えるかも知れん。

それにしても、ワシはこの後どうなるんだろう?
続く・・・
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クラス会 in USA~その3(完結編)

2011-07-16 00:00:01 | Weblog
(*先週末、沖縄ピースフルラブ・ロックフェスティバルで演奏してきた。が、そのレポートはこの記事のあとで)

タルサという町、オクラホマではオクラホマシティーに次ぐ第2の町であり、米国で47番目の大きさだそうである。本日のTOP写真は、そのタルサのダウンタウン(Photo © Caleb Long)である。



さて、30年前にこの町で高校時代を過ごしたワシだが、日本のように中心となる「駅」が存在して、そこを中心に商店街とかいわゆる繁華街ができてはいないのがアメリカの地方都市。かなり昔はそういう形だったのかもしれないが。そもそも旅客用のバスすらほとんど走っていない。ないわけではないが、車で動くのが基本である。ちなみに人口はタルサ市単独で40万人弱、いわゆる郡(county)含めて約100万人弱。

ワシが住んでいたのはここからざっと15kmぐらい離れたところなのだけど、高校時代も数えるほどしか行ったことがない。そんなわけでレンタカーのナビに頼りながら、郊外のBroken Arrowという街からハイウェイを飛ばすこと20分。ダウンタウンにたどりついたまではよいのだが、どこの駐車場に車止めればいいかも、どこがクラス会の会場かもわかんない。とりあえず近場と思われる駐車場に車を入れて、会場の付近と思われるあたりをぶらぶらしてたら、後ろから「Yohei!」と呼ばれる。

東京から約6000マイル離れたタルサで、ワシに声かけるのは誰やねん!?と思ったら、その前日に会った1級下の友人が。もちろんその友人はタルサ出身である。

友人「どこに車止めればいいの?」
ワシ(心の声)「ワシに聞くな!ワシに・・・この辺りなんてマジ30年ぶりなんだから」
とはいえ、自分が止めた駐車場を教える。
友人「クラス会の場所、どこかわかる?」
ワシ(心の声)「ワシに聞くな!ワシに・・・この辺りなんてマジ30年ぶりなんだから」
友人「どうもあのあたり(一つ先の交差点)みたいなんだけどねぇ」
ワシ「んじゃ行ってみるわ」

そんな感じでなんとか会場を見つけて入るワシと妻。

日本でクラス会を大掛かりにやろうとすると、まずは発起人とかの挨拶があって、乾杯の音頭があって、なんかスピーチする人がいて・・・って感じなのかな?ワシ、ほとんど日本でのクラス会行ったことないんでよくわからんが。で、ここはアメリカ。まずはバイキング形式の食事を皆思い思いにして、勝手に集まった人たち同志で話が始まり、そんでお酒とかも飲み始め、テキトーなタイミングでバンドが出てきて演奏を始め・・・一体いつ始まっていつ終わるのか?全く分からないわけである。なので、誰か思い出せない人がいたとしても、こちらから話して行かないと、最後まで誰かわからない

それにしてもこのバンド、もう少し演奏なんとかならんか!?という話を妻としながら、そんでもってこちらに気づいてくれた友達がテーブルにやってきて、写真撮ったり撮られたり。やはり「日本=地震+津波+原発」に彼らの頭の中ではなってるみたい。だんだんその質問に対する答えが、ぞんざいになってくるワシ


一緒にジャズバンドやってたSteve

そしてバンドが休憩。その休憩の間に、友達の一人が「日本でクイーンやってるプロのボーカルが同級生で、今日日本から来てるから、彼に飛び入りで歌わせて!」という交渉をしてたらしい。その後バンドが再び演奏を始めて数曲が終わった頃、ステージに呼ばれるワシ。まあ、御座敷かかれば上がるのが芸者ですわな。違うか?





というわけでステージに上がったはよいが、このバンドがクイーンの何を演奏できるのか?ワシは全く知らん。で、話を聞くとどうやらAnother One Bites The Dustしか演奏できんらしい。まあ、あの曲は1980年の夏にアメリカでヒットした曲。ちょうど、この場にいる皆がリアルタイムで聞いていた曲なので、ある意味都合がよい。もっと言えば、皆の席を回りながら話さなくても、こういう形で一斉に紹介されちゃえば後が楽。というわけで、ぶちかましてきました


当時チアリーダーだったDenise(中央)
さすがに今もかなり行けている


当時仲良かったDenise(左)とConnie(右)
ワシが来ると聞いてテキサスから来てくれた


ほとんど原型がわからん友人達


昔もきれいで今もきれいなTeresaと
州議会議員になったMark


踊るクラスメイト達

あとは、記念撮影したり、益々酔っ払う人が出てきたり。いつ始まったかも、いつ終わるかも、他になにか企画があるのかも、何もわからんまま、ワシと妻は夜11時頃に会場を後にした。というのもその翌日、朝9時のフライトに乗らなければならんのだ。後ろ髪引かれる思いではあったが、まあ引かれる後ろ髪もあまりないのだが・・・


記念撮影!
しかしワシは妻の顔に半分隠れておる

というわけで、ワシの30年目のクラス会はこういう形で幕を閉じた。
言ってみれば、この夜7時~11時の4時間のために、わざわざタルサまで行ったということになる。そりゃそれなりにお金かかるし、そんなに頻繁に出来ることではない。でも、今回こういう機会がなければ、もしかしたら先日のブログに掲載した御年80歳ぐらいの昔からの知り合いには、次に会えることはないかも知れない(もちろん元気でいてほしいけど)。そして5年以上かかってようやく両親の墓参りもできた。木曜の夕方にタルサに到着して日曜日の朝にタルサを出るまで、実質2日。だがとても濃い旅だった。

余談としては、帰りにデンバーからシアトルに向かう飛行機の中で、出発前にワシが飲み物をシートにこぼしたために、シートベルト交換。その為にフライトが遅れるという事件があったり、シアトル→成田便で出てきた食事が、あまりに得体の知れないもので、どんなに我慢しても食べられるレベルではなかったり、なーんてこともあったが。


右の機内食が問題の機内食
この味・・・ムリ!

また行こう。しかしその前に九州の両親にも会いに行かねば。考えたら結婚式以来、直接に会っていないし
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クラス会 in USA~その2

2011-07-06 00:00:01 | Weblog
さて、サンフランシスコでのほんの束の間の時間も終わり、デンバー経由でタルサへ。
朝早くにホテルを出てサンフランシスコ国際空港まで車を飛ばすワシ。長~いチェックインの列やらセキュリティーチェックの列やらを通り過ぎて、なんとか搭乗口へたどりつく。のだけど、お腹空いた



なんか食べたいなー、というわけで搭乗口近くにあったGordon Bierschというレストランで何か食べようと言うことになり、注文したんだけど、なかなか料理が出て来ない。どーなってんのかなぁ?と思ってたらなんと最終案内が

仕方ないので、テイクアウトにしてもらい、機内に持ち込みするワシと妻。ちなみにGordon Bierschと言えば、1988年にできた「これぞ!カリフォルニア料理&ローカルビール」なお店。今でこそ、あちこちで見かけるようになったが、考えたらワシ、1988年にPalo Altoの一号店に行ってたんだなぁ。などと昔のことを思い出すワシ。

飛行機は無事に飛び立って早速機内でいいにおいをさせながらメシを食べる。そして眠る。2時間少ししてデンバー到着。ロッキー山脈にほど近いところにある、とっても大きな空港である。それにしてもビックリしたのは、セキュリティゲートの内側(搭乗口のほうね)に、喫煙できるバーがあったこと。こんなの最近ではアメリカのどこの空港でも見かけないけどね。




そして今度はタルサに向かう飛行機に乗り換える・・・のだが・・・

小っちゃいなー

CRJという飛行機(ちゃんとしたジェット機)なんだけど、2列×1列の座席配置で60人ぐらいしか乗れない。搭乗口も外に歩いて行って、テントが張ってある通路を自分で上っての搭乗である。まあ、ローカル色が強くて、これはこれで嫌いではないワシ。




またも飛行機が飛び立ったら爆睡。タルサ到着直前に目が覚めて、外を見てみたら、なんとまあ懐かしい光景が広がってた。さすがに1年住んでいた町なので(しかもその後何度も訪れているし)道がどうなってるとか、どこに何があるかってのは、大体覚えてる。そして、昔住んでいた家の上空を通ってタルサに着陸!空港からはレンタカーを借りて、姉さんの家に行くことにしてたんだけど、姉さん(ホストファミリーの)がお出迎えに来てくれてたのは嬉しかったなぁ。タルサでは姉さん夫妻の家に泊めてもらったんだけど、引っ越して大きな家になってた。裏庭には二羽ニワトリは・・・いないが、プールがある。




日本の標準で考えると本当にうらやましい限りである。
その日は姉さんと義理の兄さん、そして甥っ子達みんなも一緒にステーキハウスで夕食したのだった。




翌日、まず行きたい場所があった。このブログでも書いたが、2006年2月16日にワシのアメリカの親父が亡くなった。その後墓参りに行きたいと思っていたが、なかなか行くことができずにいたのだ。5年越しになってしまったが、親父そしてお袋が眠るところに行くことができて、嬉しかった。嬉しいという表現もおかしいのだけど、なんか「I paid my dues」(やるべきことを果たした)気がした。


ワシのアメリカの両親が眠るお墓

昔お世話になった先生、留学生たちが皆お世話になった、当時のAFS(American Field Serviceという、わかりやすく言えば留学制度)のサポーターの皆さん、皆年をお召しにはなっていたけど、多くの人が元気だったのはホントに嬉しかった。


昔お世話になったAFSサポーターの皆さん
皆80歳ぐらいである。
ちなみにワシの頭に皿が乗っているのではなく、後ろにあったライトがたまたま皿に見えるだけである。

ワシにボイトレとかやってくれた高校時代の先生

最初のホストファミリーの娘さんとお孫さん
昔はお孫さんは超キュートだった
いえ、今もキレイだと思いますが・・・

昔お世話になったAFSサポーターのご夫婦

そしてその日の夜は、クラス会の前祝い?のダンスパーティー
姉さんとその旦那さん(義理の兄さん)は、ワシよりも1年前にTulsa East Central High Schoolを卒業してる先輩である。ワシの学年にも知っている人が多いということで、じゃあいっしょに行こう!という話になり、皆でダンスパーティーへ。そこにはカメラ持って行かなかったのが悔やまれるが、そこで何人もの昔の友人に再開することができた。皆口をそろえたように「地震やら津波、大丈夫だったか?あのニュース聞いた時から、ずーっとお前のことが気になってたんだよ。」なんて感じで話しかけてくる。一気に30年の時空を超えたような気がしたワシ。しかし、時空を超えまくって誰かわからないほどに変貌を遂げているヤツらも多いのには、笑ったが

ワシの場合も他人のことはどうこう言える立場にはない。確かに風貌は変わった。それは認めよう。
しかし、その年その高校では日本人はワシだけ。アジア人も全校1800人の中で5人ぐらい。しかも当時からワシは歌を歌ったり、バンド演奏したりでまあどちらかと言えば目立つ存在だったので、覚えててもらえたということかもね。

というわけで、いよいよ次はクラス会。なんだけど、その前に宣伝である。今週末は沖縄、ピースフルラブ・ロックフェスティバルで演奏するQueenessだが、その翌週に、我らがブライアン・ちゃ~り~・ヨシカワ君のバースデーライブが新宿で開催されるのだ。皆さん、これは見逃せません。ゲストも豪華!

ブライアン・ちゃ~り~・ヨシカワ君
バースデーイベントライブ!

2011年7月17日(日)
新宿JAM TEL:03-3232-8168
18時開場 18時30分開演
前売り 3000円 当日3300円 (1drink別)

【チケット発売中】
- 新宿JAM店頭販売
- e+(イープラス)PC用購入ページ 携帯用購入ページ
- ローソンチケットにて販売。Lコード73329
- 新宿JAM電話予約(TEL:03-3232-8168)

【出演】
・ANNAN(フレディ・エトウ 弾き語り)from QUEENESS
・新宿心音会 板谷祐(from SLUT BUNKS /ex CRAZE /ex ZI:KILL)
・QUEENESS
・ママヘッド(ちゃ~り~from QUEENESS)

(サブステージ)
・ぢょにぃ(from 新宿ゴールデン街、WHO)
・ミタヒデキ(from ドミンゴス)
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クラス会 in USA~その1

2011-07-03 01:37:21 | Weblog
クラス会に行って来た。
大分県出身のワシだが、in USAと言っても in 宇佐(USA)ではない

ワシは、米国Oklahoma州Tulsa市のEast Central High Schoolを1981年に、そして大分舞鶴高校を1982年に卒業している。1年間の留学先のTulsaの高校で、日本の単位を認めてくれたため、米国の留学終了時に向こうを卒業。そして帰国後復学した大分の高校も卒業するという、入学1回・卒業2回というちょっと珍しい経歴なのだ。

今年は2011年。ということで、なんと米国の高校を卒業して30年となるわけ。
昨年ぐらいに「2011年6月にクラス会やるよ」という連絡をもらい、それで第二の故郷であるTulsaに、妻を連れて帰省することにしたのだ。確か2001年か2002年に行って以来、ほぼ10年ぶりのオクラホマである。

オクラホマ州は遠い。成田→サンフランシスコ→デンバー→タルサという旅程である。ワシの妻は米国本土は初めて。ということもあって、さすがにタルサだけじゃかわいそうなので、途中サンフランシスコにほんのちょっと寄ってからオクラホマ入り。

そんなわけで、ここから数日はクラス会のお話となる予定だが、今日はまずサンフランシスコの写真から。


ユニオンスクエアそばのSears' Fine Foodで朝食

お約束?のケーブルカー

フィッシャーマンズワーフ


Sea Lionとカモメ

サンフランシスコ夜景(Treasure Islandから)

最近購入した、NIKONのD5100というカメラで撮影してみたが、初心者向けとは言え、やっぱ一眼レフはよいね~
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靴を買ったよ

2011-06-15 00:00:01 | Weblog
昨年夏に買ったリーボックのEASY TONE。




靴底がバランスボールみたくなってるヤツで、普段使わない筋肉を使うとかで、引き締め効果があるってのが歌い文句。だが、買ってまだ一年ならないうちに、バランスボールの一つがパンク

いやいや、パンクではなく擦り減ったか何らかの原因で穴が開いたのだと思う。ワシの体重が原因ではな~い、と信じたい。

で、今度はチャンシーというメーカーのスニーカーを購入してみた。これまた、バランスをうまくとりながら歩く必要がある。正確には、履くだけで姿勢を矯正する靴らしい。MBTみたいな感じだけど、少し違うコンセプトで作ってるとのこと。色は迷わずに?赤にしてみた。




今まで買った靴(ビジネスシューズ含む)で一番高い靴である。さて、どんな効果があるのだろうか?楽しみにしてる。

ブリちゃん(妻)と一緒に浦和パルコで買ったのだけど、ブリちゃんとワシの夫婦漫才みたいなトークが面白かったらしく、店員さんにオオウケ。楽しかったからという理由で、オマケつけてくれました。しかし、選び始めてから買うまで2時間。よく店員さんも耐えたものである。
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やめてけれ・・・やめてけれ・・・じこじこ

2011-06-11 00:00:01 | Weblog
昔、ワシが小学生だった頃、左卜全というけったいな爺さん(実は凄い役者さんだったんだけど)と「ひまわりキティーズ」という子供たちが飛ばしたスマッシュヒット「老人と子供のポルカ」という歌がある。ちなみにYoutubeにも上がっているので、知らない方はこちらをどうぞ。

♪老人と子供のポルカ♪

歌詞なのだけど・・・

1番は
♪やめてけれ、やめてけれ、やめてけ~れゲバゲバ♪
2番は
♪やめてけれ、やめてけれ、やめてけ~れジコジコ♪
3番は
♪やめてけれ、やめてけれ、やめてけ~れストスト♪

である。当時小学生だったワシは単なるナンセンスソングだと思っておった。

が・・・これは痛烈な世情批判をしているメッセージソングだというのを最近知った。

ゲバゲバの「ゲバ」とは、左翼学生闘争・運動のこと。当時盛んだった学生運動のことらしい。
ジコジコの「ジコ」とは、交通事故。当時、車社会への変動の渦中にあった日本で、経済成長に比例したかのように、事故死亡者がどんどん増えていた時代である。
そして、ストストの「スト」とは、ストライキ。最近ではそんなに見かけなくなったが、当時は春になると汽車・電車がストライキで頻繁に止まっていた。労働者の権利としてのストライキがピークだった時代かも知れない。

そして、ゲバやジコやストで迷惑を被るのは弱者である老人と子供。その視点から「やめてけれ」と世相を切ったのが、この「老人と子供のポルカ」ということらしい。まあ、本当にけったいな歌ではあるが、一度聴いたら忘れない曲でもあると思う。

さて先日、自家用車「真っ黒クロ助号」で都内から神奈川の鶴見を目指して首都高に乗ったワシと音響チーフのたまぞう。乗ったらすぐに「事故渋滞」に遭遇する。ちょうど首都高で横羽線とレインボーブリッジが分岐するジャンクションあたりである。このジャンクションは、銀座方面から来た道路と芝公園方面から来た車の合流地点でもあり、車が同一進行方向に向かってクロスする、割とヒヤっとすることが多いジャンクションでもある。渋滞にひっかかってたら、後ろからパトカーやら交通機動隊の白バイ、そして首都高道路公団の黄色い車などがサイレンをけたたましく鳴らしながら次々とやってくる。

どうやら事故が起きた直後らしい。渋滞も1kmしかないし。そして横羽線とレインボーブリッジの分岐点を過ぎた直後、たまぞうが「うわぁ!なんじゃこれ!?」と叫ぶ。運転しているワシからはちょうど見えない角度である。そこで、たまぞうにワシのiPhoneを渡して、「写真撮って!」とせがむワシ。で、撮れたのがこの写真である。



どういうわけか、ハイヤーとおぼしき車が完全にひっくり返っている。そしてその向こうにトレーラーが停車中。ハイヤーの車体の反対側には、どうやら運転手が寝ている(倒れている)模様。どういう経緯でこんな事故になったのか知らんが、それにしても嫌なものを見てしまったと思う二人であった。

その1週間前には、バイクと小学生ぐらいの女の子の事故を見た。これも事故直後らしく、まだ女の子は横断歩道に横たわってた。そしてこの写真の事故の翌週は、高速道路の分岐点で、おそらく分岐のあたりにぶつかり車線をふさいでいる車を見た。そしてつい最近は一般道でひっくり返っているワゴン車を見た。それら全て事故発生直後と思われる。まだ救急車やらパトカーが来る前か、来たばかりな感じだったし。

まあ、それにしても気をつけないとねと思うワシ。自分がいかに注意しても事故はもらう場合もあるし、なんともなぁ・・・とも思うけど。皆さんも気をつけましょうね。

♪やめてけれ、やめてけれ、やめてけ~れジコジコ♪
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フジジン醤油がこんなところに!

2011-05-23 00:00:01 | Weblog
昼メシ・・・

あんまりゆっくり食べることができないワシ。たいがいオフィスの隣にあるセブンイレブンで買ってきて、ちゃちゃっと済ませることが多い。ある日、グリルチキンのパスタサラダを買ってみた。

何と!開けてビックリ

ドレッシングが、フジジン醤油製!



何それ?ですよね。大分出身の人にしかわかるまい。
大分の二大醤油ブランドと言えば、フンドーキンとフジジンである。
こんなところでフジジンに会えるとは!なんか、プチ嬉し懐かしい。

その他、大分県人が懐かしく思うのは、こんなところかなぁ。

【お菓子編】ザビエル、臼杵せんべい、荒城の月、三笠野
【料理編】鳥天(鳥の天ぷら)、りゅうきゅう(サバ・アジの漬け)、だんご汁、やせうま
【お酒編】八鹿、一の井手、二階堂、いいちこ
【醤油・ミソ】フンドーキン、フジジン
【その他食材など】関あじ、関さば、城下カレイ、カボス、シイタケ
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本日のソロライブは札幌ドーム!

2011-04-23 15:38:11 | Weblog










で、コンサドーレ札幌vs湘南ベルマーレを少し観戦してから、札幌市内の会場でやります。

写真アップしたいのだけど、iPhoneから画像アップのやりかたわかりません。
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ソロライブ3連発!

2011-04-15 00:00:01 | Weblog
さて、昨年2度ほど沖縄でソロでライブしたのを除けば、久しくソロライブをやってなかったワシ。



マーフィーの法則?で、「バスは待っている時にはなかなか来ない。そしてしばらく待って【来た!】と思ったら、なぜか2台続けてやって来る」ってのがあったけど、それと同じかどうかは別として、直近で4本のソロライブが決まった。

4月22日: 札幌 The Greenman
4月23日: 札幌 Jersey Bar
4月28日: 池袋 A.P.T Lounge(イベント"QUEEN & Beers for TOHOKU" に出演)*
* 東北復興支援のためのチャリティイベント
5月14日: 渋谷 RUIDO K2(FUZZZレコ発ワンマンライブゲスト出演)~詳細後日

と、こんな具合である。

以前からやっている「アコースティックギターでクイーンと洋楽を」というのがメインテーマ(もちろん放送禁止ネタは用意してある)。そして、池袋 A.P.T Loungeでの"QUEEN & Beers for TOHOKU"というイベントでは当然クイーンの曲のみを演奏することになる。

【詳細】


4月22日: 札幌 English Pub "The Green Man"
(旧: Brits Beat Club)
札幌市中央区南5条西3丁目 第4グリーンビル4F
http://ameblo.jp/kazzkawa/
Open: 18:00 (Happy Hour: 17:00 - 19:00)・Show 19:30 & 21:00
Door Charge: 2,500 yen + Drink Order
ご予約・お問い合せ: 011-531-8808
* この日はこのライブ終了後に、すすきの東急インの正面にあるnudeというバーで、ちょこっとライブもやる予定

4月23日(土):札幌 JERSEY BAR
http://www.amesu.com/jersey/jersey.html
札幌市中央区南3条西6丁目(狸小路6丁目)
Open: 19:00・Show: 20:00
Charge 2,500 yen + Drink Order
* なお、4月22日の"The Green Man"にご来場のお客様は、チャージ1,000 Yenとなります。
ご予約・お問い合せ: 011-242-4335

4月28日: 池袋 A.P.T Lounge
イベント"QUEEN & Beers for TOHOKU" に出演
20:00~23:00(出演は21時頃を予定)
東京都 豊島区 南池袋 2-17-1 B1F
Charge 3,500 yen(1Drink 付)
* 「イタリア料理のビュッフェコースをご用意してお待ちしております!」とのこと。
* チャージのうち、1,000円が今回の東北復興支援に寄付される。また、ワシもギャラ返上して寄付することにした。
地図はこちら: http://www.aptweb.jp/info.html
イベント詳細: http://atnd.org/events/14772



というわけで、その間には4月22日に大船でQueenessのライブも入っており、今月は何かと忙しい月になりそうである。

さて、久々にギターのリハビリ始めないとまずいな・・・
楽曲も考えなきゃ・・・

というわけで、皆さん、是非遊びに来て下さい
お願いします。
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早一年

2011-04-13 00:00:01 | Weblog
昨年の4月10日に結婚したワシ。(2度目ですが何か?

そんでもって、この前の日曜日でちょうど1年目の記念日を迎えたのだった。
昨年披露宴をやったリストランテ・サバティーニ青山からディナーご招待されて、4月9日の土曜日は愛妻ブリちゃんと二人でディナーとしゃれこんだのであった。しかし、1年経つのは早いものであるな。



そして4月10日、近所(でもないか?)の飛鳥山公園に花見に行ったワシとブリちゃん。

まずは都知事選挙の投票をして、電車で王子駅へ。飛鳥山公園では自粛ムードどこ吹く風?という感じで人が溢れてた。確かにお約束の?ちょうちんとかはなかったし、極端な「どんちゃんさわぎ」の連中もいなかったので、比較的のどかな感じではあったが。思えば昨年は結婚式とかのドタバタで、花見できなかったなぁ。



そんで、ブリちゃんの仕事仲間の皆さんと合流して、桜の下でビール。
そもそも最近はお酒をあまり飲まなくなってワシ。昼からビールってのは、ホントに久々である。満開を少し通り越した感があって、時折強く吹く風に桜の花びらがドバーっと舞って、そのたびに歓声が上がっておった。こういう花見は実に久しぶりだった。花冷えとはよく言ったもので、昼は暖かくても日没あたりから寒くなってくる。ようやく治りかけた風邪がぶり返さないように気をつけなきゃ。
がらにもなく桜の写真を撮ってみたのでいくつか・・・ちなみに、色補正とかは全くやってない。撮ったままである。こうしてみると、やはり一眼レフが欲しくなるな。この画質に満足できなくなってるワシ。




それにしても、地震がまだまだ続いておるな。
なんか、最近は地面が揺れているのか、はたまた自分が揺れているのか?よくわからんようになっている気がする。グラっと来た瞬間に気分が落ちる。あれだけの大きな地震の後だから、余震あるいは誘発された地震(そしてその余震)も多いのは仕方ないのだけど。ゆっくり寝たいな、と思うワシである。
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面白い恋人?

2011-04-08 00:00:01 | Weblog
久々に和歌山に出張。
例によって日帰り。
たまには少しはゆっくりしたいものである。

井出商店のラーメン食いたい!
太刀魚の刺身も食いたい!


よしんば1泊の出張でも、最近はコンビニ弁当が夕飯だったりして、悲しいものである。

4月6日、朝の飛行機で羽田→関空を飛び、そして最終便で関空→羽田。帰宅できるのは深夜という、まあいつものパターンであった。普段、お土産など買うこともないのだけど、帰りの関空でちょっと見てみたらこんなものが・・・

白い恋人?

そうやねぇ、大阪名物と言えば「白い恋人」に限るねぇ・・・

ってなんでやねん!!!
なんで、こんなところ(関空の売店)に「白い恋人」と思ってよく見ると・・・


面白い恋人

さすがである。
さすがは関西である。
このセンスがあまりにも素晴らしい!


というわけで・・・
買ってしまいますた。

開けて見ると・・・

こんな感じ。

そんでもってその中身は

こんな感じ。
なるほど、ゴーフレットやね


で、味は
まさかの「みたらし」味

誰やねん?こんなん考えたのは!と思ったら・・・



やっぱりこいつらかぁ。

しかし、ワシだったら「白い恋人」のパロディーするなら、「面白い変人」にしたと思うな。「恋人」と「変人」。遠くから見れば同じに見えるし・・・違うか?


というわけで、今日は他にもビミョーな画像を。
今年1月、ワシがクルマを買い替えた話を書いた。その時にもらったノベルティーがこれ。



BMW 3シリーズのセダン・・・の形をしたマウスである。
USBをつなぐと、ヘッドランプとテールランプが点灯する・・・というすぐれもの
まあ、ワシのクルマはワゴンだけど、同じ3シリーズということで、それはそれでよいのだが・・・実に使いにくいこれまた、脱力であった。
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